その8
題字 書家・新舟律子
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41. 鳥海山の森の主「あがりこ大王」は巨木ブナの別称

奇怪な姿、7.62メートルの幹の太さはまさに森の王様「あがりこ大王

名 称 林野庁選定「森の巨人たち百選」
中島台レクリエーションの森の
あがりこ大王
樹種 ブナ科ブナ属
樹齢&
大きさ
推定樹齢300年。樹高約25m 目通し幹周り7.62m
所在地 秋田県由利郡象潟町横岡字中島台
行き方 /JR羽越本線「象潟駅」から14km 30分
詳しくは象潟(きさかた)町役場商工観光課
                   TEL(0184)43-3200(代)

中央の枝の青く見える個所はキノコが生えたため腐食処理をした痕です

「あがりこ大王」を前にした私たち、その大きさと異様な姿にただただビックリするだけでした

生い立ち&
見どころ

 鳥海山北麓の中島台レクリエーションの森の中に生えるブナの巨木です。全国の数ある巨樹・巨木の中から「森の巨人たち百選」に選定された「あがりこ大王」は森の主とも言える樹形を誇り、幹周りは、7.62メートルあり、奇形ブナとしては、日本一の太さです。

 ここの奇怪な形をしたブナは「あがりこ」と呼ばれています。昔、村人が炭の材料として雪上から出たブナの幹を伐り、それを年ごとにくり返すうちに切り口がコブ状に盛り上がっていったのです。「あがりこ」の呼び名は「芽が上がる」ことに由来します。幹が上がったところで、子に分かれている形から名付けられました。
 鳥海山の山深く、「あがりこ大王」は、中島台レクリエーションの森の奥で、人々のいとなみを約300年もの間、見守ってきました。大きく枝を広げ堂々とした姿は、まさに森の王様の威厳が漂っています。
 奇形ブナの原因は、豪雪、噴火、炭焼きでの伐採などの説があるそうですが、はっきりとはわからないとか。ブナ林のなかには炭焼き釜の跡が50基以上も見つかっていることから、炭焼き説も有力視されているとか。豪雪地帯のため 雪の上から木の枝などを伐採するので、そこから枝葉が伸びて、形が奇形になるらしい。

 横から撮った写真で青くペンキを塗ったように見えるところは、何年か前にきのこがたくさん生えたため腐食処理をした痕だそうです。
 今回思い切ってツワーに参加して 、神秘な奇形ブナの原生林を散策でき、森林浴もたっぷりできたことは思いがけない良い機会でした。
 ※「木花-world」23ページNO.17にブナ原生林と「あがりこ大王」の情報ブナノキのことが22ページNO.20に載っています。
  

取材・撮影

北澤美代子

撮影年月

2010年8月3日




42. ビルの谷間で逞しく生きる、本郷弓町の大クス

幹にしめ縄が巻かれ、根の周りを踏み固めないよう竹の柵。清掃も行き届き、よく管理されている

名 称 新日本名木百選選定/
文京区保護樹木
本郷弓町の大クス
樹種 クスノキ科クスノキ属
樹齢&
大きさ
推定樹齢600年。樹高20m 目通し幹周り8.5m
所在地 東京都文京区本郷1-28-32
行き方 地下鉄三田線「水道橋駅」下車、A6出口から徒歩7分
目通し幹周り8.5メートルは文京区内では一番大きな木。さらに大きくなってもらいたいが、ビルに遮られ、窮屈そう・・・。
生い立ち&
見どころ
 
 地下鉄の階段を登り、外に出たとたん、目の前にジェットコースターが空中を飛び交い、子どもたちの悲鳴が・・・。そこは後楽園遊園地だった。
 交番に飛び込み、若いお巡りさんにクスノキの大木のことを尋ねると、首をかしげている。地番地を告げると、「そこには保育園があります。それを目印に行ってください」と地図を広げて教えてくれた。そのとおり、保育園に着いたが、コンクリートの高層ビルばかり、大木らしきものは見当たらない。そこで、また同じ地番地内にいた人に道を訊くと、もう一本先の通りにあるという。
 
 あった、あった! ビルに囲まれた谷間の道路端に立っていた。堂々と根を張った根元、まっすぐ伸ばした幹、緑色濃く枝葉を広げた姿は威勢がいい。山の中や植物園で出合う大木や古木とは、出合いの喜びがまったく違って格別だ。「よくぞ、このコンクリート街でがんばっていてくれた!」と拍手を贈りたい。

 このあたりは江戸時代、旗本甲斐庄喜衛門の屋敷があった所だそうだ。余談だが、この甲斐氏は南北朝時代の武将、あの楠正成の子孫だった。周囲に与力同心の屋敷があり、御弓町と呼ばれていたが、明治時代の町名変更で本郷弓町になり、そして今は弓町の名はなくなり本郷一丁目となっている。だが、この町内には近代的なビル群の中に明治や大正時代にタイムスリップしたような古い木造の老舗旅館も今もがんばって営業していた。

 推定樹齢600年からみると、このクスノキは当の甲斐氏の屋敷だった江戸時代のずっと以前、西暦1400年代の室町時代初頭の頃から自生していた“自然木”であったことになる。京都の室町に幕府が置かれ、その幕府の財政軍事基盤が弱いため、政変が絶えず戦国時代と呼ばれ、下克上が頻発、さまざまな一揆が各地で起こった悲惨な時代であった。
 この地の郷土史には無知だが、ここ弓町は当時の武器の一つ、弓と何らかの因縁があるのではなかろうかと推測してしまう。

 このクスノキはそんな戦国の室町時代から日本の激動の時代をつぶさに見届けてきたかと思うと、感慨ひとしおである。

 ※日本一のクスノキの巨木は2ページNO.11に掲載。
   
取材・撮影 岩田忠利 撮影年月 2010年8月13日



43. 初代住職が種を蒔いた、建長寺のビャクシン

後方の三門(重要文化財)から仏殿(重要文化財)への参道両側に生える7本のジャクシンが、参詣客を先ず迎える

名 称 かながわの名木100選/
鎌倉市指定天然記念物
建長寺の柏槙
樹種 ヒノキ科ビャクシン属
樹齢&
大きさ
推定樹齢757年。樹高13m 目通し幹周り6.5m
所在地 鎌倉市山ノ内8 建長寺境内
行き方 JR横須賀線「北鎌倉駅」下車、徒歩15分

初代住職が中国から持ち帰って蒔いた種がこれほど大木に生長するとは・・


いかにも757年の歳月の重みを感じさせる
古木が右手奥に
生い立ち&
見どころ
 建長寺の拝観受付を通ると、まず重要文化財の“三門(ふつうは山門と書く)”をくぐると、参道両側の7本のビャクシン(柏槙)が目に入る。その下にある表示板に「開山(初代住職)蘭渓道隆が中国から持ち帰った種子を建長寺創建の際にまいたと伝えられている」と記されている。

 初代住職の蘭渓道隆は中国人。鎌倉幕府5代執権北条時頼が建長5年(1253年)に建長寺を建てたが、そのとき時頼に請われて初代住職に就き、ふるさと中国から持ち帰ったビャクシンの種を境内で最も目立つ場所に蒔いたそうだ。創建時から平成の現在までの年数を数えると、757年・・・。

 ビャクシン(柏槙)は、イブキ(伊吹)またはシンパク(槙柏)とも呼ばれ、庭木や生垣として植えられ、枝が捩れた木をよく見かける。しかし、これほど人を圧倒する幹の太さ、荒々しい樹形の様相を見るのは初めてだった。
 建長寺の拝観は6回目だったが、今回は境内入り口のビャクシンの写真だけを撮って帰ってきた。それでも拝観料300円也を今回ほどお安く思えたことはなかった。
 
取材・撮影 岩田忠利 撮影年月 2010年8月14日



44. 名松番付の横綱といわれる、善養寺の“影向の松”

地上2メートルの高さから四方八方、繁茂面積800平方メートルに力強い枝を伸ばし、それを支える幹

名 称 都指定天然記念物
新日本名木100選
善養寺の影向の松
樹種 マツ科マツ属黒松
樹齢&
大きさ
推定樹齢600年。樹高8m 目通し幹周り4.55m
所在地 東京都江戸川区東小岩2-24-2 善養寺境内
行き方 JR総武線「小岩駅」から京成バスで江戸川病院下車、江戸川土手沿い

東西30メートル、南北28メートルに枝を広げた左側

枝を広げた右側。中央が樹高8メートルの幹の部分

生い立ち&
見どころ
 能舞台の背景、老松のモデルとなった松が江戸川区小岩にある、という情報を耳にし、それを見たさに38度を超える猛烈な暑さ、熱中症もなんのその、出かけて行きました。
 新設されたJR総武・横須賀線の武蔵小杉駅からの乗車は初めてでした。直通、8駅で新小岩駅に着き、乗り換え1駅で都内の東端、小岩駅まで1時間ほどで行けるとは便利になりました。

 江戸川の堤防下、善養寺の境内にこの黒松はありました。四方八方、元気に枝を広げたその面積は800平方メートル。その枝の下に昭和53年7月江戸川区教育委員会製作の表示板、そこにこんなくだり。
 「この松は、樹齢六百年ともいわれ、枝の広がりの大きさと美しさは、全国屈指のものである。延享2年(1745)に書かれた「星住山星精舎利記」には当時すでに、境内7尋(ひろ)5丈の老松であったことが記されている。この松と並んで仁王門の左手には、名松「星降り松」があったが、昭和15年に枯れた。文豪大町桂月の紀行文「東京遊行記」にもこの松の一節が・・・・・・(以下略)」 

 名横綱栃錦は、ここ小岩の出身。昭和55年この境内で子供相撲大会が行われた際、栃錦は一門の栃赤城、舛田山、栃光ら関取一行を連れて参加して以来、平成2年までの20年間
毎年参加し子供たちを励まし続けたそうです。
 影向(ようごう)の松の木の下にその栃錦(当時は日本相撲協会春日野理事長)が贈った銅版プレートがありました。これには「日本名松番付の横綱に推挙する」と記されていました。
 それまでは香川県さぬき市に生えていた“岡野松”が日本一の名松と言われていましたが、1992年に立ち枯れし、今ではこの影向の松が日本一の名松と目されています。

 ※枝の長さが日本一といわれる京都・善峯寺の遊龍松が名木古木6ページNO.31に載っています。
取材・撮影 岩田忠利 撮影年月 2010年8月16日



45. 半身で懸命に生きる老木。延命院のシイ     

手前の幹の部分は枯れ、痛々しい。鳥が種を運んできたのか、実をつけたセンリョウが生えている

名 称 都指定天然記念物/
新日本名木100選
延命院のシイ
樹種 ブナ科シイ属
樹齢&
大きさ
推定樹齢600年。樹高15m 目通し幹周り5.4m
所在地 東京都荒川区西日暮里3-10-1
行き方 JR山手線「日暮里駅」西口から徒歩5分

右は隣地の塀。左側の境内に“半身”を伸ばし、懸命に生きる姿に声援を送りたい!

生い立ち&
見どころ
 右手は隣の2階建てアパートで塀に遮られて伸びられず、左の枝だけが威勢よく伸び、非常にアンバランスな感じ。植物の樹木は動物とは違って好きな場所に移動することができず可哀相・・・。樹木は与えられた環境で精一杯生きるしかない。この木を見ていると、そんな不憫な宿命に同情してしまいます。

 根元の説明プレート(都教育委員会設置)を読むと、以下のようなことが記されています。
 
 「延命院のシイは、天保7年(1836)開板の『江戸名所図会』巻5の『日暮里惣図』に、現在地と思われる位置に本樹の全容が描かれていて、当時から地域の人々に親しまれた老樹であることがうかがわれます。かつては幹周り5.5m(平成9年調べ)の巨樹だったが、2002年5月に幹内部の腐朽が原因で南側の大きな枝が崩落し、安全のため現在の樹形に保っている」
  
取材・撮影 岩田忠利 撮影年月 2010年8月16日

   
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