その16
題字 書家・新舟律子


写真をクリックし拡大してご覧ください。
写真を連続して見るには、左上の「戻る」をクリックしてください。


81. なんじゃもんじゃと呼ばれた、ハルニレ(春楡)の木

ニレといえばこの木を指す。「エルム」の別名で親しまれ、東横線大倉山駅前の西口商店街は「エルム通り」と改称しました。冷涼な気候を好み、本州では高原に多い木ですが、平地の大和市に400年も育っていること自体、大変貴重です

名 称 大和市指定天然記念物
深見神社の
ハルニレ
樹種 ニレ科
樹齢&
大きさ
樹齢約400年 樹高 約30m 胸高幹周 4m
所在地 大和市深見 3367
行き方 相鉄線or小田急線「大和駅」下車 徒歩15分

樹高30メートル、カメラに収まらない高さ・・・。梢を見上げていると、首が痛くなります。台風の被害に遭った枝は切り落とされています

生い立ち&
見どころ
 参拝したときは11月7日(日曜日)、七五三のお参りで境内は賑わっていました。社務所の関係者に「ハルニレ」のことを訊きますと、「何年か前の台風で枝が折られ、少し寂しいかな?」と言っていました。
          
 樹高30メートルのノッポが目立ちます。御神木の「ハルニレ」は、昔は何という木か分からず、「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれるようになったと伝えられています。

 英名はエルム。花は早春、葉が出る前に咲き、小さくて目立たない。葉はやや厚く、さわるとざらつきます。私が行った時には黄葉になり始めていました。樹皮は灰褐色で、縦にやや深く、不規則な裂け目ができます。枝はコルク質のこぶ(翼)ができます。関東地方ではアキニレは多いですが、ハルニレは少ないようです。

 深見神社の創始は古く、総国風土記によれば今より約1500年前、人皇第21代雄略天皇22年3月の創建と伝えれれています。
 
 深見は『和名抄』所載の布加美であって、古くは深海、または深水と書き、相模原の東辺、境川流域一帯 に亘る地を総称したそうです。太古、この付近一帯は相模湾が深く湾入し、舟筏で交通し、今ここを古深見入江と呼んでいます。
 深見神社は戦国武将の崇拝が篤く、山田伊賀守光を深見四万坂で討滅した太田道灌は、その出陣に際し社前に戦勝を祈願しました。坂本小左衛門重安は、徳川家康の大阪の陣に従軍するにあたって武運長久を祈願して田を寄進、その田は「鹿島田」という名で今も残っています。

 ※新宿御苑のハルニレが「木花-World」21ページNO.03に載っています。
撮影.文 石川佐智子 撮影日 2010年11月.7日


82. 空洞は武田信玄放火の痕、妻田の大クス(楠)

国道246号線に程近い妻田薬師にある神奈川県屈指の大楠は、500年経った今も樹勢が良いです

名 称 神奈川県指定天然記念物
妻田の
大クス(楠)
樹種 クスノキ 科
ニッケイ属
樹齢&
大きさ
樹齢推定500年 樹高 約22m 目通り幹周り10.5m 根回り 11m
所在地 厚木市妻田西3-17−32 妻田薬師(遍照院) 境内
行き方 小田急線「本厚木」下車、松蓮寺行きバス10分、バス停「妻田薬師」下車、徒歩3分

根元にあるこの大きな空洞は、武田信玄が社堂に放った火が燃え移った名残と言われています

空洞の上部、幹の樹皮は色艶が良く、樹齢500年を感じさせない元気さです

生い立ち&
見どころ
 この「妻田薬師」は、多くの樹木に覆われ静かな古いお寺で、近隣の人々の厚い信仰を受けている感じがします。私が参拝したとき、人影もなく、いかにも古刹といった雰囲気がいたしました。
 妻田薬師には薬師如来坐像、同如来立像、日光・月光菩薩立像、十二神将立像などが安置され、これらすべてが戦国時代の作品で、いずれも厚木市文化財指定となっています。

 県内有数の太さを誇る「大楠」、その幹にある火傷の痕は武田信玄が小田原城攻めの帰路、社堂に放った火が燃え移った名残と伝われています。遍照院には、ほかに胸高周囲4.65mのケヤキやタブノキもあります。しかし広葉常緑樹は火災にめっぽう強く、この樹木種が植えられている所は、立派な防火帯の役割を果たすと言います。

 妻田のオオクス(大楠)は、巨大で歴史を感じさせる風格ある大楠です。根元には空洞部があり、土も見えているその中に小さな地蔵立像が安置され、手前には花も供えられていました。この空洞は上述の武田信玄の仕業の名残だそうです。

 クスノキは神社によく植えられています。樹高が高く、葉はしわしわで3脈にはっきりと分かれています。晩春に黄色い小さな花が咲き、実は秋10月頃黒く熟します。枝や葉に樟脳の香りがします。家具や細工物に使われます。

 ※クスノキの実は「木花-World 」25ページNO.18に、日本最大のクスノキが「名木古木」に2ページNO.11に掲載されています。
撮影.文 石川佐智子 撮影日 2010年11月.7日


83. 室町時代すでに関東随一の巨木と知られた、与野の大カヤ(榧)

南与野駅からこの大カヤの木までの道を“カヤの木通り”と名づけられているとおり、まさに地域のシンボルツリーです

名 称 国指定指定天然記念物
与野の
大カヤ(榧)
樹種 イチイ 科
カヤ属
樹齢&
大きさ
樹齢推定1000年 樹高21.5m 目通り幹周り7.2m 根回り 13.5m
所在地 さいたま市中央区鈴谷4-14  妙行寺金比羅堂境内
行き方 JR埼京線「南与野駅」から続く“カヤの木通り”を歩いて10分

市街地にありながら樹齢1000年の生命力を保ち、今なおこれほど樹勢旺盛な秘訣は? 周囲に建物を造らないこと、根を踏み固めないよう頑丈な石の柵で防御していることなど、管理者の思い遣りがあればこそ

何本ものカヤの木が長い年月の間に合体して一本になったようです。「樹勢は根元を見れば分かる」と言われますが、1000年の風雪に耐えた巨木とは、とても信じられないほど木肌が綺麗! 1000年の古木に空洞が見当たらないのは、本当に珍しい!

生い立ち&
見どころ
 JR埼京線の「南与野駅」で下車をすると駅前は新開地。ここ“さいたま市”は平成13年に浦和市と大宮市、両市の間の与野市が合併し新都市となりましたが、「与野の大カヤ」は旧与野市のシンボルツリーとしてその名を今も残しています。住宅、商店はちらほら。静かな街を10分ほど北に向かうと突如前方に大木の頭が見えてきました。

 

 じつは、今回の名木古木取材は私にとっては初めてなのです。今までは汚くて古い木に興味を持てませんでした。しかし妙行寺金比羅堂境内にある「与野の大カヤの木」の前に立ちじっと眺めますと、いかにしてこの乱世を1000年も生きながらえてきたのか・・・風雪に耐えたその逞しさに感銘を受けました。

 木の前に建つ案内板によると、この大カヤは「雌株で、4月中旬頃にひっそりと花が咲き、秋には楕円形の実をつけます」とあり、さらに「昭和7年(1932)に国の天然記念物指定となり、室町時代の応永年間(1394〜1427)には関東随一の巨木と知られていました」と記されています。すでに600年も前から名を馳せていたとは! 人間の寿命なんて儚いものですね。

 他の資料では一本立ちのカヤとしては群馬県の「横室の大カヤ」に次ぐ日本第2位の大木、また静岡県の「北浜の大カヤ」と並んで日本三大カヤの巨木だそうです。

何本もの木が寄り添い、一本の木に束ねられ、堂々と立ってる姿は素晴らしい。

 ※カヤの花は木花-World17ページNO.25に、が同24ページNO.3に、芝増上寺の自然木のカヤの大木が名木古木
2ページNO.12に、世田谷区野毛の善養寺のカヤも名木古木2ページNO.14に載っています。

 
撮影.文 佐藤保子 撮影日 2010年11月.4日


84. 源家の守り神、茅ヶ崎・鶴嶺八幡宮の県内最大、大イチョウ

幹は何本も伸びた枝が重なり合い支え合って太くなり、950年の歳月を生きられたのだろうと、なぜか「三本の矢」の逸話を思い出しました
名 称 神奈川県指定天然記念物/
かながわ名木100選
鶴嶺八幡宮の
大イチョウ
樹種 イチョウ科
樹齢&
大きさ
樹齢推定950年 樹高29m 目通り幹周り9m 
所在地 茅ヶ崎市浜之郷462 鶴嶺八幡神社内
行き方 JR東海道線茅ヶ崎駅の北西約2km、鶴嶺小学校と鶴嶺中学校の東側、徒歩20分。または茅ヶ崎駅から 「平塚駅行き」バス「町屋」または「今宿」下車 国道1号線沿いの大鳥居が目印 
長い松並木と灯篭の並ぶ参道を抜けると目の前に大イチョウが現れます。写真右側が大イチョウ。隣同士並んでいても大イチョウのほうは緑のままです。年によって違いますが、黄色く色づく前に強風で散ってしまうそうです

厄払いをしたいと希望する人が多く、3年ほど前からこのような形にしたとのこと。投げ割られた盃(かわらけ)<1回100円>の破片がたくさん落ちていました。右手のイチョウは真っ黄色に黄葉しています

生い立ち&
見どころ
 源氏は鎌倉を拠点として幕府を開き、鶴ヶ岡八幡宮を建立しましたが、それまでは鶴嶺八幡が源氏の信仰の中心でした。 
 鶴嶺八幡宮は、1030年、源頼義が東国征伐に向かう途中、 懐島(ふところじま)の里に、源家の守り神として、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)をまつったのが、始まりであるといわれています。 

 源頼義の子、義家が父頼義を応援に奥州へ向かう途中、戦勝を祈願して現在地に遷座し、その時このイチョウの木を手植えしたと伝えらています。

 イチョウは拝殿に向かって右側に立っており、幹表面の凹凸が密で、イチョウでは珍しい樹皮だそうです。多数の側枝が叢生し、その数本が癒着しながら成長したと思われる部分が縦の線となって認められる珍しい巨木です。  
      
 昭和37年10月2日神奈川県の天然記念物に指定、昭和59年12月「かながわ名木百選」に選定されました。
      
 根本に「厄割石」が祭られていました。ご利益は、盃(かわらけ)に息を吹きかけてから投げて割ることで、厄を落として願いが叶えられるそうです。
       
 鶴岡八幡宮の大イチョウが倒れてしまい、今は鶴嶺八幡宮の大イチョウが神奈川県内最大のイチョウとなりました。
 樹齢950年を過ぎてもまだまだの勢いに参拝者はそれぞれの願いをこめて数多くの盃が投げられ、割られていました。
撮影.文 八城幸子 撮影日 2010年11月.30日


85. 江戸時代から生える紅葉が300本。その主役は古知谷カエデ

根元の幹にはコケ、羊歯、キノコが寄生し、幹は3メートルほどから4本に枝分かれしています

名 称 京都市指定天然記念物
古知谷阿弥陀寺の
古知谷
(こちたに)カエデ
樹種 カエデ科
カエデ属
イロハモミジ
樹齢&
大きさ
樹齢推定760年 樹高18m 目通り幹周り3.72m
所在地 京都市左京区大原古知平町83 古知谷阿弥陀寺境内
行き方 JR京都駅から京都バスで「古知谷」下車、徒歩約20分

高さ10メートルほどからやっと葉が見えました

谷間から伸びた古知谷カエデのてっぺんの紅葉が本堂前の小公園から見えます。正面左手の枝

生い立ち&
見どころ
 大原の里は、比叡山の北西山麓にあり、山里には以下の寺が点在しています。大里巡礼は来迎院→三千院→勝林院→宝泉院→実光院→寂光院→阿弥陀寺の順で回るのが一般的です。
 阿弥陀寺は三千院の3キロほど北方の山の中にあり、江戸時代から生えている大木古木のモミジが約300本もある“紅葉の名所”として知られています。
 中でもその“主役”は、京都市天然記念物に指定されている樹齢約760年の“古知谷カエデ”。なにしろ、この古木は阿弥陀寺の創建、今から401年前の慶長14年(1609年)当時すでにこの地に古木として生えていたと言われている巨樹です。

 古知谷のモミジと杉の大木が谷間に生え、昼なお薄暗く、ひっそりとした静けさ、野鳥のさえずりだけが聞こえます。そこに巨樹、古知谷カエデがデンと立っています。樹種は「イロハモミジ」で、春の新緑と秋の紅葉がとくに美しい。根元の幹にはコケやシダが生え、キノコが寄生し、幹の多数の支根が絡みつく特異な形をしていて、いかにも760年の歳月を生き抜いてきた風情を漂わせています。

 根元から3メートルほどで幹は4本に分かれ、枝先の紅葉は高木の杉の枝に絡み、高さ10メートルほどでようやく望めます。枝先のてっぺんの紅葉は、古知谷を登った高台にある本堂前の小さな公園に出て初めて赤く染めた姿が見られます。

 どこを撮影しても美しい絵になる境内です。ただし、谷間にある地形の関係で午前中は良く陽が当たりますが、午後は陽が陰り、薄暗くなります。美しい紅葉を見たり、カメラに収めたい人は午前中の早い時間帯に行かれることをお勧めします。
撮影.文 尾嶋万里子 撮影日 2010年11月.24日