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タイトル |
主な内容 |
主な掲載画像 |
No.1 |
プロローグ |
序文・岩田忠利 / 著者・栗原茂夫さんの抱負と横顔 |
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No.2 |
常夏の島サイパン
平和な時代 |
ふるさとサイパン島/移民した父母のこと/自宅周辺の自然/日常生活/国民学校令/学校生活/国定教科書「ヨミカタ」など |
島を象徴する花木「ホウオウボク(鳳凰木)
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No.3 |
風雲急を告げる
戦闘機グラマンの奇襲 |
唯一の家族写真/初の空襲/ジャングル学校/空襲警報発令 |
著者の唯一の写真
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No.4 |
間断なく、
じゅうたん爆撃 |
想像を絶する爆撃の凄さ/
5時間で480機の銃爆撃/
洞窟の中の人間模様 |
民家に投下された爆弾
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No.5 |
間近で砲弾炸裂!
悲惨な洞窟生活 |
一家で逃避行/間近で砲弾炸裂/貴重な水/飢えと喉の渇き |

B-29の無差別じゅうたん爆撃 |
No.6 |
運命の日!
ついに米兵に連行される |
父たちの背中の意味/2発の銃声/敵兵か?/デテコイ デテコイ/利夫を連れ去る/母の決断 |

米兵に保護される母と子 |
No.7 |
ススペ捕虜収容所
抑留生活 |
朝夕1個のムスビ/床のない小屋/弟2人の永眠/大量のゴミを埋めるような埋葬 |

ススペ捕虜収容所(日本人区画) |
No.8 |
収容所での
子供の遊び |
遊びを知らなかったわたし/ビー玉/野球/相撲/鬼ごっこ/バッタの飼育/天然色映画を観る/キャンプは情報のるつぼ |

ビー玉の中のマーブル玉 |
No.9 |
飢えから解放されたが・・・ |
日本人労働による食料の供給/月夜の散歩/学校らしきものが/学校が始まったが・・・/玉音放送など |

皇居前で玉音放送を聞く人々 |
No.10 |
憧れの日本本土に
上陸 |
母は帰還を決意/内地に帰る船内/トビウオの滑空/本土の山河/浦賀港に星条旗が・・・ |

引揚げ船、LST |
No.11 |
伯父の家から通学 |
日本での初体験/Oh,Mistake!/「茂夫は農業の手伝いを」 |

伯父の家で。著者は後列中央 |
No.12 |
大磯暮らし。
教員をめざして |
大磯へ引越し/4畳半生活/大磯小学校4年転校/父の幻像/伯父の言葉に発奮/念願の教員免許状取得/七面鳥先生、初の赴任 |

横浜市立高田小学校で教壇に立つ |
No.13
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ふるさとサイパン島
慰霊の旅 |
サイパン島再訪/蘇る幼い頃のサイパン島/戦争で一変した家族の運命/変わった島の姿 |

33年ぶりに弟2人が眠る墓地を参拝 |
No.14 |
反響と活動No.1
各媒体で社会へ
アプローチ |
CD版/新聞報道/冊子編集/スライドショー開催/高田小学校教え子同窓会出席/サイパン高女同窓会出席 |
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No.15 |
反響 No.2
サイパン被災者
宮川てる子さん手記
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飛び交う爆弾/3家族18人の逃避行/地獄絵/生存は18人中、7人だけ |
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No.16 |
反響 No.3
サイパン被災者
安楽多寿子さん手記
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自分の小水を飲む/甥の絞殺を兵士に頼む姉/生きる気力を失った姉の最後など |

昭和48年アスリート飛行場の日本軍戦跡 |
No.17 |
反響 No.4
リンクご協力 |
鳥飼行博研究室/横浜国立大学旧学芸学部同窓会「友松会」/大日本書藝院/私の人生論<思考が運命となる> |
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No.18 |
反響 No.5
読者のVoice-BoxⅠ
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著者に寄せられた読後の感想を一挙掲載! |
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No.19 |
反響 No.6
読者のVoice-BoxⅡ |
著者と編集室宛に寄せられた読後の感想文 |
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No.20 |
反響 No.7
安達ひろ子さん手記
「おばあちゃんの戦争体験」
(前編)
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戦時下の学校と生活/学童疎開/疎開先の生活など |

防空ずきんを持っての登校 |
No.21 |
反響 No.8
安達ひろ子さん手記
「おばあちゃんの戦争体験」
(後編) |
横浜大空襲/焦土と化す市街/父の無事/箱根から長野県へ/終戦/戦争の代償 |

焼け野原となった伊勢佐木町 |