本堂の裏、西から東側に向かって乳イチョウを眺めると、根元に2本の木が見えますが、これはヒコバエが立派に生長し太い幹に育ったもの。将来は親木の幹と合体することでしょう。
根元の前には可愛い男の子が竹ボウキで掃除している石像が建っていて、なんとも微笑ましいですね
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生い立ち&
見どころ |
JR武蔵小杉駅から鷺沼行きの東急バスに乗り、南武沿線道路をしばらく行くと、武蔵中原駅前の手前でバスは左折して中原街道に入ります。
この街道は、徳川家康公が東海道の、いわゆるバイパスとして貨物の運搬や将軍の鷹狩り用に造成したもの.。東海道の平塚市中原から江戸城までを結んだ“中原往還道”と呼ばれ、歴史ある幹線道路です。街道名は、川崎市中原区を通ることから名づけられたものではなく、平塚市中原を起点としたことが名前の由来です。
左折したバスが数分走り、千年交差点を過ぎ、そこから先は切通しで右手にあるバス停「影向寺」で下車、坂道を登ること8分ほどで寺の山門前に着きます。
この影向寺は川崎市内では最古のお寺さんで、地元では「東の正倉院」と言って誇りにしています。
今から1271年前、天平11年(739年)、光明皇后が病気に伏されました。それを心配されていた聖武天皇の夢枕にこの地に霊石があるというお告げがありました。聖武天皇は当時の高僧、行基を使って祈願したところ、この石は霊験あらたかで、皇后の病気がぴったっと快癒してしまったという。その翌年、ここに寺が建てられ、近隣住民の信仰を集めてきました。
「影向(ようごう)」とは、神仏が一時姿を現すという意味だそうです。この影向寺は、こうした歴史的な話題が多い寺で、県外からもバスで団体でお参りに見える人たちが多いとか。
歴史あるお寺さんだけに境内にはサルスベリ、ケヤキ、イチョウなど川崎市の保存樹指定樹木が多い。本堂右手奥にある乳イチョウは、「かながわの名木100選」に川崎市内で指定されている2本の樹木の1本です。もう1本は、本誌15ページNO.76で掲載済みの王禅寺の禅寺丸柿。
乳イチョウの名前の由来は、嘘か誠か、この木の気根である乳柱を削って煎じた汁を飲むと女性の乳が出るという伝説からきています。たしかに、このイチョウの木には数メートルもある気根の乳がぶら下がっている様は、お見事です。
このイチョウの葉が黄色く色づくのが待ち遠しくて、まだかまだかと3度も訪ねました。前回うかがった折には、大きなバスが山門前の駐車場にあり、その車椅子に乗ったお年寄りの一行がイチョウの木の前で記念写真を撮っていました。樹齢600年のイチョウの長寿にあやかって、というもののようです。
この乳イチョウは、木花5ページNO.3でも取り上げています。
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