その15
題字 書家・新舟律子


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76. 日本最古の甘柿の原種、ゼンジマルガキ(禅寺丸柿)の原木

日本最古の甘柿は、ここ川崎市麻生区の禅寺、星宿山王禅寺で鎌倉時代前期の健保2年(1214年)に発見されました。その原木のヒコバエが育った写真正面の木が国登録記念物に指定されています

名 称 国登録記念物、かながわの名木百選
王禅寺の
ゼンジマルガキ
(禅寺丸柿)
樹種 カキノキ科
樹齢&
大きさ
樹齢約450年 樹高約6m 胸高幹周 0.5〜2m
所在地 川崎市麻生区王禅寺940 王禅寺境内
行き方 JR南武線、東急大井町線「溝の口駅」南口下車。 市営川崎バスP系統「柿生駅」(小田急線)行きに乗車、約35分「日立研究所下」下車 徒歩約5分

450年の風雪に耐えた木はしっかり地に根を張り、苔むし、いかにも日本の柿木で最初に栽培された木らしい貫禄を感じさせます

人間でいえば450歳。今なお、たわわに禅寺丸柿の実をつけた古木。小粒で種子は多いが、黒いゴマがたっぷりで上品な甘さ、お茶請けに最適です。この禅寺丸柿がいま、柿生地区の地域活性化の“主役”になっています

生い立ち&
見どころ
 柿は東洋の特産物で、日本・朝鮮・中国に200種近くが野生化しているそうですが、甘柿として最初に発見されたのは、鎌倉時代前期、健保2年(1214年)のこと。それが現川崎市麻生区の禅寺、王禅寺でした。その柿の木は「禅寺丸」と名づけられ、日本の柿の木で最初に栽培されるようになりました。

 江戸時代の元禄期には人気の“水菓子”ともてはやされ、日本全国各地で栽培されました。明治時代には明治天皇に献上したほど有名な柿でした。その後、大粒で甘い富有柿や次郎柿などが出回わり、栽培地の宅地開発で伐採され衰退の一途を辿りました。

 また近年、この禅寺丸柿が地域起こしの“主役”として注目されています。地元、川崎市麻生区に「禅寺丸柿保存会」が発足し、地元の名産「禅寺丸柿ワイン」が造られ、そのワインの風味を生かした「禅寺丸ケーキ」、また禅寺丸柿を使った羊羹や最中などの和菓子が作られています。また、柿生地区あげてのお祭り、「禅寺丸柿まつり」は毎年10月の恒例行事となり、年々盛況になっています。子どもも大人も参加する「柿タネ飛ばし大会」「柿皮むき大会」をメインイベントに、押すな押すなの大盛況。祭り会場にカキにちなんだ商品が並び、飛ぶように売れているそうです。

 禅寺丸柿の原産地は、昔は「柿生村」と村名に、そして今は小田急線「柿生駅」と駅名にその姿を変え、その名を留めています。
 
 ※ゼンジマルガキ(禅寺丸柿)の花は「木花World」21ページNO.12に掲載されています。
撮影 石川佐智子 / 文 岩田忠利 撮影日 2010年9月.29日


77.赤穂浪士ゆかりのシイ(椎)。肥後熊本藩主、旧細川邸の椎

昭和56年の外科治療で樹勢を取り戻したようで、枝ぶりも元気。丘の上から私たちを見守ってくれているようです

名 称 東京都指定天然記念物
旧細川邸の
シイノキ
樹種 ブナ科
シイ属
樹齢&
大きさ
樹齢300年以上 樹高約10.8m 幹周 8.13m
所在地 東京都港区高輪1−16−25 (高輪コミュニティーぷらざ内)
行き方 都営地下鉄三田線「白金高輪駅」の1番出口を出ると、港区役所高輪支所に出ます。そのまま奥へ行き、階段を上がって行くと丘の端にこの木が見えます

上層部の幹は切られていますが、全体的にはまだ元気です。この空洞が古木の雰囲気を漂わせています

根元は地面にしっかり根を張り、300年以上も経っているとは、到底思えません

生い立ち&
見どころ
 この場所は、大石内蔵之助ら17名の赤穂浪士が討ち入りの後、預けられた肥後熊本藩細川家の下屋敷があった場所です。ここで元禄16年月4日、赤穂浪士の大石内蔵助良雄、吉田忠左衛門、小野寺十内秀和ら17人が切腹を命じられた場所として有名です。

 当時の屋敷は無く、周囲はビルやコンクリートに囲まれ、赤穂浪士の面々も息が詰まることでしょう。ただ、この「シイノキ」だけが、あの赤穂事件を知る“生き証人”とみなされ、東京都の史跡として、残されています。

 昭和56年に大規模な外科治療がおこなわれたそうですが、現在の姿を見る限り新しく伸びた枝からはたくさんの葉を茂らせ元気のようです。大都会の中、このシイノキは大気汚染にもめげず、精一杯生きています。四十七士の墓がある、細川家菩提寺、泉岳寺はすぐ近く。多分この「椎の木」が今もかれらを見守っているのでしょう。

 地元高輪地区では地域のシンボルツリー「旧細川邸のシイを守ろう!」と環境美化・浄化推進協議会が生まれ、このシイノキがある駅周辺の清掃キャンペーンを実施中。これに「緑を守り、地域をきれいにしよう!」と私立高輪中学・高校の生徒らも参加しています。
撮影・文 石川佐智子  撮影日 2010年10月.3日


78. 柿の実を今もたわわに実らせる、樹齢280年の柿の木

枝葉を左右バランス良く伸ばし、姿かたちが美しい。老木なのに枯れ枝は無く、樹勢がすこぶる良い木です

名 称 横浜市指定名木古木
十日市場神明下公園の

カキノキ
樹種 カキノキ科
樹齢&
大きさ
樹齢280年 樹高11m 幹周 2.7m
所在地 横浜市緑区十日市場町909 十日市場神明下公園
行き方 横浜線十日市場駅から徒歩10分

大木の樹勢はおおよそ根元が物語ります。280年の歳月を経た木には思えないほど綺麗です

下枝までたくさんの実をつけ、子どもでも手を伸ばせばもぎ取れる高さまで熟した柿が生っています

生い立ち&
見どころ
 柿の木でこれほどの樹齢、これほどの大木にお目にかかったのは初めてです。280年もの木は大概幹に空洞や腐食があるのですが、この木にはそれが見当たらず、枯れ枝も無い。それどころか、下枝は地面に着くほどに伸び、柿の実をたくさん実らせています。

 無断で試食することはできませんでしたが、果実の格好や色から見て、甘柿の“次郎柿”に似ています。しかし、次郎柿の歴史はまだ140年しかありません。これは静岡県森町の松本治郎さんという人が発見した柿で、戦後「次郎柿」と命名されたのですから、この木の樹齢280年から計算し次郎柿ではありません。
 
 柿の学名は横文字で「KAKI」と日本名で書き、世界に通用します。柿は日本を代表する果物であることはこれで証明されます。でも、原産地は日本ではないようです。
 
 ともかく、柿の280年の歴史はこの木がいちばんよく知っているはずです。ここ十日市場の地名は、戦乱続きの中世、毎月十日に市が立ったことに由来します。江戸時代にはこの木の柿の実も市場の屋台に並べられ、秋の味覚として人々に喜ばれていたのでしょう。
    
撮影・文 岩田忠利  撮影日 2010年10月19日


79. 田園地帯の森の中にたたずむ樹齢300年のイトヒバ

本堂前に均整のとれたイトヒバが立っています

名 称 横浜市指定名木古木
極楽寺の

イトヒバ
樹種 ヒノキ科
サワラの園芸品種
樹齢&
大きさ
樹齢300年 樹高15m 幹周 4m
所在地 横浜市緑区西八朔町175 極楽寺
行き方 横浜線十日市場駅から徒歩約20分

根元や幹に空洞も枯枝もなく、樹勢はたいへん元気です

幹の3メートル付近からたくさんの太い枝を分岐し、とても逞しい!

生い立ち&
見どころ
 十日市場の住宅街を北東に向け7〜8分歩くと、前方に藤が丘や青葉台に連なる標高400メートルほどの丘が見え、その丘の下に田園地帯が広がります。恩田川が西から東へ流れています。その川の北側、こんもりとした樹木で覆われた森が極楽寺と隣り合わせの杉山神社でした。

 じつは、西八朔町の鎮守の森、杉山神社の樹齢400年の「タワラグミ」が取材の目的でした。神社境内を探し回りましたが、その姿がどこにも見当たりません。神社と地続きの隣の極楽寺を訪ねました。と、切り倒されたらしい古木の大きな切り株が屋根付きの山門下に保管されています。これが、タワラグミの株のようです。

 真言宗豊山派のこの寺の境内はあちこちに大木があり、その下に「横浜市名木古木」の表示板が立っています。イトヒバ、ケヤキ、クスノキ、サルスベリ、サワラ、コウヨウサン(広葉杉)・・・。境内はこれらの高木に囲まれ、静寂そのものです。

 本堂前のイトヒバがこの寺の“主役”のようで、堂々と立っています。離れた所から見ると端整な印象を受けます。しかし、近寄ってみると、幹の3メートル付近からたくさんの太い枝を分岐しすくっと伸ばしていて、とても逞しい感じがします。葉の繁りも良く、とても元気そうです。

 イトヒバを私の植物図鑑の索引で見ると、掲載されていません。で、別名の「ヒヨクヒバ」で引いても出ていません。これほど全国各地で天然記念物や名木古木に指定されているイトヒバが植物図鑑に載っていないのは、一体どういうわけなのでしょう?
 
 この樹木はヒノキ科サワラの変種とか園芸品種とか言われますが、枝が細く、長く垂れ下がって糸のようなので、「イトヒバ」と呼ばれていますが・・・。
撮影・文 岩田忠利  撮影日 2010年10月19日


80.モミの寿命は200年だが、大石社の樹齢330年のモミ(樅)

本殿前に並んで立つ2本のモミノキ。私が描いていたモミノキの姿とは全く違っていました。水平に伸びているはずの下枝がすっかり切り落とされていたのでした

名 称 横浜市指定名木古木
大石社の

モミ(樅)
樹種 マツ科モミ属
樹齢&
大きさ
樹齢推定330年 樹高 約25m(目算) 目通周 2〜3m
所在地 横浜市緑区長津田町2322 大石社境内
行き方 JR横浜線or東急田園都市線「長津田駅」下車 徒歩約7分

上層部には葉があり、勢いもあって
まだまだ元気です

下枝は切られて無くなっていましたが、樹冠はモミ特有の円錐状の樹形です

生い立ち&
見どころ
 10月上旬に神社のお祭りがあって賑わったそうです。私が参拝した時は、静寂とした境内で、社殿の前に2本のモミ(樅)の木が直立して並んでいます。

 モミ本来の樹姿は幹の下枝から水平に枝を伸ばし樹冠が円錐状になります。が、このモミは下枝を切り下ろしてあるため、クリスマスツリーとしてよく見かける「モミの木」の姿ではありませんでした。
 山本周五郎作「樅の木は残った」ではないけれど、このモミ(樅)の木も330年世相を眺めていたのでしょう。
          
 立て看板を読みますと、この神社の由緒については詳しくは分らないそうです。新編武蔵風土紀によると、元長津田村大石大権現社と称し在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)を祭ったものと伝えられています。平安朝前期の人(825〜880年)平城天皇の孫で和歌の先駆者です。
 ご神体は円形の自然石で文字等の刻込みはなく現在本殿に四角な台石に下部をはめ込んで立ててあります。それが「大石社」という神社の名前の由来です。

 大正12年9月1日関東大震災により本殿が崩壊したので、早急のため粗末であったので、後日、建て替え現在に至っています。昔は竹林があったそうです。
         
  この神社にはモミ(樅)の木以外にも横浜市指定名木古木のシラカシ(白樫、樹齢270年)が5本もあります。
撮影・文 石川佐智子  撮影日 2010年10月22日

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