著者のもとに寄せられたメール、封書、ハガキなどの読後感想文。それらと、「とうよこ沿線」編集室にきたメールを、ここに一挙掲載! 読者の皆さん、十人十色、記事への感想、戦争へのご意見、自らの体験談などさまざま……。

No.18 反響No.5 
読者Voice-BoxⅠ


著者宛  
著者宛

まず体験者から話を聞くことから……佐藤様(30歳の2児の父) (第1信

 読売新聞に掲載されていた記事を見て、栗原茂夫氏がまとめられた戦争体験記を拝読させていただきました。
 私は、現在30歳になり、2児の父親として妻とともに一家4人で横浜に暮らしています。2年前の8月に中国戦線で戦った祖父を病気で亡くしましたが、その祖父からは栗原氏が書かれたような体験を聞くことはできませんでした。それが今でも悔やまれます。
 戦争について、どうすれば二度と起きることがないのか、日本が自ら引き起こす戦争というものは、今日の世界情勢、日本国民の意識としてまずあり得ないことと思います。しかし、世界に起こる戦争がどれだけ悲惨で悲しいものであるか、それを知るにはこの日本が、日本人が直接体験した戦争をもって、その体験者から話を聞くことにより学べるものであると思います。
 そうして初めて、日本人の中に世界に起きる戦争、その“戦争”があってはならないむごたらしいものということを知り、世界平和を訴えることができるのです。
 このような体験記を、様々な形で紹介していくのは本当に貴重で素晴らしいことだと思います。
 戦争で失われた若い兵隊の命、そして犠牲となった民間人、彼らの犠牲を決して忘れることはありません。

 返信⇒佐藤様 この度は小生の戦争体験記を読んでいただいたうえに、「とうよこ沿線」へ感想をお寄せいただきありがとうございました。岩田会長から転送していただきました。
 平成5年夏、新聞投稿欄で「戦争体験談を直接聞きたい」という14歳の中学生の声に接しました。太平洋戦争の歴史が風化しつつある中でした。
 9歳の子どもであったとはいえ戦争体験をもつ小生は後生に伝える責任みたいなものを感じました。佐藤さんのような若い世代に、誠実に受け止めていただけたこと、とてもうれしく思いました。
 「戦争の愚かさ、平和の尊さ」に一人でも多くの方が気づいてくれることを強く願います。日本の将来を担う若い世代の方たちには、進路を誤ることなく、しっかり舵取りをしていただきたいと願うからです。

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聞いた体験談や学んだ知識を伝えていきたい……(佐藤様から第2信)

 ご多忙の中、わざわざ返信をありがとうございます。きっと反響がたくさんあるのだろうと思っておりましたので、まさか返信をいただけるなどとは思っておりませんでした。
 戦争体験記、初めて民間人の視点からの生々しい戦争体験を読みましたが、父を亡くされ、さらに2人の弟を立て続けに亡くされ、現在父親となった私には、子供の死というものがどれほど想像しがたい程の苦痛かがよくわかり、お母様の悲しみは戦争の渦中とあっても、耐えがたい悲しみだったことでしょう。
 ただ、それを押し殺して、とにかく歯を食いしばって前へ進もうとする今は失われてしまった、その精神力には脱帽です。だからこそ、私は戦時中を生きた方々を尊敬して止みません。中には、どうしようもない人もいるのでしょうが…。
 父、弟を亡くされた体験記は、流すように書かれていましたが、思わず涙しました。 「こんなことがあっていいのか」と思わずにはいられませんでした。
 私も、できる限り、自分の子供たちと将来、戦争とは…ということについて、話し合い、私が聞いたあらゆる体験談や学んだ知識を残さず伝えていきたいと思います。それが、偉大なる先輩たち(戦争で亡くなった人々、戦後復興を支えた人々)が命を賭けて守り、そして作った日本という国への恩返しだと思います。
 まだ30代になったばかりの私にも堪える気候で、日ごろ体を鍛えていてもどうこうなるものでもないようです。栗原様にあっても、くれぐれもお体をご自愛くださいますよう、どうかお元気でお過ごしください。
 まだまだ若輩者で、つたない文章ですが、返信への感謝の気持ちで書かせていただきました。ご多忙のことと思います、返信は結構ですのでその分の時間を有意義に使っていただければ幸いです。
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◆語り部として尽力を……芦野 鐵男様(大学時代の同期生。昨年サイパンへの慰霊の旅に同行)
 今朝の神奈川新聞で栗原さんの記事を拝見しました。写真も記事も栗原さんらしさを伝えていていいと思いました。敗戦から66年、あの悲惨な歴史を風化させてはいけないと思います。これからも語り部として力を尽くして欲しいと願っています。

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◆戦争は何とむごいことでしょう……本多 秋子様(大学時代の同期生)

 読売新聞に載ったのですね。家は朝日新聞なのでコピー頂き読ませて頂きました。あれから田舎に行く前に、続きを最後まで読ませて頂きました。
 本当に記憶と共に丹念に調べて、書かれた事に感動しました。とりわけお母様がどんなに一生懸命お子様達を守り、働き通されことかと思うと、涙が出る思いです。しかも、記録に残されたということは、とても賢明な方だったのですね。
 お父さんを中心に素晴らしいご家庭を築かれていたのに、何と戦争はむごいことでしょう。亡くなられたお父様やお二人の弟さんのためにも、本当に良い記録をまとめられましたね。
 私は4人兄弟の末っ子で、みんなのあとにくっついていただけなので、そんなにつらい思いをしたわけではありません。でも、長兄は大学を出たばかりで、南方に連れて行かれ、20年5月にビルマで戦死しました。それも華々しい戦死ではなくジャングルの中を逃げまどう途中、アメーバー赤痢にかかり落後し手榴弾で自爆したらしいです。本牧の自宅の近くで東京や川崎の空襲の様子は見ていまして、未だに忘れられません。
 B29が上空を飛んでいき、パラパラと焼夷弾を落としていき、その直後空が真っ赤に燃え上がって行く様子が目に焼き付いています。その後、20年の2月頃でしょうか、自宅周辺が、延焼を防ぐための取り壊しに遭い、通っていた大鳥小学校も全員が箱根に学童疎開に行くことになったのを機会に、両親の実家の岐阜県のほうに一家をあげて疎開したので5月の横浜大空襲には遭わずに済みました。自宅が取り壊しにならず、私が安達さんのように、箱根に学童疎開に行ったら、もしかして一家全滅になり、私は戦災孤児になっていたかも、と思うと取り壊しになって良かったのかもと思います。
 戦争の記憶が薄れ行く中、平和の大切さを思い出させて下さって有り難うございました。
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誇らしいこと……角田 祐造様(大学時代の同期生)

 私達の仲間から、好評の声が届いています。本人も喜んでいて、すぐメールをもらいました。同期の体験が、HPや新聞に載ることは、本当に誇らしいことです。友松会のHPに載せることにご同意下さり、感謝しています。本当にありがとうございました。

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◆記憶が鮮明に蘇った部分……著者の実弟で登場人物、栗原 利夫様(名古屋在住)

 この度は手記を送付いただきありがとうございました。
 あまり触れたくない部分も含め、これが本当のノンフィクションなのだとの思いを強くしました。早速書道教室の仲間に披露しましたが、年輩の人々の集まりで、冊子が一巡するまではかなりの時間を要すると思います。
 新聞の記事に対して4~5人反応があったと聞きましたが、お互いにいい刺激になればよいと思います。
 手記を読んでの感想は別紙の通りです。新たな反応があれば教えてください。

 「ドキュメント 少年の戦争体験」第6章
 
 サイパンの命運を分けた昭和19年6月11日と言えば、まさに私(利夫)の7回目の誕生日を5日後に迎えようとしている時だった。まだピカピカの国民学校1年生だった。(註 ジャングル学校の)
 鮮明に記憶している部分はごく僅かである。
 3度にわたる慰霊の旅でサイパンを訪れ、幾分かは記憶の補填ができたかなと思いつつも、フィルムは決してつながってはいなかった。
 この度手記を読んで鮮明に記憶が蘇った部分は、私が洞窟から米兵に連れ出された以下の部分だった。

第6章、米兵が洞窟内に侵入し降伏を迫る


 外には大勢の米兵と見たこともないほど多くのジープ、大型軍用トラックの列だった。米兵は親切に水を飲ませてくれ「中に兵隊さんいる?」と聞かれた。「いないよ」というと、両手いっぱいのキャンデーを握らせ元の場所へ帰してくれた。
 母から「戦車いた?」と聞かれ「いっぱいいたよ」と答えた。戦車など一度も見たことがなく、ジープやトラックを見たにすぎなかったのだが、母は、全員轢(ひ)き殺されるものと諦めたのかもしれない。ともかく一つの大きな節目だったと思う。

 
 通読して自分史としてのつながりがなんとかできたのではないかと感謝している。戦争は二度と繰り返してはならない。そのためにもあの大戦を単なる歴史の1ページと片付けてもらいたくない……と強く思う。
 “♪さらばサイパン島 また来るまでは……”を口ずさみながら、手記として公表してくれた兄と“とうよこ沿線”のホームページに掲載してくださった岩田忠利さまに厚くお礼申しあげます。
返信⇒ 洞窟の外で弟が目にした風景、洞窟内に戻されて母と交わした会話は重要です。執筆にあたって取材しなかったことが悔やまれます。著者・栗原茂夫

返信⇒

 この場面は本編でもっとも重要な場面、いわゆるハイライトシーンです。当事者の利夫様から新証言を頂戴しましたので、著者のお兄様と相談し、加筆して編集しなおししたいと思います。編集者・岩田忠利
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◆栗原都さんにあの世でお会いしたい! ……佐藤 淳子様(大学時代の同期生)

 猛暑の候、もっともっとHOTなお便り有り難く、うれしく拝見いたしました。
 以前からサイパン島での出来事など伺っておりましたが、栗原家の戦争体験を、こんなリアルに受け止めることができましたのは、今回の資料のリアリズムとご一家の人生に対する誠実さが裏打ちされているからではないかと思いました。久しぶりに心の洗われるような静かな感動を味わいました。

佐藤淳子様撮影「自宅から見たダイヤモンド富士」

 読売新聞の記事からホームページを開くまで少し時間がかかりました。こうした作業は初めての体験だったからです。2~3日モタモタしていましたが、夫に助けられてやっと開くことができました。私のように開くことができない希望者がいらっしゃいましたらご活用ください。(註……紙媒体の手記が同封されていました)
 栗原都さんは素適(敵ではありません!)な方ですネ! あの世でお会いしたいです。

返信⇒

 過日は拙稿に感想をお寄せいただいた上、プリントアウトされた手記をお届けいただきありがとうございます。
 書かれているコメントは内容・表現とも磨かれた宝石のように感じられました。繰り返し拝読するうちに、なにか言霊のようなものが感受され、やはり詩人の文章だな、小生も言霊の礼状を……と思いつつ日数を重ねてしまいました。が、結局散文的な人間は散文的な文章しか書けないので、謝意だけはしっかり伝えねば……と筆を執りました。
 亡き母との約束や「戦争体験者から生の声を聴きたい」という14歳の中学生の投稿に応えたいというのが手記執筆の動機でしたが、国語7期で話題提供の機会を与えていただいたことも契機の一つとなりました。
 あのとき「限られた時間ではとても語りきれないな、やはり書かねば伝えられないな」と思ったのでした。今回は同期の方々にお読みいただき不完全燃焼のもやもやは消えました。
 新聞記事のおかげで「ススペ民間捕虜収容所」の1年半をともに過ごした4人の方と連絡がとれ、先日2名の方と直接お会いしました。お二方とも栗原一家とは比べものにならないくらい悲惨な体験の持ち主でした。
 同封のコピーは30歳の若い父親からのメールです。戦争を知らない世代の言葉としてありがたく読ませていただきました。
横浜市や藤沢市の歴史教科書採択問題を報道で知り、戦争の歴史をこのまま風化させてはならないという思いをますます強くしているところです。
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◆戦争による苦労に感銘……笹尾 拓義様(高校時代の同期生)

 パソコンのホームページで手記を読ませていただきました。戦争による苦労をされた様子を知り感銘を受けました。貴兄がサイパン島生まれであることを初めて知りました。
 高校時代の友人数人に新聞のコピーを渡し、手記の一読をすすめておきました。
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◆ご母堂との合作が素晴らしい……越見 正毅様(大学時代の同期  高田小学校時代の同僚)

 とうとう書きましたね
 いま、8月6日(土)の読売新聞「横浜」版を見ています。あいにくホームページ休止中ですから「とうよこ沿線」の手記はすぐには読めませんが、記事と貴兄からの話で「サイパンでの極限の飢えと渇き……」の筋書きはわかります。
  ご母堂との合作というのが素晴らしい。

◆第2信  PRの反響が出てきました

 福井経正氏(80歳 金沢区 元東京都の役人)の電話をメモ
 カラー版でダウンロードして読んだ。返信するのは面倒なので伝えてほしい。ともかくよかった。情況がよくわかる(よかった箇所の指摘あり、新聞記事の箇所と重なる所多)。
 「とうよこ沿線」とのタイアップもよい。写真などが入り、広告が狭まって見やすくなって私家本より良い。新しいメディアで成功している。

◆第3信  貴稿への反響……松本慶之氏(67歳 小平市 元東京都私立中高教員 同人誌主宰)からの葉書

 小誌も同人のシベリヤ抑留体験の画文集を上梓したことがあります。栗原氏のお作同様、大震災の今年こそ日本の過去やこれからを、深く吟味する必要を感じています。

◆第4信 2時間余で一気に読了

 紙媒体と神奈川新聞の記事ありがとうございました。2時間余で一気に読了しました。
 小生のPRでは「原文を読んでいない無責任さですが……内容・表現ともに推奨に足る……」と送ったのですが、まさにその通りで、優れた文章です。
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◆心乱された大磯時代の話……今野 宏子様(小・中・高の同期生)

 リアルタイムであなたの「外側」をずっと見ていた大磯時代の話は、多くのどんな人のどんな文を読むより心乱されました。こんな可愛い男の子をお母様はどんなに守りお育てになるのに心砕かれたことでしょうね。
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◆子どもたちに読ませたい……芳野 菊子様(大学時代の同期生)

 節電に努めておりますと猛暑が堪えます。
 「ドキュメント 少年の戦争体験」を拝読して、そんな暑さも吹き飛んでしまいました。
 サイパンで幼年期を過ごされたことは直接ではないまでも伺っていましたし、芦野さんと慰霊の旅をされたことも彼の紀行文で知りました。
 けれども今回の体験記を拝読し、想像を絶する体験をされたことを知りました。沖縄や広島での戦争体験もたくさん読みましたが、身近で共に学んだ仲間と思うと、身が引き締まります。
 子どもたちに読ませたいと思います。よいお仕事をなさいました。

企画/編集 岩田 忠利(サイト主宰者)
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