題字 書家・新舟律子
その2

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11.日本一の巨木。鹿児島県蒲生(かもう)町の大楠
左下の幹にご注目! 
なんとカギのかかった扉が付いています
名 称 国指定特別天然記念物
蒲生の大楠
樹 種
樹齢&
大きさ
樹齢1500年(推定) 樹高30m、目通り幹周24..2m、
根周り33m
所在地 鹿児島県姶良郡蒲生町上久徳 蒲生八幡神社境内
行き方 JR「鹿児島中央駅」から南国交通バス楠田行きで1時間、「八幡」下車すぐ

幹の太さが24.2メートルも・・・。根の上には根を傷めないようウッドブリッジが設置されています
生い立ち&
見どころ
 蒲生の大楠が日本の全樹種を含め、「日本一の巨木」であることが分かったのは平成元年6月のことでした。環境庁が初めて実施した「全国巨樹巨木林調査」の結果によるものです。

 この大楠はわが家から車で15分ほどの隣町、蒲生町の蒲生八幡神社の境内にあり、大楠のように子供たちがすくすく成長するように、初詣、安産祈願、子どもの七五三、七草など年中行事ごとに家族でお参りする、いわば、わが家の“守護神”です。その際必ず、この樹齢1千5百年の大楠の下で記念写真を撮ります。

 地元の人は、神社に参拝するたびに、畏敬の念をもってこの大楠を見上げます。大楠の幹は大きな山のようにどっしりとして、見上げると太陽の逆光の光で大楠の葉が鮮やかな緑色に見え、今を精一杯生きていることを感じます。悠久の時を生きているこの大楠から、今自分たちが生かされていることへの感謝の気持ちが湧き上がります。
 上の写真左下をご覧ください。幹にカギ付きの扉まで付いています。扉の中は直径4.5b、8畳間ほどの広さの空洞なのです。今から20年ほど前までは、幹に扉はなく、中の空洞に入ることができました。床は木の屑で割とフカフカしていて、上を見上げると十数メートルの所から外の光が射し込み、トトロの世界を彷彿する神秘な空間でした。

 平成8年に樹木医による“治療”と上場改良が施され、今では健康で四季折々私たちの目を楽しませてくれています。蒲生八幡神社には巨木が多く、カヤ、ムクロジ、モミなどの大木も見事です。もう一本の楠の大木(幹周り7.42m)もあります。
 皆さん、ぜひ現物、蒲生の大楠を見に鹿児島までお越しください!  
取材・撮影 柱 敦史(鹿児島県姶良郡姶良町在住)  撮影年月 2009年1月


12.都心に自生する樹齢600年の自然木、増上寺の榧

芝増上寺の創建前から、この場所に600年以上も生えている自然木
名 称 港区指定天然記念物
増上寺の(カヤ)
樹 種 イチイ科
樹齢&
大きさ
樹齢600年以上(推定)。樹高約25b 幹周り4b
所在地 東京都港区芝公園4丁目7-35 増上寺境内
行き方 都営三田線「 芝公園駅」 徒歩3分

痛々しい傷跡
生い立ち&
見どころ
 増上寺の資料には、このカヤについての記載は一切ないそうで、植樹されたのではなく自生木だろうと考えられています。推定樹齢も、増上寺移転以前の600年とされています。自然木として貴重であるばかりでなく、全国的に有数なものと思われます。
 公害や災害の多い都心にこんなに立派な巨木が残っていますが、幹を観ますと写真左の傷があり、痛々しい感じがします。江戸の大火か、関東大震災か、それとも戦時中の焼夷弾の被弾の傷跡なのでしょうか。長く生き続けられるよう、なんとか排気ガスをなくしたいものですね。 次世代に残していくためにも。 
取材・撮影 石川佐智子 撮影年月 平成21年(2009年)7月4日


13.地域を守る小机・住吉神社ご神木ムクノキ

このムクノキも神社創建前から生えていた自生木
名 称 横浜市名木古木指定
住吉神社のご神木 
樹 種 ムクノキ
樹齢&
大きさ
樹齢520年以上(推定)。樹高約30b 幹周り5b
所在地 横浜市港北区小机110 住吉神社境内
行き方 JR横浜線「小机駅」下車、南側へ出て上麻生道路を直進、「泉谷寺」という交差点があります。信号を渡り少し歩くと右側に住吉神社があります。小机駅から徒歩約15分。

高さ8mほどで2本に分かれて伸びる
生い立ち&
見どころ
 撮影でうかがった折、ちょうど神主さんがいらっしゃってお話を伺うことができました。神主さんがおっしゃるには、樹木類は神社創建当時からすでにこの地にあったのでご神木として大切に保護しているとのことです。樹齢とかは記録になく、役所の専門家の算定だそうです。

 樹高とか幹周りは、あくまで私が観測したものなので正確ではありません。が、太い幹が途中から2本に分かれ、見上げれば高さは30bくらいになりそうな巨木です。ムクノキは成長が比較的早く、大木になるため、日本では地方自治体指定の天然記念物が多い樹木です。
取材・撮影 石川佐智子 撮影年月 平成21年(2009年)8月9日 


14. ビールを飲んで益々元気、善養寺のカヤ(榧)

 
中央の空洞には昔、子ども二人が入って遊んでいたとか
名 称 東京都指定天然記念物
善養寺のカヤ
樹 種 イチイ科
樹齢&
大きさ
推定樹齢800年、樹高約22.6m、
目通り幹周り5.25m(昭和50年時
所在地 世田谷区野毛2-7-11 善養寺本堂前
行き方 東急大井町線「等々力駅」から多摩川方面に向かい、等々力渓谷の東側を通って15分
カヤの実をたくさん付けます
生い立ち&
見どころ
 カヤはイチイ科の常緑樹で雌雄異株。成長は遅いが、寿命が長いものです。多摩川に面する丘陵の斜面にある善養寺のカヤは、枝を左右に伸ばし根をしっかりと地面に張り、すこぶる“元気”が良い。
 その元気の秘訣について真保龍敞住職は「油粕などの冬の寒肥のほかに法事でお客様が飲み残したビールやお酒を根元にかけて飲ませてあげるのですよ」。日ごろのこうした住職の優しい心遣いがあったのです。

 根元に幅約50cm、高さ2mの空洞がありますが、樹勢は衰えず、枯れ枝は一本もなく、下枝が地面スレスレまでしだれ、根張りの豊かな樹姿は見事です。
 
 このカヤの木は、雌株で1年おきにカヤの実をたくさん付け、9月中旬に熟します。やがて仮種皮が裂けて落下します。善養寺ではこの実を拾って干し、新潟・佐渡島の和菓子製造業者へ送り、砂糖で包んだ美味しい豆菓子に加工してもらいます。これが「カヤの寺、善養寺」のお菓子としてお客様へ供され、喜ばれています。

 カヤへの温かい思いやりとそのお返しのコリコリとした美味しい実、人と木とのこのような関係がなんとも微笑ましい。

 当方で平成3年発行の「とうよこ沿線NO.55」でも善養寺のカヤを取り上げています。ご覧ください。
取材・撮影 岩田忠利 撮影年月 2009年8月9日


15. 天に向って一直線!綱島小のシンボルツリー

樹齢50年で4階建て校舎よりはるかに高くそびえ、今日も子どもたちを見守っているイトスギ   
 
名 称 綱島小のイトスギ 樹 種 イトスギ(糸杉)
樹齢&
大きさ
樹齢約50年。樹高約20m 目通り幹周り約1m
所在地 横浜市港北区綱島西3-11-1 横浜市立綱島小学校校庭
行き方 東急東横線綱島駅下車 徒歩7分

根元から樹の姿は
変わらず、まっすぐ上に
生い立ち&
見どころ
 由来から記します。
 百年の昔、北イタリアの戦場に蒔かれた一粒の種から、「世界の赤十字」が芽生えました。「赤十字とイトスギ」の結びつきは、この樹の下でスイスの一市民の方が敵味方の区別なく傷病兵を救護した時からが始まりだそうです。この「イトスギ」の種30万粒が、昭和34年5月「赤十字思想誕生百年」を記念して配られ、はるばる綱島小学校にも送られたのだそうです。

 正式名は、「イタリアサイプレス」ひのき科です。枝はあまり広がらずに幹が高く成長し、非常に細く高い独特の樹形になります。公園や造園樹に使われます。ゴッホが好んで絵画の題材にも使いました。

 綱島小学校のシンボルツリーは、写真でおわかりのように4階建て校舎(約13m)をはるか越えてそびえ立っています。植えられてから50年近くの歳月が経ちますが、見事にまっすぐに伸びています。

 綱島小学校の生徒たちは、このイトスギに毎日見守られながら、元気いっぱい校庭で走り回っています。卒業生の胸にも楽しい学校生活の思い出とともにこのイトスギの姿が深く刻まれ、残っています。
 私は、綱島小学校の前の道を通るたび、いつもしばらくの間このイトスギを眺めているのが大好きです。 
取材・撮影 北澤美代子 撮影年月 2009年8月8日




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