◆平和の尊さと命の大切さを伝えて欲しい……新井 春海様(山下小学校の後任校長)
今朝、神奈川新聞を見て先生の回顧録の記事を拝読しました。山下小学校がご縁で先生にお会いできました。懐かしさのあまりお手紙を差し上げました。
当時新任の校長として山下小学校に伺った際、親切に引き継ぎをしていただいた先生のお人柄に感動したこと今でも忘れません。
ご幼少時代厳しい戦時下の生活を送られた先生の人生の歩みが、初めてお会いした時の温かさに関わりがあったのかと改めて知りました。
それに比べ、新潟の片田舎で貧乏ではありましたが、両親も健在、兄姉も健在、戦争の怖さも体験しないまま育ったわたし。世の中に対しての甘えをはじめ何事も中途半端な人間になってしまいました。
亡き両親のためにも「永く~」生き、平和の尊さと親は無論のこと、人の命の大切さをひとりでも多くの人々に伝えていただけることをこころよりお願い申しあげます。
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◆手記が両親、弟へのご供養……本多 はる様(第13章登場の学級1年~4年の生徒)
栗原先生の「ドキュメント 少年の戦争体験」の手記を息子がコピーしてくれました。胸熱く一気に拝読しました。そしてまた静かな心で読み返しております。
文章に所を得たイラスト、写真など……、残された者の癒えることのない心の痛みが深く感じられて、老いの涙腺が緩みっぱなしです。
常夏の島サイパンで明るくのびのびと育てられたお子たち、その成長をどんなにか楽しみにしておられたであろうご両親、穏やかで幸せなご一家の様子が1枚の写真から察せられました。
それがあの忌まわしい昭和戦争に突入し、米軍の空襲、1年半余にも及ぶ抑留生活、父上の消息不明、弟さんの死、どんなに辛かったでしょう……。とりわけ、母上様のお心はいかばかりであったかとお察しいたします。
第13章まで事細かくわかりやすい文章で戦争の残酷さ、悲惨な体験を如実に綴られていて、戦争のない平和の大切さをしみじみと感じました。
母上様ご存命中にサイパンで33回忌のご供養をなされたこと本当によかったですね。この手記がご両親様、亡き弟様への何よりのご供養と存じます。
母上様のご苦労は女の身としてさぞやと身につまされます。ご主人亡き後、どんなにか心細かったでしょうに・・・。聡明な方であられたと推察いたし頭が下がります。
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◆Web掲載に敬意……本田 輝様(大学の後輩。同窓会会誌<友松会>同人)
戦争の語り部が高齢化し減っていくなかで、貴重な体験をインターネット上で公開されましたことに敬意を表します。
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◆もうひとつの教育の仕事……佐々木 孝様(初任校が同じで「高田会」の仲間)
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佐々木孝様の木版画「母」 |
今朝神奈川新聞を拝読いたしました。これまで栗原先生に何度もお会いしたにもかかわらず、その影を微塵もお見せしなかったお姿にあらためて深い念を懐きました。私たちにはまだまだしなければならないことがあることも実感しました。
この記事はきっと多くの方々の心を動かしたと思いますね。もうひとつの教育のお仕事なのかもわかりません。
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◆小・中学校でも体験談を…… 杉山昌子様(退職公務員連盟港北支部長の前任者)
サイパン島は戦争時の激戦地という認識のみで、この地に民間の方々がおいでだったということにびっくりいたしました。
それはそれは大変な思いをされたことと胸がつまり、言葉もございません。小・中学校でもぜひお話してあげていただきたいと強く思いました。
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◆ 過去の思い出……入内嶋周一様(初音ヶ丘小学校時代の同僚)
読売新聞で栗原先生の記事を読んで懐かしく思っておりました。かつて先生から過去のことを伺ったことを思い出しておりましたので……。
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◆初めて知ることばかり……柏村 茂様(横浜市小学校国語研究会の先輩)
貴重なサイパン嶋での「少年の戦争体験」の手記を拝読しました。やや活字が小さいものの、イラストや写真がいっぱい。一息に読ませていただきました。
現職中、互いに国語教師として語り合ったり、ご指導いただいたりした栗原茂夫さんが、こんなにご苦労をなさったのか……と驚きました。おっとりとしたお人柄、謙虚な行動、熱心な研究の姿勢と、ご本人をよく知っているつもりでしたが、初めて知ることばかりでした。ご尊父や弟さんたちが命を失ったにも関わらず、綴られた文章は淡々と書かれています。悲しみを抑えてお書きになっている気持ちが、かえって読み手の心を捉えます。
終戦当時、私は小学校6年生でした。東京の家は爆弾で焼失。そればかりか祖母はそのときの爆風で飛ばされ大腿部を骨折する重傷を負うという思い出を持つのですが、栗原茂夫さんの経験はその上をいきます。
この貴重な体験を是非たくさんの方々に伝えていただきたいと思います。
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◆ 映画を観ているような気持ちに……鈴木 貴雄様・香理様(長女夫妻)
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浜ナシと本書冊子版 |
茂夫おとうさん、浜ナシ届きました……。
ドキュメント冊子ありがとうございました。つれづれ拝読させていただいておりますが、昭和の時代とリンクして、挿絵や写真につれ映画を観ているような気持ちで回想が広がります。
ホームページは、知人とのメールなどにリンク先を添付して紹介させていただいております。
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◆ どう感動を伝えるべきか……福田 三郎様(神奈川国語乃会の研究仲間)
「ドキュメント 少年の戦争体験」の一頁一頁にこもる先生のお人柄に改めて心うたれながら読み終えたところです。
パソコンでプリントアウトされた数十頁の労作、なによりもかけがえのない命の今あることをかみしめつつの栗原先生のご体験をこのような形でお聞かせいただいたことに、私はどう感動を伝えて、お礼を述べるべきか心がさだまりません。……改めて感想をまとめてお送りしたく思います。
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◆まとめ方に興味…… 山田 達治様(神奈川県退職公務員連盟前会長)
貴重な体験をどんなふうにまとめ上げられたのか大変興味深く存じます。
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◆2度のお便りを…… 大内 義徳様(「戦争の落穂拾い」の一環として2度聞き取り調査を受ける)
私はサイパン高女の方々から聞き取りをしましたが、同時の小学生がみた戦争体験は貴重と存じます。
「サイパン島の最後」「サイパン最後の日」その他将校の書いた手記等はウソばかり書いています。「少年の戦争体験」を批判的に読みました。ドキュメントの題名に恥じない記録として資料的価値は大と存じます。
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◆外地での実体験に感動……尾形 暢子様(大学時代の同期生 書道の縁)
今まで聞いていた戦争の悲惨さとは異なり、同世帯の方の、また外地での実体験は心と身体の奥まで動かされました。また母親として、お母様の心の動きに添って読み進むと胸が痛みます。
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◆通読できない重さ……竹内 勝巳様(横浜市教育研究所研究員の先輩)
先日は「栗原茂夫少年期」を頂戴いたしました。通読し、通読できない重さを感じました。感動です。 ※「ドキュメント 少年の戦争体験」
立ち止まって瞼を閉じ、己を振り返ること度々でした。数年、時間はずれていても、少年期の体験の重なる部分が多々ありました。それなのに、私にはこれほど鮮明に、これ程真実に自分の体験も感情も伝える術はありません。老いたからではなく、ペンの力がないのです。
あなたのペンの力に惚れ惚れします。才を磨かれた結果の才。ふと「四四三草」の修行か? 研鑽の賜かと思ったりします。 それに、読ませるための文法が読者(私)を魅了してやみません。短い文章の連鎖式は、全体の文意を効果的に伝えてくれました。いってみれば、段落毎の文意が読者に鮮明に響いたということですね。私はこの文法にのめりこんで読みました。(いや、読まされました)
茂夫少年の実態に触れた思いで感謝です。ここを通してサイパン島のことを知りました。地図上の小さい島、そして60年も経っていく異国。そんな漠然としたイメージを、茂夫少年を通して目のさめるような島に仕立て直してくれました。
母の残した幹に葉を繁らす、母子の結晶のように思いました。
「軽度難聴の微笑」を、あなたはさりげなく語られました。勇敢なことです。人格のことです。私は人格を尊重してやみません。
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◆経験を生徒に話すべきか悩んでいたのでは?……K.matsuda様(読者)
昭和28年生まれの私ですが、今まで父の戦争の話やメディアの放送の範囲で悲惨な状況を認識しておりました。が、ハワイ、ブラジル……以外のサイパンでも開拓の人々がいたことは知りませんでした。伝えるべき話に感銘をうけました。
想像ですが、おそらく栗原さんは教師時代自らの経験を生徒に話すべきか悩んでいたのではないかと感じました。前を向き、教えるべき事が未来に向かうように教鞭をとっていたのではないでしょうか。事実は、やはり教師を離れ語れるべき事実のような気がしました。
岩田さん、これからも郷土のみならず様々な情報発信をお待ちしております。ありがとうございます。
返信⇒ 拙稿をご一読いただき感想をお寄せいただきありがとうございます。
初任者として教職についたころ、平和教育の一環として「横浜大空襲」について子どもたちに語り聞かせることになっていました。わたしは「大空襲」より実体験のある「サイパン島の戦禍」について語るべきと判断し、以来ずっとそのようにしてきました。
6年生を担任したときのことです。今西祐行の「ヒロシマのうた」という教材がありました。原爆被災者の悲惨な状況を描写した部分を音読したとき、子どもたちの中から笑いがもれたことがありました。それから「戦争体験」を伝えるわたしの姿勢はいっそう真剣さを増しました。教室以外ではほとんど語ってきませんでした。
今は違います。一人でも多くの方に「少年の戦争体験」を読んでいただきたいと願っています。著者・栗原茂夫
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◆戦中、戦後の悲惨な生活がなければ……「とうよこ沿線」バンクーバー支部・山下 俊忠様
「ドキュメント少年戦争体験」の企画編集ご苦労様でした。
私は戦争体験の記憶のある最後の年齢と思われます。戦争中、姉と兄は集団疎開で地方に行き、私は自由が丘の自宅から若草幼稚園に通い、目黒区立緑ヶ丘小学校に終戦の翌年、昭和21年に入学しました。ですから戦争の記憶が多少ある程度で
す、
この体験記を拝見し戦争の恐ろしさ、悲惨さ、戦争は勝っても負けても後味の悪い結果が残り、人生を無駄にしているのみと実感しました。
戦争中と戦後の悲惨な生活 が無ければ私どもの年齢層はもっと飛躍していたことでしょう。
体験記を書かれた栗原茂夫さんはよく資料を残され、岩田会長がドキュメントとは言え、実際の戦争中を思い出すリアルな編集に感銘いたしました。
えんせんシニアネットで一部興味深く見させて戴きましたが、連載の終末までを編集していただき再度読み直したいと思います。この体験記は貴重な資料となることでしょう。
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◆2代にわたる体験は貴重……群馬のO.Etsuko様(元当編集室・編集委員)
新連載を早速拝読させていただきました。
「う~ん、心にひびきます」。実家の両親よりも少しお若いのに大変な御苦労をされたのですね。
3年くらい前のことだったでしょうか、お正月に夫の実家で皆でお祝いをしていた時に夫の一番上の姉の孫が「ひいばあちゃんに戦争のことを聞く宿題がある」と言い出しました。そして皆が義母を囲み、話を聞きました。私の母とは一回りも違う義母の話に、もしかしたら私が一番身を乗り出して聞いていたかもしれません。
終戦間際にまだ子供だった実家の母、海軍の志願兵で戦地には行っていない父の話とはだいぶ違っていました。
多くを語らなかった今は亡き義父から一度、終戦時に旧満州にいた話を聞く機会があって、「そのときに何を思ったのか、どういう経路で日本に帰ってきたのか」と根掘り葉掘り聞いたことがありました。その話を夫たちにしたら「悦子さんすごい。ほとんど話したがらないのに……」と言われたのですよ。最近、戦争を語れる人はほとんどいなくなりました。本書は母上と著者との2代にわたる体験に基づく事実をまとめられた非常に貴重なお話です。たくさんの人たちに伝えていって欲しいですね。
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◆戦争の悲惨さをいかに伝えていくか……伊藤 幸晴様(「港北ふるさとテレビ局」代表)
NHKの朝のテレビ小説でも戦争の時代になり、戦争に対して、考えることは多いですね。私は戦後生まれですが、息子や娘たちにどのように戦争の悲惨さを伝えて行くのか。これは永遠の課題です。親自身が体験していないのですから……。文章や写真や動画で伝えられるものは、やはり限りがあり、撮影をしていても、視聴者にいかに多くのことを伝えられるのかは、やはり永遠の課題でしょう。
それぞれが出来ることを次の世代に伝えて行くしかないのだと思います。
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◆戦争を知らない世代ですが…… 作美 陽一様(読者)
私はいわゆる戦争を知らない世代です。サイパン島がかつて日本領であったことなど、今では、ほとんど忘れ去られているように思います。
そのサイパン島で生まれた方の手記、たいへん貴重な資料になると思います。
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◆あの時代に生きた方々の頑張り……東谷 満様(読者)
サイパン島のことは、私(昭和34年生まれ)は詳しく知りません。
今回読ませていただき、当時の方々の苦労がわかりました。(チンク油は今でもかぶれで使用されてますね)
今の日本があるのも、あの時代に生きた方々の頑張りにあるのだと思います。残念ながら、今の日本は少し違う方向に行ってしまっているような気がしますが、私にはどうすることもできません。
岩 田様のHPを私の知り合いにも紹介させていただきます。
今後もHPを定期的に覗かせていただきます。
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◆情報提供ご協力の鳥飼先生のお便り……鳥飼 行博様(東海大学教養学部人間環境学科教授)
岩田様が作成されました栗原茂夫様「 ドキュメント 少年の戦争体験」サイトの体験を読ませていただきました。実際の空襲の様子、米兵にどのように連行されたか、抑留生活などいままで知らなかったことがわかり、大変勉強になりました。このような貴重な体験を公開してくださいました岩田様にお礼申し上げますとともに、栗原様のご健康をお祈り申し上げます。
ご利用いただきましたサイパン戦のサイトや、戦争平和リンク集(http://www.geocities.jp/torikai007/war/war-index.html)などに次のような紹介を掲載させていただきました。問題があればご指摘くださいませ。修正いたします。
◆サイパン戦生き残った 栗原茂夫さんの「 ドキュメント 少年の戦争体験」を「とうよこ沿線」主催者の岩田忠利さんが作成された。サイパンでの生活、米軍上陸前の空襲、逃避行、米兵による連行、
ススペ捕虜収容所抑留から帰還後の慰霊まで、体験記が綴られている。
これからもよろしくお願い申し上げます。
返信⇒ 鳥飼先生にはこのたび、大変お世話さまになりました。先生主宰のホームページ掲載の戦時下の貴重な写真を転載させていただいたうえに、当方サイトをリンクしてご紹介くださったこと、まことにありがたく、感謝のことばがございません。本当に、本当にありがとうございました。岩田忠利
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◆親孝行された栗原さん……石川佐智子様(えんせんシニアネット会員)
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石川佐智子様撮影「カイノキの紅葉」 |
栗原茂夫さんの「ドキュメント戦争体験」を読みおわり、サイパンでの戦争体験を初めて知りました。
私の戦争体験は小学校2年のとき、日本国内で、とても悲惨な経験をしましたが、 「サイパン」での体験、毎回興味深く読みました。 ジャングルでの勉強、弟さん2人を次々と亡くされ、本当にやりきれない気持ちだったでしょう。とくにお母様の気持ちを考えると……。 お父様も銃に撃たれ、ついに親子3人になり寂しい思いをなされたことでしょう。 無事に日本に帰国されホッとされたでしょうが、その当時は日本は食糧難でみんな大変な生活をしていました。
栗原さんはお母様の希望どおり国立大学に進学され学校の教師になられ、親孝行なされました。さぞお母様もお墓の中で喜んでいることでしょう。今後のご活躍をお祈りしています。
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◆小さな平和な島が大戦争に巻き込まれたのだから……浦野 勝雄様(高校時代の友人)
(プロローグ編を読んで)また素晴らしい企画を始めましたね。拝読させていただきました。
小生も太平洋の島国でパンの実を食べながら調査活動をした経験がありますので、島国の生活はよくわかるような気がします。小さな平和な島が、大戦争に巻き込まれたのですから、たまったものではありません。
我々の世代の人たちはそれぞれ苦しい過去を持っているのでしょうから、それぞれの人が自分史を書けるわけですね。連載を楽しみにしています。
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◆本編を読むのが楽しみ……一坪 泰博様 (大手出版社の編集者)
(プロローグ編を読んで)サイパン出身の方、もちろんいらっしゃるのでしょうが、そういうことはなかなか思いつかないものですね。ゆっくり拝読いたします。
昨夜この話を同僚にしたところ、見たいという編集者が何人かいたので紹介しました。
3年前「全集日本の歴史」という全16巻の本を刊行したのですが、そのさいに担当した横浜国立大学の大門正克教授と、15巻『1930年代から1955年 戦争と戦後を生きる』を作りました。外地へ出稼ぎ、あるいは植民、そして戦闘で出て行った人たちの動向を追いながら、それぞれの立場の戦争を描くことに主眼をおきました。
栗原さんの文章もまた、栗原さんの体験した外地での戦争、そして内地での戦後がテーマのようです。楽しみにしております。
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◆一文無しから復興した日本が不思議……佐藤保子様(元当編集室・編集委員)
私も同年代です。終戦が国民学校3年生です。幸い一家で奥多摩の農村に疎開していましたので実戦には遭いませんでした。その後の貧乏な生活は日本人全員でしたから不思議にも思いませんでしたね。あの一文無しから今の日本の姿にどうやってなったのか、その方が不思議です。
「少年の戦争体験」、どんなにご苦労だったことかと思います。(プロローグ編を読んで)楽しみに待っていますという言葉は不謹慎かと思いますが、続編を読ませてください。
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◆戦争の記録映画は見ましたが……北野宏一様(当パソコン教室受講者)
25年程前に妻の実家のある沖縄へ行き、ひめゆりの塔、壕などを見学しましたが、とても悲惨な光景でした。
戦争体験者が少なくなり、日本が戦争をおこしたことすら知っている人が、少なくなりつつある今日この頃です。
私も戦争の記録映画は見たことがありますが、体験録には程遠いように思えます。
(プロローグ編を読んで)本編の体験録をぜひ読ませていただきたいと思います。
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◆戦争を話さなかった父に対し栗原さんは……北澤美代子様(えんせんシニアネット会員)
「少年の戦争体験」の反響に驚いております。
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北澤美代子様撮影「ゲンノショウコの花」 |
私は、戦争の記憶は、ほとんど、いえ全くないと言えます。
栗原さんの体験談、そして偶然にも同じサイパンの学校の同級生だったという宮川てる子さん、5人の家族の命を失い「いったいこの戦争は何だったのだろう?」と嘆かれる安楽多寿子さんの手記は、目をそらしたくなるほどでした。
戦争は、勝っても負けてもつらい思いが残されます。考えてみれば、すでに他界した私の父も、戦争に駆り出された人間であったはずですが、一度もその事について、話をしてくれたことはありませんでした。やはり、話すことに抵抗があったのかも?
栗原さんは、お母様が残された資料があったとは言え、幼い少年が当時のことをよく覚えておられることに驚きました。栗原さんが体験談をこのような形で遺されるには、いろいろの迷いや葛藤もあったことでしょうが、強い意志で語られたことは、とても立派で有意義なことだと思います。
栗原さんも、宮川てる子さんも、安楽多寿子さんもよく書かれたと感銘を受けました。 「これからは、語り部として……」と書かれておられますが、お元気でご活躍されますようお祈りしております。
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◆読んでいただきたい安達さんの手記……石川佐智子様(えんせんシニアネット会員)
安達さんの投稿を大変興味深く読ませていただきました。
今まではサイパンでの戦争体験が多かったのですが、日本国内での戦争体験が(当サイト第20章と第21章に)掲載されたのは、初めてなのでは?
私も安達さんと同年代です。私は甲府で昭和20年7月6日夜、B29の空爆に遭い、市内全体が焼け野原。翌朝、死体がゴロゴロとしていて、目を覆いたくなる無残な光景でした。
私達家族は逃げ回り全員無事で、家も焼かれずにすみましたが、食糧を購入するのに父(戦病死)は亡くなっていますので、母は大変苦労しました。また、あの当時は「お米の通帳」が身分証明書だった記憶があります。
安達さんの投稿は詳しく書かれてあの当時の様子が良くわかり共感できます。皆さんに、とくに若い人たちにぜひ読んでいただきたいと思います。
「東日本大震災」が忘れかけていた戦争体験を思いださせてくれました。平和ボケしていた私たちには、あの大震災は良い教訓になりましたね。
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