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第15信 わたしのカナダ体験記『バンクーバー、素敵スポット』 武井悠美子    2007/07/25

バンクーバー交響楽団の演奏会

 代表的な音楽ホール(Orpheum)はダウンタウンの普通のビルの中にあり、いつもその前を歩いていてもちっとも気がつきませんでした。パリのオペラハウスのように独立した建物ではないが、中に入ってビックリ・・・。
 オペラハウスを少々小さくした100年以上前の建物でしょう。装飾、造り、階段、天井の壁画・彫刻はまさに100年の歴史を感じさせる古く重厚そのものでした。
 いらっしゃっているお客さんもお年を召した方が多く、とっても上品で、飛び切りおしゃれをされていました。普段街を歩いているTシャツ、ジャンパー、ジーンズ姿の人ばかりと思ったら、行く所に行くと、ちゃんとステキにしている人々もバンクーバーにはいらっしゃるのだ! と思いました。途中20分間の休憩時間に、沢山の人がワイン類(赤ワイン$7, ジントニック$6.)を飲んでいました。
 さて、演奏のほうは「素晴らしい」の一言に尽きます。
 メインの出し物はベートーベン第9交響曲「合唱」。日本と異なっていたことは、指揮者がステージに現れ、結構長いスピーチをして、おまけに観客を笑わせるトークがあり、面白く且つビックリしました。しかし、その指揮といったら、とても繊細で、あれほど手首の柔らかな、女性バレリーナのような動きをなさる男性指揮者を初めて見ました。
 また、“第9”の前に女性ソプラノ独唱の曲があり、第一楽章が終わったところで、「暑いわ!」とか言ってショールを丸めてポイッ・・・と床に投げたのには、またビックリ。聴衆の明るい笑いを呼びました。
 合唱団員の中に車椅子の女性が居ました。素晴らしい演奏で、すっかり心が温まりました。
60人を超える交響楽団と100人の合唱団

館内の天井の彫刻とシャンデリア

休憩中に一人で行動する車椅子の観客

国会議事堂を思い出させるような館内
(演奏終了後)

 

バンクーバー市内のちょっと人里離れた集落
 Deering Islandという小さな出島がバンクーバー市内の南端にあります。日本でしたら江ノ島といった感じ。約40所帯の集落で、各家が横付けのクルーザーを持つためにこの出島に住んでいます。船を庭先に係留してあり、いつでも好きなときに乗れるように海のレジャー直結型の高級志向の集落です。
一軒一軒の家の大きさは大体200坪ぐらい。大きな外洋クルーザーを持っている家庭もあれば、小さなレジャーボートの家庭もあります。当然バス路線からかなり離れていますので、各家が2~3台の車を入れられるガレージを持っています
その集落は小さな橋で結ばれています。郵便配達はその橋の手前の集合メイルボックスまで配達。それを各家庭が個々に鍵を持って郵便物を取りに行きます。毎日が都会の中の別荘生活感覚です。

Deering Island Parkはその集落の住人専用とも思われる公園です。ここには犬と一緒にフレーザー川の河口と太平洋の海の景色を楽しめる散歩道があります。我々が行った時は小さなポンポン船が水に浮かべた多量の材木を海のほうから川上に向かって運んでいました
  
 そして、そのクルーザー集落の手前は何頭かの馬を飼っている100軒ぐらいの集落です。馬場の臭いの関係もあるのでしょうか、一軒一軒が500坪以上の広大な敷地を持つ人里離れた集落です。乗馬クラブもあります。我々が車で走る車道でも馬に跨ったり、馬を引いて移動している人たちに会えます。家々の庭は高い柵で仕切られて、まるで牧場に来たようです。
 摩天楼の聳えるダウンタウンの中心から数キロしか離れていない市内の一角に、牧場の雰囲気とビジネス社会の都会生活が同居している有様を羨ましく感じました。
どの家庭でも複数以上の馬と同居生活、そんな家のお屋敷です
  
娘さんとお母さんの二人で散歩でしょうか? 買い物でしょうか? 近所の家にご挨拶でしょうか?
  
こちらは、まだ10歳ぐらいの子どもが、午後の散歩でしょうか? 馬は子供用の馬、ロバぐらいの大きさ 乗馬クラブでお嬢さんが女性インストラクターの指導で特訓を受けています


第14信 バンクーバー滞在6カ月を振り返って               2007/06/30

 2006年末、冬のバンクーバーに滞在し始めてから早や半年になりました。
 最初の3カ月間は毎日雨ばかりの天候でバンクーバーの冬はホトホト嫌になってしまいました。挙句の果ては、家内が体調も悪く、「日本に帰りたい!」と私に訴える始末。私は帰られては困るな~と思いながらも「帰りたいなら帰ってもいいよ!」と取り敢えず言ってしまいました。私は、売り言葉に買い言葉で返ってくる家内の返答が心配でしたが、家内はタダ、タダ沈黙を守ったまま耐えていました。今は「この半年は長かった」と家内は述懐しています。私は短かったような、長かったような複雑な思いです。まだやり残したこともありますので、予定通りもう半年バンクーバーに滞在します。本稿もお約束の1年間の「便り」になるように継続したいと考えております。

 この「カナダ便り」を書き始めることになった経緯は、日本を離れる前、岩田会長から<カナダ・レポート>を毎週書いて欲しいと依頼を受けました。とても私には才能もノウハウも無いのでお断りしようとしましたが、岩田会長にお世話になった恩義から、2~3週に1回の頻度で双方了解しました。
 今の私としては、レポートの内容と評価については棚上げにして、何とか約束のペースを守っていると胸を撫で下ろしています。また、多くの方からアドバイス、励ましのお言葉を頂き、感謝しております。

昨年末のバンクーバー到着のその夜、バンクーバーに住む甥とその奥さん(カナダ人)が我々夫婦を歓迎する宴を開催してくれたレストランの前 連日雨降りでしたが雪になりました。バンクーバーの冬は、普段あまり雪が降らなく、降っても余り積もらず2~3日で解けてしまうそうです。マンションのベランダから、近所の公園・建設中のコンドミニアム・道路と歩道。道路は除雪車が来て雪はほとんどありません 冬の真っただ中、ちょっとの晴れ間を見つけ、濡れたテニスコートで家内を相手にテニスの練習で鬱憤晴らし。コンピューターの文字変換で「鬱憤晴らし」と「鬱積した気持ちを晴らす」の、<ウツ>が同じ字であることに驚く。カナダでは公営テニスコートが多くあり、無料で楽しめます。プレーヤーが多いときは30分で交代するルールが守られています。従って30分以上待つことはほとんどありません
三寒四温・・・。春とはいえ、まだまだ寒い日が続く。ある晴れた日 、雪山からの冷気で気温は低いが、強い日差しを頼りに公園で居眠りしている若い男性。今晩帰るところが無いわけではないのでしょう? 澄み切った空気が美味しい!
気圧配置が変わり、5月でも夏日のような暑い日(ただし乾燥していますから、汗はほとんどかきません)。バンクーバーのダウンタウンの街中をサイクリング気分の警察官。公務に違いがありませんが、平穏な街なので手持ち無沙汰ではないでしょうか?

 日本で65歳まで働いた後の海外におけるロングスティですから、本格的な“サンデー毎日”でも良いのではないかと思いました。しかし、生来貧乏性の性格から、家でじ~っとしておれません。バンクーバー生活を始めて1カ月以内に1週間の曜日毎の活動メニューを決め、水曜日は中休みです。
 また、岩田会長からは「とにかく晴れの日は少しでも外に出て、デジカメで写真を撮りまくってほしい」とのアドバイスがありました。その結果、雨の日はインターネットで情報の取得と整理をすることになりました。まさに“晴写雨覗”の日々です。

私の 65歳の手習い
 クリスチャンの方には失礼ですが、本年1月早々から“俄クリスチャン”になりました。
 家から30キロほど離れた教会に毎週1回、カナダ人牧師から英語によるカナダの生活に関する5カ月間の「トークショウ」のコースを終了まで通いました。
 現在は、新たに牧師の自宅で「料理教室」のカリキュラムに変更になりました。生徒が女性ばかりであることに加え、天候が好転し私の野外活動(ゴルフ・テニス)が多忙を極め、目下私は“休学中”です。
 日曜日の礼拝も牧師に対する“返礼”の意味から、これまで2回参加しました。考えてみれば、40年前に家内の関係で長野の牧師の前で結婚の契りをしたこともあり、お礼奉公になればと考えました。今後も神を冒?することの無きよう、少しでも礼拝を重ねたいと願っております。
 この半年の間、ブリーフケースを小脇に抱え、朝の電車による40分ほどの擬似通勤(学)を楽しむことができました。電車の通勤客の中でヨーロッパ系の白人は10人に1人ぐらい。一瞬、東南アジアの国に居るような錯覚を覚えます。カナダ全体ではヨーロッパ系白人は40%くらいと言われています。

バンクーバーには無料の新聞が2紙あり、土・日曜日を除いてほとんど毎日発刊されています。当然のこと、多くの広告が掲載されていますが、日本のタブロイド版の夕刊(約12ページ)に事件・事故・スポーツ・芸能・娯楽の記事を中心にした内容の2紙。新聞を自由にピックアップできるよう収納ボックスが交差点・駅・バス停などに備え付けてあり、2社が競い合っています 電車(スカイトレイン)の駅で乗り降りする乗客に無料の新聞を配るおじさん。電車やバスに乗ると、読み終わったこの新聞が放置されています。日本の新聞社の夕刊のように気楽に読める便利な情報紙です
4月の花粉が飛ぶような季節。カナダでも花粉症で悩む人がいるようです。現に我々もゴルフをした後は目がショボショボすることがありました。その対処療法とした薬のPRを街角で試供品を配る女性。

 私はこちらのテレビを見ても、なかなかカナダ人と同時に笑うことができません。ニュース以外は、同時どころか、しばらく時間が経っても内容が分からず、諦めてテレビのスイッチを切ってしまうことがたびたびあります。
 カナダに最近移民をした人並みにテレビを楽しめるようにと考え、移民を対象にした州政府関連機関が運営している学校に通うことにしました。15~16人のクラスで、2時間授業、1回の平均授業料は1人2000円弱。テレビ番組が理解できるように工夫された授業でしたが、ほとんどが若者。クラスの中で50歳を超えているのは私がただ一人。教材となる番組は若者向けのテレビ・トークショウです。若者の話題にはなかなか入って行けず、寂しい思いもしました。早くカナダ人と一緒に笑えるようになりたくて4カ月通いました。しかし理解力が前進しているとは思えず、継続するか否か、しばらく悩みました。
 今は新聞のニュースを読むクラスに編入しております。こちらには50歳を超える生徒が2~3人います。お蔭様で教育効果は別にして、教材の内容、使う言葉、話題、テーマについての背景説明など比較的分かり易い感じがします。また、この学校に1週間に1回、半日だけの通学でも、格安の学生向け医療保険の加入資格があります。私も学生として加入できました。家内は通学をしていませんが、私の配偶者(学生扱い)として付保されました。保険金のお世話にならないようにしたいものです。この学校の学生の国籍別では、メキシコ人が一番多く、次が韓国人、香港人、日本人がそれに次ぐようです。韓国人の若者のすごいエネルギーを肌で感じています。40年ぶりの通学気分も味わっております。

バンクーバー・ダウンタウンの外れのマウント・プレザント地区の小学校の近辺。
午後2時半、放課後何人かの生徒が引率者のリードで小学校から300メートル離れたデイケアー施設に収容(?)される直前の生徒たち。交差点を渡ったらそこが施設。午後6時まで施設内で過ごし、親もしくは代わりの人が子供の引き取りに来るそうです。
 私はこの写真を撮った後、施設に近づき、さらに生徒の遊んでいるところをデジカメに収めようとしたら、引率者に咎められて、これが最後の写真となりました。このお咎めは児童誘拐事件を予防するためと分かっていました。その場で直ぐ私の身分と事情を話したうえ、平身低頭に謝ったので、写真の没収は免れました。

市内の自転車屋の店頭に飾られていた乳母車と自転車一体の車。街ではあまり乗っている人を見かけませんが、逆に自転車の後ろに乳母車の付いた自転車に乗った親子を見かけます。何度かシャッターチャンスを逃しております。

 日本人コミュニティーとの交流は、多くの先達諸氏のご努力・ご支援の結果、幾つかの団体、サークルが活動しております。見知らぬ国、見知らぬ街に住み始め、サークル、イベントに参加することにより、有意義なバンクーバー生活を送ることができています。
 また、募金で造った立派な施設、たくさんのボランティアーの方々の役務提供により格安な料金で楽しめます。私は月曜日の午前中に1時間半の柔軟体操(体操は約250円、その後の昼の和定食約300円)で1週間が始まります。
 そのほか、英語によるサークル、健康マージャン・クラブ、ハイキング、酒ナイト、音楽を通じた文化交流会など。
 私は参加しておりませんが、カラオケ教室、習字同好会、妊婦さんの会、民謡教室など、いろいろなプログラム、イベントがあります。
 バンクーバーでの代表的な日系コミュニティー組織としては「隣組」、「日系センター」がありますが、別便でご紹介したいと思います。なお、現在バンクーバーの日本総領事館の在留届ベースでは23,000人の日本人がおります。トロントにも相当の日系人が滞在しています。


ゆったりしたカナダの通勤・通学
 どこの国でも街でも通勤・通学時の悩みは、“混雑”でしょう。国土に比べ人口の少ないカナダでは、当然相当恵まれている状況は容易に想像できるでしょう。また、国民性の違いでもあり、駆け足をするような人はほとんど見かけません。
 私などはリタイヤーしているわけですから、ゆっくり歩いて良いはず。時々昔からの癖が出て、横断歩道の信号が赤に変わりそうなので駆け足をします。何事が起きたのかと周りの多くの歩行者から驚いた顔で見つめられてしまいます。しかし、市街地、交通の要所での混雑を回避するため、長期にわたった都市デザイン、インフラの開発計画が進められているように思われます。何といっても国土が日本の25倍、将来計画に大きな余裕が感じられます。

 「High Occupancy Vehicle(HOV)」と称し、バス・二人以上の乗り合いの自動車しか通行できない優先通行区分帯。
 バンクーバー市内および郊外からのダウンタウン方面への通勤する一人乗りの車使用を制限する方策。適用される通勤時間帯は、朝06:30~09:00の市外・郊外からダウンタウン方面、夕刻15:30~18:00の市外・郊外方面へ。適用退勤時間が18:00までとその早さに驚かされます。
 しかし、このルールを導入するためには、最低片道3車線の幹線道路でないと却って混雑すると思われます。米国でも同様のハイウェイがあります

バンクーバー市内中心地までスカイトレイン(電車)で40分の郊外(King Jorge駅)の駅前広場の広大な駐車場と電車。私が見に行った4月の第4週の木曜日朝10:00ごろでしたが、収容可能自動車数の半分も埋まっていませんでした。 駐車料金は1日駐車して800円でした。少しでも、車通勤、車でのバンクーバー乗り入れを減らそうと考えているようです

夕方5時ごろ、ダウンタウンの外れの駅近の公園を行きかう通勤者。余り見かけないイングリッシュ・ジェントルマン風のオーバーを着た紳士 同じ頃、同じ場所で夕日に向かいサイクリングを楽しむ親子。自転車は親子で直結された専用自転車
ヘルメットの着用は徹底されています。子供は何歳くらいから親から離れ、自分の自転車に乗りたくなるのでしょう? 男の子と女の子には大きな差がありそうですね
こちらは愛犬と一緒の路上の勤務場所でしょうか? バンクーバーで一番の繁華街で夕刻の退勤時の歩行者の多い所です。後ろに置いてある自転車は通勤用でしょう

2~3年前に運行取り止めとなった電車の軌道の脇を走る自転車通勤者。なぜ運行が取止めになったのか分かりませんが、当時はこの人も電車通勤だったのでしょうか?
4月下旬、バンクーバー市内の公園内の自転車専用通路を自転車で通勤する人と、ローラースケーターが行き交う。ローラースケーターも通勤者でしょう。東京・大阪などの大都市の通勤地獄とはおよそ違った通勤形態で遊び心を感じさせられます 4月の雨が止んだ夕刻06:00ごろ、バンクーバー市内からバスで家路に向かうバス停の人たち。ネクタイをはめた人は間違いなく通勤客でしょうが、少数派です

6月になっても夕方になると冷え込むことがあります。バンクーバー市内から北5キロにあるノースバンクーバーまで海上約15分の乗船、シーバスで家路に向かうため船着場で次の船を待つ人たち バンクーバー市内の多くの主要道路には、自転車の優先通行帯があり、自転車通勤者が我が物顔で自動車を追い越して行きました。最近、エコロジー推進のため州政府・市政府が強力に自転車通勤キャンペーンを展開しています。冬の雨のバンクーバーではなかなか浸透させるのは困難なことかと思いますが


第13信 わたしのカナダ体験記 武井悠美子           2007/06/07

カナダディアンロッキーの温泉体験(5月30日~6月2日) 
 3泊4日の温泉バスツアーに参加しました。ガイドブックによると、カナダは世界第6位の温泉保有国だそうです。日本人なら誰もが大好きなお風呂、温泉。カナダでは水着の着用が義務付けられています。
この旅行の事前説明会があり、女性の引率者がこう言って笑わせました。
「日本から来た武井さん! 水着を必ず持参してくださいよ! 温泉に入る時に着ますから、日本のように裸で入ったら現行犯でその場で逮捕され、おまけに後ろに手錠をはめられますからね~ 大変よ!」

カナダ有数のサマーリゾート地 “ケロウナ”(Kelowna)
 バンクーバーから東南東へバスで7時間(約600キロ)、湖の町“ケロウナ”に着きました。途中我々より大分前方のキャンピングカーが燃え、約1時間バスはストップ。山の中で、消防車が来るのに40分ほどかかり、レッカー車で牽引されましたが、日本ならもっと手際良かったのではないかと思いました。
 ここは温泉ではありませんが、オカナガン地方の中心地。温暖な気候を利用してリンゴの果樹栽培に取り組み、カナダ国内はもとより米国北部の各州に輸出もしているそうです。また、地ビール、ワイン造り、特にアイスワインで有名な地方です。
南北に長い~いオカナガンレイク
 2日目はケロウナからぐんぐん山の上に登ります。山の上の高原に着くとレイクが現れる。そのレイクを4時間ほど走りましたがオカナガンレイクはまだまだ続きます。さらにアメリカとの国境まで6時間ぐらい続くそうです。スケールが大き~い! レイクの上、すぐその上が雪山です。
湖にぷかぷか浮いている橋の道路。水に接している部分は大きな発泡スチロールで浮かせています。我々のバスもこの橋を通過しました キャスローの船着場
この辺で一番景色の美しいキャスローの町。クルージング、フィッシングなどを楽しめ、休憩所のCaféはテラスがあり、素晴らしい眺めでした。

エインズワース(Ainsworth Hot Springs)温泉
 ケロウナからさらに東に3時間(約250キロ)走った所。馬蹄形になった洞窟の温泉があるのが売り物。流れ込むお湯は47度と熱いが、洞窟温泉は42度、プールもあり、35度に調整してありました。色はうすい茶褐色。洞窟部分は蒸気が立ち込め、サウナに入っているように汗が出ます。入った後は老廃物が出て、お肌がすべすべになります。
元々は先住民が利用していたといわれています。その後、銀などが近くで見つかり、鉱山の町として栄えましたが、資源が枯渇するにつれ、温泉への注目が集まりました。今ではカナダ人の憩いの施設として定着しているそうです。
日本人は我々30人だけでした。ホテルに併設された温泉で、温泉だけの入浴料は大人7ドル、シニアー6.50ドル, 子供(3歳―13歳)5.00 ドルです。
塩素で消毒してありますので、温泉というよりスイミングプールの“のり”で、雰囲気は異なりますが、温泉に入ると心なしか肌に良いような気がします。関節炎に効くなど、さまざまな効用があるそうです。
洞窟は自然のまま保たれていますが、何度も来たことのある日本人の話では、洞窟の底の部分は、昔は土から砂・砂利となり、スノコに変わり、今のコンクリートにと変ってきたそうです。

エインズワースの温泉プール
  
プールではしゃぐ子供たち
  
鍾乳洞温泉
  
いわゆる湯船で男女混浴。この後はワインで一杯やるのでしょうか?

3日目New Denverへ
 日系Internment メモリアルセンターがあります。受付案内人は日系日本人とカナダ女性がいました。
第2次世界大戦中、カナダ軍によって、在留日本人が各地から集められた収容所です。今回の30名のバス旅行グループの中に、ここに収容されたご当人が2人もいました。とにかく、寒かったそうです。でも、戦地で餓死した人が沢山いたようですが、ここでの生活は食べ物がなんとかあったとか。23,512人もの日本人が収容されたそうです。写真はいずれも展示物です。
収容所入り口
 
入り口付近の情景
 
共同トイレ
 
教会とお風呂
 
1家族族分のベット
 
2家族族用の炊事洗濯場
 
中に教会もある
 
その中に風呂は一つだけ
 
初期段階のテントだけの生活
 
雪を被った沢山のテント。 
マイナス40度の日もあったとか
テントの中はコンロと毛布だけ
 
学校
 
宮本武蔵の本
 
音楽
 
卓球
 
平和な家庭の写真
 
こんなに沢山いた
 
お餅つき
 
ベッドだけの収容所、
バンクーバー・ヘイスティングからの人達用

4日目はオソヨースに寄る
オーチャード(果樹園)
ここ一面が果樹園でインディアンが開発して造った農園。湖には豊富な水があり、広い平地は日当りの良く、良質の土地です。とにかく、スケールが大~きいブドウ、桃、チェリー、りんごなどの農園でした






アイスワイン
1本60ドル。試飲してみたかったのですが、すご~く甘いと説明されたので止めました(普通の白ワイン、赤ワインは25ドルぐらい)。アイスワインは、世界でここカナダとドイツぐらいでしか生産されないようです。その製法は、ブドウを秋には収穫せず、そのまま冬までブドウの木につけておき、凍結したブドウから造るそうです。芳醇な香りと豊かな甘みは、デザートワインに最適、白ワインが定番ですが、赤もおすすめだそうです。

  
マンニングパークのレストエリア(休憩所)で20センチぐらいの動物のプレリュードが、りんごをかじっていて人間が近づいても逃げない。土にたくさん穴を掘り、その中に入って生活しているようです







最後に、ツアーの企画、手配、事前説明(手錠の注意)からツアーの終わりまでボランティアーとしてお世話を頂いた引率者に心から感謝を申し上げます。
一番左が引率者です。偶然私と同年齢でした
  

第12信 シアトルへ米大リーグ日帰り観戦ツアー       2007/05/18

バンクーバーから初の海外(米国)旅行

 世界の野球トッププロが真剣勝負に挑むUSA Major League Baseball(MLB)・・・。
 5月13日の日曜日、バンクーバーからは目と鼻の先、シアトルでナマの大興奮と大迫力を味わうことになりました。バンクーバーにある日系旅行会社主催の大リーグ観戦ツアーに参加するのが安直というウワサ。試合の3週間前に有力旅行会社の<1階1塁側内野席確保、イチロー・城島のマリナーズと松井・井川のヤンキース戦>、<入場券、日帰りバス送迎込み 150ドル>の広告に飛びつきました。

 数日前に岩田会長に事前報告しました。ご自身が行かれるように興奮され、「イチローをアップするためにはデジカメでは無理。ビデオを持っていれば望遠で写した後、それを静止画にしたらどうですか?」
 私としては自分の寿命と新品のビデオの寿命を比べて新規購入を諦めました。現在所有のデジカメのズームアップ性能を期待して“岩田監督”からの指示(?)は受け入れられませんでした。
 念のためと思い、被写体になった人には申し訳なかったのですが、デジカメで2~3枚の盗み撮りをしてズームアップのトライヤルをしてみました。


トライヤルその1.
マンションの窓から100mほど離れた捕り物帳の現場撮影。挙動不審の浮浪者を警官が取り押さえ、公衆の面前で尋問しながらポケットの所持品をチェック。麻薬を摘発しようとしたが、無罪放免

トレイヤルその2.
80mほど離れた所から老人と犬の撮影。公園内で夕日を浴びる車椅子上の昼寝を楽しんでおりました。カナダ国旗を掲げ、きっと動物にやさしい善良なカナダ国民でしょう

 ウェブサイト(http:/seattle.mainers.mlb.com) で球場に関する情報入手。入場券は1階内野席で55米ドル(約6600円)。外野席で14米ドル(約1700円)。なお、外野席の一部は立見席もあり、7ドルと表示してありました。球場の脇の駐車場は乗用車20ドル。また3~4キロ離れた所の駐車場は10ドル以下で球場までの送迎バスは無料として、道路の混雑緩和を図っているようです。
 入場券の購入はクレジットカード番号を入力すれば簡単に購入でき、郵送してもらえます。禁酒の席のセクションもあるそうです。シニア割引の席もあり、早めの申し込みが必要のようです。球場の名前については地元シアトルを本拠とする保険投資会社「Safeco社」が、スポンサーとして命名権(ネーミング・ライツ)契約を交わすことにより会社名を付けたそうです。

 55年ぶりに小学生時代の遠足のような興奮を覚えながら、観戦当日、朝6時起床。集合時間7時00分、集合場所は住んでいる所から電車で2駅先、6時45分に最寄駅に駆けつけました。ところがその駅のシャッターは下りっぱなし・・・。ストライキかなと思いましたが、何の張り紙もない。集合時間には間に合いそうもなく、慌てて1.5キロぐらい先の集合場所の方向に走り出しました。幸運にも100mほど走った所でタクシーを捕まえることができました。タクシー運転手に聞くと「日曜日は朝7時にならないと電車は動かないんだよ」。私と家内は、普段は朝6時前から深夜1時過ぎまで運行しているのを毎日マンションから眺めていたので、何の心配もしていませんでした。今日は日曜日、教会に行ってお祈りをする日なんだ!
恥ずかしながら、後で調べましたら、平日の始発は5時43分、土曜日の始発は6時43分、日曜日の始発は07:43分であることを初めて知りました。どうしてこんなに曜日によって差があるのでしょう?旅客需要に基づくのか、電車会社の働く労働者側の主張によるものか・・・。多分両方の要素が複雑に絡み合っているに違いありません。



6年前は.アメリカ旅行も国内旅行並み
 参加者約90人が3台のバスに分乗。ほとんどの参加者は留学生・ワーキングホリディーの若者ばかり。60歳過ぎての参加者は我々2人だけだったでしょう。
 バンクーバー・ダウンタウンを07時10分に出発してシアトル方面に南下し、50キロでアメリカ国境に到着。一般の乗用車は300台以上の長蛇の列。バス利用者は個人の自動車の人達とは別の取扱いで比較的スムーズに入国審査場へ。入国審査場では家内の脇に麻薬捜査犬が澄ました顔で座ってしまって動きません。家内は犬の頭をなでようとしましたが、係官が家内に対しカバンを開けるよう要求。麻薬でなく、朝食用のおにぎり(ライスボール)が原因でした。その後、全員が両手の人差し指の指紋と顔写真を撮られ、入国審査官に6米ドルの費用を支払い、アメリカ側に入国。小1時間掛かりバスに戻りました。
 犬に取られなかった“おにぎり”を食べながら、バスは更に南下し、180キロでシアトル。11時ごろセーフコ・フィールドに到着。片道3時間半のバス乗車でした。
 北米では野球場を「Ballpark」と言うのだそうです。雨が降りだすと、ライト方向から屋根がスライドして、グラウンドを覆います。天気の日はすがすがしい涼風を感じながら試合を楽しめます。


1999年7月完成。 収容人員約4.7万人。マリナーズ・チームの試合前練習風景

球場正面入り口、試合開始2時間前のため入場者はまだパラパラ


千両役者のイチロー人気に便乗した“イチロール”
 通常は、試合開始3時間前から[Ballpark]はオープン。我々は2時間前の入場でした。
 5月13日は“母の日(Happy Mother’s Day)”で先着15000人の女性にマリナーズのロゴ入り半袖のTシャツのプレゼント。球場内の施設の売店、遊戯場、カフェテリアなどを見学し、ランチボックス・ビールの調達をしていたら、あっという間に試合開始時間が迫る。澄み切った青空が広がるボールパークでは、冷たいビールとホットドッグが定番のようです。イチロー人気に便乗し、最近発売し始めた「イチロール」(小さく、ピリッと辛いツナのカルフォルニア巻8個と枝豆少々で8ドル)を国産愛用気分で買い求めました。美味しさの程はノーコメント・・・。ビールは小瓶1本8ドル、ただしプラスチックの瓶でした。天候は曇りで13度Cと寒い日でした。


マリナーズ代表的選手4人の人形の陳列。城島(左端)も4人のうちの一人。イチロー(右端)は人形でも貫禄十分。
 

寿司弁当を売っている売店。その手前では、子供たちが公式ボールを使用して写真のイチローとの対決ゲーム。
 

食べかけ途中の「イチロール」
 

試合開始前のひと時、センターのオーバーフェンスの一角が、ブッフェ付きのお客さん用のコーナーに

 3日間連続の3連戦、1勝1敗を受けての決戦。球場内の出場メンバーリストにはマリナーズの城島キャッチャーの名前がない。最近大活躍の城島がスタメンから外されていたのを知った私たちは、ちょっと拍子抜け。同行した日本人観客の中には、城島のメッセージ・プラカードを家で作成し持参してきた人はガッカリしていました。しかし、まばゆいばかりのユニホームをまとった本物のイチローと松井秀の勇士に、言葉にならない感動に浸たったのでした。
 ちょうど午後1時には観客総立ち。始球式の後、星条旗を掲げた儀仗兵6人がマウンドに向かう。ソロの歌手の歌に合せてアメリカ国歌を斉唱。添乗員には“口パク”をやるように言われていましたが、余り観客の中では歌っている人も少なく“口パク”をしないで済みました。
 1時5分プレーボール・・・。 「イチロ―! イチロー!」のコールは当然のこと、スゴイ!
 私たちのすぐ前の3人のアメリカ人観客も、ひとりはヤンキースのジャンバーでしたが、あとの二人はいずれもイチローのジャンバーを着た熱烈なフアンでした。相当のフアンを持っていると直に感じました。それもそのはず、イチローは「走・攻・守」、すべてに最高級の技を披露する“野球芸術家”。前人未踏のシーズン262安打記録やWBC世界一など、数々の名誉を手に入れた日本のスーパースター。
 ヤンキースはアウェイであり、また我々は一塁側(マリナーズ)席なので残念ながら松井秀のコールはほとんど聞こえてきません。


マーチに乗って儀仗兵がピッチャーマウンドへ、球場内は厳かな雰囲気になりました
 

恒例のアメリカ国歌の斉唱
 
 

試合開始でマリナーズ守備につく。(イチローはライトでなくセンターでしたが)

左の女性はキリキリ声で耳栓が欲しいくらいの声援でした


日本人大リーガー、イチローと松井秀の活躍
 試合は期待通りの1点を争う好ゲーム。イチローは3回1死から、中前打で出塁し、見方のタイムリーで先制のホームを踏むなど、4打数2安打で7試合連続安打となった。松井秀もホームランこそ無かったが、中越え2塁打を含む4打数2安打。試合はマリナーズが2-1で勝った。2人の日本人大リーガー選手の活躍ぶりを堪能することができました。また、ヤンキースの遊撃手 デレック・ジーターの2度のジャンピングスローの超美技。サーカスの曲芸を思い出させるプレーでした。

この後、イチローはシングルヒットを打つ
 
 
 

イチローは盗塁を狙うが、相手ピッチャーはサウスポーでした。この試合では一度も盗塁は見られませんでした。
 

イチローに負けじと松井も2塁打を放つ
 
 

残念ながら、味方の援護が無く2塁ベースからのホームを踏むことができず
 

苦戦ヤンキースが新たな作戦のため試合は一時中断。その間レフトの選手が寄ってきて、コミュニケーションをとるイチロー。こんなシーンを何度か見ました。すっかり大リーグの一流選手としての存在感

9回表、2-1で負けているヤンキースの攻撃もあと一人! あと一人!
 
 
 

ついに地元チームのマリナーズの勝ち。ヤンキースの選手はダッグアウトへ、マリナーズ選手はピッチャーマウンドに向かう
 

マリナーズの選手たちの祝福のハイタッチ
 
 
 
 ツアーの添乗員によれば、イチローは「地区優勝もできないチームには居たくない」と漏らしているようです。この試合は勝って17勝16敗と勝ち越しました。本人自身の成績はともかく、イチローがこれからもシアトル・マリナーズで活躍し続けることができるか心配しているとのことでした。


子供扱いの日本人留学生
 6回裏マリナーズの攻撃が終わると、ロックンロールの曲に合わせてグラウンドキーパーがレイキを持って整備をし始めました。曲がアップテンポになると、突然レイキを投げ、キーパー全員がグラウンド内でリズミカルに踊り出しました。しばらくして、また仕事に戻りました。観客の気持ちを和ます、粋なサービス。
 同行した日本人の留学生が売り子からビールを注文すると、ほとんどが身分証明(パスポートなど)の提示が求められます。売り子は興味深そうに身分証明書の年齢・顔写真と本人の確認をしてプラスチックのビールを手渡す。彼らから見ると日本人の学生はみんな子供に見えるのでしょう。

球場内に流れる軽快なロックンロールに合わせて、本職の踊り子が踊るようなステップのパフォーマンス

グランド・キーパーは本業に戻り、私も暫しうっとりしてシャッターチャンスを逃す
 

ビデオ・カメラマンは我々の頭上で球場内の雰囲気を演出中。観客席で陶酔して踊りだす芸人を大きなビデオ・スクリーンに映し出す

試合終了後、マリナーズの勝利のお土産を持って家路に。球場と駐車ビルを結ぶオーバーブリッジが見えます

今日の「母の日」のイベント野球観戦はよかったですね。毛布を腰に巻きつけたお母さんとお嬢さん(?)
 


高速道路のサービスとカナダ入国審査
 試合終了後、我々のバスは午後4時ごろにはバンクーバーに向けて出発。途中高速道路の多くの木々に囲まれたレストエリアで一服。ペット用のエリアもあり、トイレもきれいで、スペース的には十分余裕のあるレストエリアです。しかし、日本の高速道路のサービスエリアと比べたコーヒー、クッキー、飴、ガムしかない売店で寂しい感じ。それがスタンダードだそうです。もっとも高速道路料金はありません。
 帰りのカナダ入国審査はバスから降りることなく、逆に2人の審査官が我々のバスに乗り込んで来てくれました。一行の中のメキシコ人・イタリヤ人各一人とバスの最前列に座っていた家内のパスポートをまずチェックしました。家内は滞在6カ月以内の観光ビザで昨年末入国して既に5カ月経過しています。
 審査官は「今後の帰国の計画がハッキリしていないのであればそれは問題だ!」と。私が「3週間前に滞在延長申請を当局に提出している」と答えたら、「本当か?」と訊かれ、「本当だ!」と答えたら「OK」と言って2人の審査官とも下車してしまいました。
 おかげで私を含め他の約40人はノーチェック。家内は往路で麻薬捜査犬に咎められ、帰路で審査官から要チェック旅行者となり、馬齢を重ねていることもあり、団体客約40人の“陰の代表者”と認められたようです。
 午後7時30分予定通りバンクーバーの出発地点に戻り、大きなトラブルも無く、素晴らしい日帰り大リーグ観戦ツアーとなりました。


帰路のバスの車窓から見るシアトル中心街の摩天楼。
 
 
 

レストエリアには店員1人だけ。近くの教会のメンバーが交代で運転手の安全運転を願ってコーヒーの無料サービス。ただし、カウンターに献金箱があり、お客の自由意志で50セント(約60円)を投げ込むのが慣わしのようです。


第11信 わたしのカナダ体験記             2007/05/05
1ヶ月前の第8信は「ヒデ坊」の妻・私が担当しましたが。岩田会長と何人かの女性から上手に激励され、その気になって、また、筆を執ることになりました。これからも時折顔を出すことになりそうですが、私の日記としてご覧ください。

当地でも、約1カ月前にソメイヨシノが、2週間ぐらい前には八重桜が満開になりました。その八重桜も3~日前から散り始め、今日は春雨で“濡れ落ち花びら”になってしまいました。この雨で一気に夏の気圧配置になりそうな予感がします。

バンクーバーのダウンタウンからちょっと離れた小学校の校庭です。遠くの雪山から冷気を受けながらも、春の陽光が勝り、小学校4年生ぐらいの男女生徒が校庭の芝生の上で無邪気に遊んでいました。東南アジア系と白人系の生徒が一緒に、恵まれた環境ですくすく育っています。

アメリカとの国境を越え、日帰り撮影会参加
 バンクーバーから車で1時間ちょっとでカナダとアメリカの国境です。4月早々に、国境を少し越えた所「スカジットバレー」へ、チューリップの撮影に行きました。オランダのチューリップ畑と同じような感じ。
 2001年の同時多発テロ以来、アメリカ側の警備が厳しくなり、アメリカに入国するのに5時間もかかったことがあると旅行社の方の言。私たちは団体バスツアーのため、優先的な取り扱いで手荷物検査も無く、顔写真と指紋取りだけなので1時間ぐらいで出入国手続きが済み、ほっとしました。また帰りには「ラ・コーナー」というとても可愛い街にも寄って、アメリカドルで買い物を楽しみました。

お花畑の見事なチューリップが咲きそろう、スカジット・バレーの公園。 この写真をバンクーバーの旅行会社の写真コンテストに応募しました。近く審査されます


アメリカ入境ゲイトポイントは多くの一般乗用車で長蛇の列

水車とお花畑でちょっとスナップ写真

ラ・コーナーのお花いっぱいのプチ・ホテルの庭


ワインと寿司で乾杯
 ある画廊のベルニサージ(展覧会のオープニング・パーティー)に呼ばれ、行きました。お客さんは全員がカナダ人らしい。飲み物のグラスを手に、展示された絵を見ながら知り合いと話をしたり、ワインを味わったり。

 時々若い女の子が近寄ってきて、サンドイッチと寿司をおつまみに、と奨めます。お寿司がのったお盆の真ん中にお寿司につける醤油が1合ぐらい入った瀬戸物のポット。食べ方が良く分からない人は、じゃぼ~んとお寿司を醤油ポットに入れ、「あぁ~、タイヘン!」と思いましたが、私は何も言えませんでした。

 そうそう、1カ月前の「さくら祭り」の会場のお寿司の出し方もそうでした。私はこれを何とかしてあげたいのですが・・・。平らな小皿に少々の醤油をとワサビを入れ、無くなるのを見計らって少しずつ継ぎ足したサービスにして・・・美味しくお寿司を食べて欲しいものです。

 お寿司自体はとても新鮮で美味しいですよ。カルフォルニア巻きも、えび・かに・アボカド・キュウリが入っていて、海苔とシャリが反対にくるくる巻いてあって、なかなか美味しかったです。他に、このカルフォニア巻きにはマンゴ・レタス・海老天・マグロ・スモークサーモン・うなぎの蒲焼・パパイア・etc. があります。皆様もお試しあれ! 「こん~なの、お寿司ではな」とお思いでしょうが、カナダ人は生ものがのっている寿司より、よく食べています。


子供の頃からゴルフ練習を始められる環境
 ダウンタウンから車で30分位、遠くても1時間ぐらいのところにゴルフの本コースがいくつもあります。
この頃は夜の8時ぐらいまで明るいので、スタート時間がお昼頃でも18ホールスルー回り(日本のような途中昼食・休憩なし)。夕食時間までには家に帰れます。

 サンドイッチや飲み物をスタート地点で、また、途中でも夜店の車のようにカートで飲食物を売りに来ます。皆フィンガーフーズを食べながらプレーを続行しています。日本人には「おにぎり」という腹持ちの良い格好のものを我々はいつも持参します。

  コースの途中でびっくり・・・。リスはもちろんのこと、先日はビーバーのほか、2頭の野生の鹿がカート道路のすぐ近くまで来て草を食べていました。野生といっても人間馴れしていて、近づいても逃げません。目の前5メートルくらいでした。北海道でキタキツネをコース内で見たことがありますが、鹿にはびっくりしました。デジカメをその時は持っていなかったのが残念でなりません。

 沼地には大きな(日本の2倍はある)黄色の水芭蕉の群生があり、私は白いのは日本でよく見ましたが、鮮やかな真黄色の水芭蕉は初めて。しばし足を止め見入ってしまいました。このゴルフ場は山のすぐ麓でした。

 日本のような街中で網に囲まれたゴルフ練習場はありません。打ちっぱなしは本コースの練習場に行きます。ダウンタウンから車で15分ぐらの所に、子供専用とも思われるパー3の18ホールのショートコースがあります。12歳以上の同伴者がいれば、どんなに小さな子供でも日本円900円ほどの料金で18ホールのラウンドが出来ます。
 
恵まれたゴルフ環境ですが、世界的に有名なカナダ国籍のプロゴルフプレーヤーをほとんど聞いたことがありません。素質のある選手は、小さい時からアメリカ留学をして有力選手になれば出稼ぎのため、アメリカに移り住んでしまうのでしょう。

 日本にもショートコース(パー3ばかり)がありますが、こちらでは「ピッチ・アンド・パット」と呼んでいます。それを初めて聞いた時、私はグリーン周りの練習場かと思いました。所変われば言い方も変わるものですね。

子供用クラブ・バッグとも完備されています。右端が大人用、それから左に低学年、中学年、高学年用となります




子供用クラブセットを持っておじいちゃんに連れられて来た小学校2~3年生。将来は強いプロゴルファの可能性はありそう?




練習マットと足を置くスタンスの部分が一緒になった1枚の大きな八角形の厚いマット。サウスポーのプレーヤーもティーの位置だけ変え、そのまま後ろ向きで使用できます。一人の打席の広さは日本の練習場の1.5倍ぐらいなので、とってもやり易い
 フラット(平ら)なコースばかりですが、まったく自然の小さい川(クリーク)が沢山コースにレイアウトされています。初めて回るコースで飛ばせば良いっていうものではなく、残り距離も考え、短く刻んだりして四苦八苦でした。乗用カートに乗っても良いのですが、ほとんどのプレーヤーが自分のゴルフバッグを担ぐか、手引きのカート(プルカート)に自分のバッグを積んで最短距離を歩くのです。クラブハウスのレストランはとても広く、沢山部屋があり、プレーヤー以外の一般の人たちの結婚披露パーティーや食事会などにも使われています。


カナダで生まれ、カナダで育ちのアイスホッケー
 今のアイスホッケーは「ラ・クロス」という競技で、それが氷上のスポーツとしてが発案され、カナダの国技になったそうです。今では「氷上の格闘技」とも言われています。
  ここバンクーバーでも日本の野球やサッカーのように市民は地元チームの応援に熱がはいり、街中が大騒ぎ。過去にはダウンタウンの中心街ロブソン通りで熱狂的フアンがショーウインドウを壊したり大暴れしたことがあったそうです。そんなことから、この頃、試合終了の直前から競技場の周りには機動隊のように警察官がガードすることがあります。


ホッケー競技場近くで応援に駆けつけた若者たちがボディペイント

なぜかスタジアムの周りに馬に乗った警備警官が登場

タクシーにもバンクーバーの地元プロチーム「カナックス」の旗

 アメリカとカナダのアイスホッケー・プロチームの予選リーグ戦で勝ち残ったバンクーバー・チームは準決勝に進出し、最初の相手はアメリカ・ダラスのチームと4ゲーム先取で勝敗を決めました。私たちはバンクーバー・チームがダラス・チームとの4試合目が終了した時点で、街の騒ぎに触発され、決勝戦を見ることになりました。
 それは、それは、すごい!! 生まれて初めて観るカナダ対アメリカのチームのアイスホッケー戦・・・それは実に見応えがありました。ドームに入るなり、ものすごい熱気。私達の席はゴール・キーパーまで最短距離でリングサイドの前から2列目。1列目はテレビ局のカメラ席。S席一人125ドル(約13,000円)で高いなと思いましたが、後でカナダ人から聞いた話では街のダフ屋で3倍~5倍に吊り上っているそうです。そんな熱狂的なファンは惜しげなく高い席でも買うのですね。


試合前に両国の国歌を一人のボーカル歌手が歌い、観客も直立不動で斉唱


スティックで操る球を「パック」と呼んで、硬化ゴム製の平円盤で厚さ2.54センチ、直径7.62センチ、重さ160グラムです。こんなのが直接選手の体に、間違って顔にでも当たったら大変なことになることでしょう

 試合が始まり、ものすごい声援が耳をつんざく。思わずハンドバックからティッシュを出し、急場しのぎの耳栓。それでも耳が痛いほどです。得点が入ると観客全員に配られたバンクーバーのチームの白いタオルを頭上でまわして全員総立ち。私も気がついたら大きな声を出し、興奮のルツボの中に。
 
 選手はものすごく速く滑り、時には空中を飛ぶパックを追う。その眼はライオンやトラが獲物を追うその眼と同じ。すごい集中力のある鋭い眼つき。おまけにほとんどの選手は勝利するというジンクスらしい髭をはやしてヘルメットをかぶっているから動物に見えてしまい、ハンサムな君は探せませんでした。

 アメリカ・チームのゴールキーパーは試合前、そして試合中断の間も、ゴール前を全身で壁を作る、バレリーナーのように両脚を大きく開いて氷上にピターとつけた屈伸運動をしていました。右手にスティック、左手に網状の野球の大きなミットのようなものを持ち、体にパックが当たっても良いようにものすごい武装。

 試合は4-1でバンクーバー・チームの勝ち。カナディアンは気が狂ったように勝ち名乗りを上げ、大声を張り上げながらドームを出て行きました。繁華街のロブソン通りに繰り出して勝利の美酒で大騒ぎをすることでしょう。私たちも興奮が冷めず、家に帰りビールとポップコーンで乾杯しました。


散歩中、偶然そこにワラビが
 そこはダウンタウンからちょっと郊外に出た所です。地元の皆さんがジョッギングをしたり散歩をしたりする所。 
私もブラブラ歩いていました。と、見覚えのある植物、いや食べ物! ワラビでした。誰も採らないので、太くて立派な美味しそうなのがたくさん採れました。家に持ち帰り、早速米のとぎ汁で茹で、削り節をかけ、久しぶりに日本の味覚を味わえました。日本人の知り合いにもお裾分けをして、また近いうちに採りに行こうと思っておりました。しかし、3、4日後、私はこちらのワラビはアクが強すぎ、お腹を壊してしまいました。もうしばらく、怖くて食べる気がしません。

 当地の秋にはマツタケが採れそうです。どなたか、マツタケ狩りにお越しになりませんか?

Copyright © Ensen Senior Net  Allright Reserved  LastUpDate 2007/05/15