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第15信 わたしのカナダ体験記『バンクーバー、素敵スポット』 武井悠美子 2007/07/25 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バンクーバー交響楽団の演奏会 代表的な音楽ホール(Orpheum)はダウンタウンの普通のビルの中にあり、いつもその前を歩いていてもちっとも気がつきませんでした。パリのオペラハウスのように独立した建物ではないが、中に入ってビックリ・・・。 オペラハウスを少々小さくした100年以上前の建物でしょう。装飾、造り、階段、天井の壁画・彫刻はまさに100年の歴史を感じさせる古く重厚そのものでした。 いらっしゃっているお客さんもお年を召した方が多く、とっても上品で、飛び切りおしゃれをされていました。普段街を歩いているTシャツ、ジャンパー、ジーンズ姿の人ばかりと思ったら、行く所に行くと、ちゃんとステキにしている人々もバンクーバーにはいらっしゃるのだ! と思いました。途中20分間の休憩時間に、沢山の人がワイン類(赤ワイン$7, ジントニック$6.)を飲んでいました。 さて、演奏のほうは「素晴らしい」の一言に尽きます。 メインの出し物はベートーベン第9交響曲「合唱」。日本と異なっていたことは、指揮者がステージに現れ、結構長いスピーチをして、おまけに観客を笑わせるトークがあり、面白く且つビックリしました。しかし、その指揮といったら、とても繊細で、あれほど手首の柔らかな、女性バレリーナのような動きをなさる男性指揮者を初めて見ました。 また、“第9”の前に女性ソプラノ独唱の曲があり、第一楽章が終わったところで、「暑いわ!」とか言ってショールを丸めてポイッ・・・と床に投げたのには、またビックリ。聴衆の明るい笑いを呼びました。 合唱団員の中に車椅子の女性が居ました。素晴らしい演奏で、すっかり心が温まりました。
バンクーバー市内のちょっと人里離れた集落 Deering Islandという小さな出島がバンクーバー市内の南端にあります。日本でしたら江ノ島といった感じ。約40所帯の集落で、各家が横付けのクルーザーを持つためにこの出島に住んでいます。船を庭先に係留してあり、いつでも好きなときに乗れるように海のレジャー直結型の高級志向の集落です。
摩天楼の聳えるダウンタウンの中心から数キロしか離れていない市内の一角に、牧場の雰囲気とビジネス社会の都会生活が同居している有様を羨ましく感じました。
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第14信 バンクーバー滞在6カ月を振り返って 2007/06/30 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006年末、冬のバンクーバーに滞在し始めてから早や半年になりました。 最初の3カ月間は毎日雨ばかりの天候でバンクーバーの冬はホトホト嫌になってしまいました。挙句の果ては、家内が体調も悪く、「日本に帰りたい!」と私に訴える始末。私は帰られては困るな~と思いながらも「帰りたいなら帰ってもいいよ!」と取り敢えず言ってしまいました。私は、売り言葉に買い言葉で返ってくる家内の返答が心配でしたが、家内はタダ、タダ沈黙を守ったまま耐えていました。今は「この半年は長かった」と家内は述懐しています。私は短かったような、長かったような複雑な思いです。まだやり残したこともありますので、予定通りもう半年バンクーバーに滞在します。本稿もお約束の1年間の「便り」になるように継続したいと考えております。 この「カナダ便り」を書き始めることになった経緯は、日本を離れる前、岩田会長から<カナダ・レポート>を毎週書いて欲しいと依頼を受けました。とても私には才能もノウハウも無いのでお断りしようとしましたが、岩田会長にお世話になった恩義から、2~3週に1回の頻度で双方了解しました。 今の私としては、レポートの内容と評価については棚上げにして、何とか約束のペースを守っていると胸を撫で下ろしています。また、多くの方からアドバイス、励ましのお言葉を頂き、感謝しております。
日本で65歳まで働いた後の海外におけるロングスティですから、本格的な“サンデー毎日”でも良いのではないかと思いました。しかし、生来貧乏性の性格から、家でじ~っとしておれません。バンクーバー生活を始めて1カ月以内に1週間の曜日毎の活動メニューを決め、水曜日は中休みです。 また、岩田会長からは「とにかく晴れの日は少しでも外に出て、デジカメで写真を撮りまくってほしい」とのアドバイスがありました。その結果、雨の日はインターネットで情報の取得と整理をすることになりました。まさに“晴写雨覗”の日々です。 私の 65歳の手習い クリスチャンの方には失礼ですが、本年1月早々から“俄クリスチャン”になりました。 家から30キロほど離れた教会に毎週1回、カナダ人牧師から英語によるカナダの生活に関する5カ月間の「トークショウ」のコースを終了まで通いました。 現在は、新たに牧師の自宅で「料理教室」のカリキュラムに変更になりました。生徒が女性ばかりであることに加え、天候が好転し私の野外活動(ゴルフ・テニス)が多忙を極め、目下私は“休学中”です。 日曜日の礼拝も牧師に対する“返礼”の意味から、これまで2回参加しました。考えてみれば、40年前に家内の関係で長野の牧師の前で結婚の契りをしたこともあり、お礼奉公になればと考えました。今後も神を冒?することの無きよう、少しでも礼拝を重ねたいと願っております。 この半年の間、ブリーフケースを小脇に抱え、朝の電車による40分ほどの擬似通勤(学)を楽しむことができました。電車の通勤客の中でヨーロッパ系の白人は10人に1人ぐらい。一瞬、東南アジアの国に居るような錯覚を覚えます。カナダ全体ではヨーロッパ系白人は40%くらいと言われています。
私はこちらのテレビを見ても、なかなかカナダ人と同時に笑うことができません。ニュース以外は、同時どころか、しばらく時間が経っても内容が分からず、諦めてテレビのスイッチを切ってしまうことがたびたびあります。 カナダに最近移民をした人並みにテレビを楽しめるようにと考え、移民を対象にした州政府関連機関が運営している学校に通うことにしました。15~16人のクラスで、2時間授業、1回の平均授業料は1人2000円弱。テレビ番組が理解できるように工夫された授業でしたが、ほとんどが若者。クラスの中で50歳を超えているのは私がただ一人。教材となる番組は若者向けのテレビ・トークショウです。若者の話題にはなかなか入って行けず、寂しい思いもしました。早くカナダ人と一緒に笑えるようになりたくて4カ月通いました。しかし理解力が前進しているとは思えず、継続するか否か、しばらく悩みました。 今は新聞のニュースを読むクラスに編入しております。こちらには50歳を超える生徒が2~3人います。お蔭様で教育効果は別にして、教材の内容、使う言葉、話題、テーマについての背景説明など比較的分かり易い感じがします。また、この学校に1週間に1回、半日だけの通学でも、格安の学生向け医療保険の加入資格があります。私も学生として加入できました。家内は通学をしていませんが、私の配偶者(学生扱い)として付保されました。保険金のお世話にならないようにしたいものです。この学校の学生の国籍別では、メキシコ人が一番多く、次が韓国人、香港人、日本人がそれに次ぐようです。韓国人の若者のすごいエネルギーを肌で感じています。40年ぶりの通学気分も味わっております。
日本人コミュニティーとの交流は、多くの先達諸氏のご努力・ご支援の結果、幾つかの団体、サークルが活動しております。見知らぬ国、見知らぬ街に住み始め、サークル、イベントに参加することにより、有意義なバンクーバー生活を送ることができています。 また、募金で造った立派な施設、たくさんのボランティアーの方々の役務提供により格安な料金で楽しめます。私は月曜日の午前中に1時間半の柔軟体操(体操は約250円、その後の昼の和定食約300円)で1週間が始まります。 そのほか、英語によるサークル、健康マージャン・クラブ、ハイキング、酒ナイト、音楽を通じた文化交流会など。 私は参加しておりませんが、カラオケ教室、習字同好会、妊婦さんの会、民謡教室など、いろいろなプログラム、イベントがあります。 バンクーバーでの代表的な日系コミュニティー組織としては「隣組」、「日系センター」がありますが、別便でご紹介したいと思います。なお、現在バンクーバーの日本総領事館の在留届ベースでは23,000人の日本人がおります。トロントにも相当の日系人が滞在しています。 ゆったりしたカナダの通勤・通学 どこの国でも街でも通勤・通学時の悩みは、“混雑”でしょう。国土に比べ人口の少ないカナダでは、当然相当恵まれている状況は容易に想像できるでしょう。また、国民性の違いでもあり、駆け足をするような人はほとんど見かけません。 私などはリタイヤーしているわけですから、ゆっくり歩いて良いはず。時々昔からの癖が出て、横断歩道の信号が赤に変わりそうなので駆け足をします。何事が起きたのかと周りの多くの歩行者から驚いた顔で見つめられてしまいます。しかし、市街地、交通の要所での混雑を回避するため、長期にわたった都市デザイン、インフラの開発計画が進められているように思われます。何といっても国土が日本の25倍、将来計画に大きな余裕が感じられます。
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第13信 わたしのカナダ体験記 武井悠美子 2007/06/07 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カナダディアンロッキーの温泉体験(5月30日~6月2日) 3泊4日の温泉バスツアーに参加しました。ガイドブックによると、カナダは世界第6位の温泉保有国だそうです。日本人なら誰もが大好きなお風呂、温泉。カナダでは水着の着用が義務付けられています。 この旅行の事前説明会があり、女性の引率者がこう言って笑わせました。 「日本から来た武井さん! 水着を必ず持参してくださいよ! 温泉に入る時に着ますから、日本のように裸で入ったら現行犯でその場で逮捕され、おまけに後ろに手錠をはめられますからね~ 大変よ!」 カナダ有数のサマーリゾート地 “ケロウナ”(Kelowna) バンクーバーから東南東へバスで7時間(約600キロ)、湖の町“ケロウナ”に着きました。途中我々より大分前方のキャンピングカーが燃え、約1時間バスはストップ。山の中で、消防車が来るのに40分ほどかかり、レッカー車で牽引されましたが、日本ならもっと手際良かったのではないかと思いました。 ここは温泉ではありませんが、オカナガン地方の中心地。温暖な気候を利用してリンゴの果樹栽培に取り組み、カナダ国内はもとより米国北部の各州に輸出もしているそうです。また、地ビール、ワイン造り、特にアイスワインで有名な地方です。
エインズワース(Ainsworth Hot Springs)温泉 ケロウナからさらに東に3時間(約250キロ)走った所。馬蹄形になった洞窟の温泉があるのが売り物。流れ込むお湯は47度と熱いが、洞窟温泉は42度、プールもあり、35度に調整してありました。色はうすい茶褐色。洞窟部分は蒸気が立ち込め、サウナに入っているように汗が出ます。入った後は老廃物が出て、お肌がすべすべになります。 元々は先住民が利用していたといわれています。その後、銀などが近くで見つかり、鉱山の町として栄えましたが、資源が枯渇するにつれ、温泉への注目が集まりました。今ではカナダ人の憩いの施設として定着しているそうです。 日本人は我々30人だけでした。ホテルに併設された温泉で、温泉だけの入浴料は大人7ドル、シニアー6.50ドル, 子供(3歳―13歳)5.00 ドルです。 塩素で消毒してありますので、温泉というよりスイミングプールの“のり”で、雰囲気は異なりますが、温泉に入ると心なしか肌に良いような気がします。関節炎に効くなど、さまざまな効用があるそうです。 洞窟は自然のまま保たれていますが、何度も来たことのある日本人の話では、洞窟の底の部分は、昔は土から砂・砂利となり、スノコに変わり、今のコンクリートにと変ってきたそうです。
3日目New Denverへ 日系Internment メモリアルセンターがあります。受付案内人は日系日本人とカナダ女性がいました。 第2次世界大戦中、カナダ軍によって、在留日本人が各地から集められた収容所です。今回の30名のバス旅行グループの中に、ここに収容されたご当人が2人もいました。とにかく、寒かったそうです。でも、戦地で餓死した人が沢山いたようですが、ここでの生活は食べ物がなんとかあったとか。23,512人もの日本人が収容されたそうです。写真はいずれも展示物です。
4日目はオソヨースに寄る
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第12信 シアトルへ米大リーグ日帰り観戦ツアー 2007/05/18 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バンクーバーから初の海外(米国)旅行 世界の野球トッププロが真剣勝負に挑むUSA Major League Baseball(MLB)・・・。 5月13日の日曜日、バンクーバーからは目と鼻の先、シアトルでナマの大興奮と大迫力を味わうことになりました。バンクーバーにある日系旅行会社主催の大リーグ観戦ツアーに参加するのが安直というウワサ。試合の3週間前に有力旅行会社の<1階1塁側内野席確保、イチロー・城島のマリナーズと松井・井川のヤンキース戦>、<入場券、日帰りバス送迎込み 150ドル>の広告に飛びつきました。 数日前に岩田会長に事前報告しました。ご自身が行かれるように興奮され、「イチローをアップするためにはデジカメでは無理。ビデオを持っていれば望遠で写した後、それを静止画にしたらどうですか?」 私としては自分の寿命と新品のビデオの寿命を比べて新規購入を諦めました。現在所有のデジカメのズームアップ性能を期待して“岩田監督”からの指示(?)は受け入れられませんでした。 念のためと思い、被写体になった人には申し訳なかったのですが、デジカメで2~3枚の盗み撮りをしてズームアップのトライヤルをしてみました。
ウェブサイト(http:/seattle.mainers.mlb.com) で球場に関する情報入手。入場券は1階内野席で55米ドル(約6600円)。外野席で14米ドル(約1700円)。なお、外野席の一部は立見席もあり、7ドルと表示してありました。球場の脇の駐車場は乗用車20ドル。また3~4キロ離れた所の駐車場は10ドル以下で球場までの送迎バスは無料として、道路の混雑緩和を図っているようです。 入場券の購入はクレジットカード番号を入力すれば簡単に購入でき、郵送してもらえます。禁酒の席のセクションもあるそうです。シニア割引の席もあり、早めの申し込みが必要のようです。球場の名前については地元シアトルを本拠とする保険投資会社「Safeco社」が、スポンサーとして命名権(ネーミング・ライツ)契約を交わすことにより会社名を付けたそうです。 55年ぶりに小学生時代の遠足のような興奮を覚えながら、観戦当日、朝6時起床。集合時間7時00分、集合場所は住んでいる所から電車で2駅先、6時45分に最寄駅に駆けつけました。ところがその駅のシャッターは下りっぱなし・・・。ストライキかなと思いましたが、何の張り紙もない。集合時間には間に合いそうもなく、慌てて1.5キロぐらい先の集合場所の方向に走り出しました。幸運にも100mほど走った所でタクシーを捕まえることができました。タクシー運転手に聞くと「日曜日は朝7時にならないと電車は動かないんだよ」。私と家内は、普段は朝6時前から深夜1時過ぎまで運行しているのを毎日マンションから眺めていたので、何の心配もしていませんでした。今日は日曜日、教会に行ってお祈りをする日なんだ! 恥ずかしながら、後で調べましたら、平日の始発は5時43分、土曜日の始発は6時43分、日曜日の始発は07:43分であることを初めて知りました。どうしてこんなに曜日によって差があるのでしょう?旅客需要に基づくのか、電車会社の働く労働者側の主張によるものか・・・。多分両方の要素が複雑に絡み合っているに違いありません。 6年前は.アメリカ旅行も国内旅行並み 参加者約90人が3台のバスに分乗。ほとんどの参加者は留学生・ワーキングホリディーの若者ばかり。60歳過ぎての参加者は我々2人だけだったでしょう。 バンクーバー・ダウンタウンを07時10分に出発してシアトル方面に南下し、50キロでアメリカ国境に到着。一般の乗用車は300台以上の長蛇の列。バス利用者は個人の自動車の人達とは別の取扱いで比較的スムーズに入国審査場へ。入国審査場では家内の脇に麻薬捜査犬が澄ました顔で座ってしまって動きません。家内は犬の頭をなでようとしましたが、係官が家内に対しカバンを開けるよう要求。麻薬でなく、朝食用のおにぎり(ライスボール)が原因でした。その後、全員が両手の人差し指の指紋と顔写真を撮られ、入国審査官に6米ドルの費用を支払い、アメリカ側に入国。小1時間掛かりバスに戻りました。 犬に取られなかった“おにぎり”を食べながら、バスは更に南下し、180キロでシアトル。11時ごろセーフコ・フィールドに到着。片道3時間半のバス乗車でした。 北米では野球場を「Ballpark」と言うのだそうです。雨が降りだすと、ライト方向から屋根がスライドして、グラウンドを覆います。天気の日はすがすがしい涼風を感じながら試合を楽しめます。
千両役者のイチロー人気に便乗した“イチロール” 通常は、試合開始3時間前から[Ballpark]はオープン。我々は2時間前の入場でした。 5月13日は“母の日(Happy Mother’s Day)”で先着15000人の女性にマリナーズのロゴ入り半袖のTシャツのプレゼント。球場内の施設の売店、遊戯場、カフェテリアなどを見学し、ランチボックス・ビールの調達をしていたら、あっという間に試合開始時間が迫る。澄み切った青空が広がるボールパークでは、冷たいビールとホットドッグが定番のようです。イチロー人気に便乗し、最近発売し始めた「イチロール」(小さく、ピリッと辛いツナのカルフォルニア巻8個と枝豆少々で8ドル)を国産愛用気分で買い求めました。美味しさの程はノーコメント・・・。ビールは小瓶1本8ドル、ただしプラスチックの瓶でした。天候は曇りで13度Cと寒い日でした。
3日間連続の3連戦、1勝1敗を受けての決戦。球場内の出場メンバーリストにはマリナーズの城島キャッチャーの名前がない。最近大活躍の城島がスタメンから外されていたのを知った私たちは、ちょっと拍子抜け。同行した日本人観客の中には、城島のメッセージ・プラカードを家で作成し持参してきた人はガッカリしていました。しかし、まばゆいばかりのユニホームをまとった本物のイチローと松井秀の勇士に、言葉にならない感動に浸たったのでした。 ちょうど午後1時には観客総立ち。始球式の後、星条旗を掲げた儀仗兵6人がマウンドに向かう。ソロの歌手の歌に合せてアメリカ国歌を斉唱。添乗員には“口パク”をやるように言われていましたが、余り観客の中では歌っている人も少なく“口パク”をしないで済みました。 1時5分プレーボール・・・。 「イチロ―! イチロー!」のコールは当然のこと、スゴイ! 私たちのすぐ前の3人のアメリカ人観客も、ひとりはヤンキースのジャンバーでしたが、あとの二人はいずれもイチローのジャンバーを着た熱烈なフアンでした。相当のフアンを持っていると直に感じました。それもそのはず、イチローは「走・攻・守」、すべてに最高級の技を披露する“野球芸術家”。前人未踏のシーズン262安打記録やWBC世界一など、数々の名誉を手に入れた日本のスーパースター。 ヤンキースはアウェイであり、また我々は一塁側(マリナーズ)席なので残念ながら松井秀のコールはほとんど聞こえてきません。
日本人大リーガー、イチローと松井秀の活躍 試合は期待通りの1点を争う好ゲーム。イチローは3回1死から、中前打で出塁し、見方のタイムリーで先制のホームを踏むなど、4打数2安打で7試合連続安打となった。松井秀もホームランこそ無かったが、中越え2塁打を含む4打数2安打。試合はマリナーズが2-1で勝った。2人の日本人大リーガー選手の活躍ぶりを堪能することができました。また、ヤンキースの遊撃手 デレック・ジーターの2度のジャンピングスローの超美技。サーカスの曲芸を思い出させるプレーでした。
子供扱いの日本人留学生 6回裏マリナーズの攻撃が終わると、ロックンロールの曲に合わせてグラウンドキーパーがレイキを持って整備をし始めました。曲がアップテンポになると、突然レイキを投げ、キーパー全員がグラウンド内でリズミカルに踊り出しました。しばらくして、また仕事に戻りました。観客の気持ちを和ます、粋なサービス。 同行した日本人の留学生が売り子からビールを注文すると、ほとんどが身分証明(パスポートなど)の提示が求められます。売り子は興味深そうに身分証明書の年齢・顔写真と本人の確認をしてプラスチックのビールを手渡す。彼らから見ると日本人の学生はみんな子供に見えるのでしょう。
高速道路のサービスとカナダ入国審査 試合終了後、我々のバスは午後4時ごろにはバンクーバーに向けて出発。途中高速道路の多くの木々に囲まれたレストエリアで一服。ペット用のエリアもあり、トイレもきれいで、スペース的には十分余裕のあるレストエリアです。しかし、日本の高速道路のサービスエリアと比べたコーヒー、クッキー、飴、ガムしかない売店で寂しい感じ。それがスタンダードだそうです。もっとも高速道路料金はありません。 帰りのカナダ入国審査はバスから降りることなく、逆に2人の審査官が我々のバスに乗り込んで来てくれました。一行の中のメキシコ人・イタリヤ人各一人とバスの最前列に座っていた家内のパスポートをまずチェックしました。家内は滞在6カ月以内の観光ビザで昨年末入国して既に5カ月経過しています。 審査官は「今後の帰国の計画がハッキリしていないのであればそれは問題だ!」と。私が「3週間前に滞在延長申請を当局に提出している」と答えたら、「本当か?」と訊かれ、「本当だ!」と答えたら「OK」と言って2人の審査官とも下車してしまいました。 おかげで私を含め他の約40人はノーチェック。家内は往路で麻薬捜査犬に咎められ、帰路で審査官から要チェック旅行者となり、馬齢を重ねていることもあり、団体客約40人の“陰の代表者”と認められたようです。 午後7時30分予定通りバンクーバーの出発地点に戻り、大きなトラブルも無く、素晴らしい日帰り大リーグ観戦ツアーとなりました。
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第11信 わたしのカナダ体験記 2007/05/05 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1ヶ月前の第8信は「ヒデ坊」の妻・私が担当しましたが。岩田会長と何人かの女性から上手に激励され、その気になって、また、筆を執ることになりました。これからも時折顔を出すことになりそうですが、私の日記としてご覧ください。
アメリカとの国境を越え、日帰り撮影会参加 バンクーバーから車で1時間ちょっとでカナダとアメリカの国境です。4月早々に、国境を少し越えた所「スカジットバレー」へ、チューリップの撮影に行きました。オランダのチューリップ畑と同じような感じ。 2001年の同時多発テロ以来、アメリカ側の警備が厳しくなり、アメリカに入国するのに5時間もかかったことがあると旅行社の方の言。私たちは団体バスツアーのため、優先的な取り扱いで手荷物検査も無く、顔写真と指紋取りだけなので1時間ぐらいで出入国手続きが済み、ほっとしました。また帰りには「ラ・コーナー」というとても可愛い街にも寄って、アメリカドルで買い物を楽しみました。
ワインと寿司で乾杯 ある画廊のベルニサージ(展覧会のオープニング・パーティー)に呼ばれ、行きました。お客さんは全員がカナダ人らしい。飲み物のグラスを手に、展示された絵を見ながら知り合いと話をしたり、ワインを味わったり。 時々若い女の子が近寄ってきて、サンドイッチと寿司をおつまみに、と奨めます。お寿司がのったお盆の真ん中にお寿司につける醤油が1合ぐらい入った瀬戸物のポット。食べ方が良く分からない人は、じゃぼ~んとお寿司を醤油ポットに入れ、「あぁ~、タイヘン!」と思いましたが、私は何も言えませんでした。 そうそう、1カ月前の「さくら祭り」の会場のお寿司の出し方もそうでした。私はこれを何とかしてあげたいのですが・・・。平らな小皿に少々の醤油をとワサビを入れ、無くなるのを見計らって少しずつ継ぎ足したサービスにして・・・美味しくお寿司を食べて欲しいものです。 お寿司自体はとても新鮮で美味しいですよ。カルフォルニア巻きも、えび・かに・アボカド・キュウリが入っていて、海苔とシャリが反対にくるくる巻いてあって、なかなか美味しかったです。他に、このカルフォニア巻きにはマンゴ・レタス・海老天・マグロ・スモークサーモン・うなぎの蒲焼・パパイア・etc. があります。皆様もお試しあれ! 「こん~なの、お寿司ではな」とお思いでしょうが、カナダ人は生ものがのっている寿司より、よく食べています。 子供の頃からゴルフ練習を始められる環境 ダウンタウンから車で30分位、遠くても1時間ぐらいのところにゴルフの本コースがいくつもあります。 この頃は夜の8時ぐらいまで明るいので、スタート時間がお昼頃でも18ホールスルー回り(日本のような途中昼食・休憩なし)。夕食時間までには家に帰れます。 サンドイッチや飲み物をスタート地点で、また、途中でも夜店の車のようにカートで飲食物を売りに来ます。皆フィンガーフーズを食べながらプレーを続行しています。日本人には「おにぎり」という腹持ちの良い格好のものを我々はいつも持参します。 コースの途中でびっくり・・・。リスはもちろんのこと、先日はビーバーのほか、2頭の野生の鹿がカート道路のすぐ近くまで来て草を食べていました。野生といっても人間馴れしていて、近づいても逃げません。目の前5メートルくらいでした。北海道でキタキツネをコース内で見たことがありますが、鹿にはびっくりしました。デジカメをその時は持っていなかったのが残念でなりません。 沼地には大きな(日本の2倍はある)黄色の水芭蕉の群生があり、私は白いのは日本でよく見ましたが、鮮やかな真黄色の水芭蕉は初めて。しばし足を止め見入ってしまいました。このゴルフ場は山のすぐ麓でした。
日本のような街中で網に囲まれたゴルフ練習場はありません。打ちっぱなしは本コースの練習場に行きます。ダウンタウンから車で15分ぐらの所に、子供専用とも思われるパー3の18ホールのショートコースがあります。12歳以上の同伴者がいれば、どんなに小さな子供でも日本円900円ほどの料金で18ホールのラウンドが出来ます。 恵まれたゴルフ環境ですが、世界的に有名なカナダ国籍のプロゴルフプレーヤーをほとんど聞いたことがありません。素質のある選手は、小さい時からアメリカ留学をして有力選手になれば出稼ぎのため、アメリカに移り住んでしまうのでしょう。 日本にもショートコース(パー3ばかり)がありますが、こちらでは「ピッチ・アンド・パット」と呼んでいます。それを初めて聞いた時、私はグリーン周りの練習場かと思いました。所変われば言い方も変わるものですね。
カナダで生まれ、カナダで育ちのアイスホッケー 今のアイスホッケーは「ラ・クロス」という競技で、それが氷上のスポーツとしてが発案され、カナダの国技になったそうです。今では「氷上の格闘技」とも言われています。 ここバンクーバーでも日本の野球やサッカーのように市民は地元チームの応援に熱がはいり、街中が大騒ぎ。過去にはダウンタウンの中心街ロブソン通りで熱狂的フアンがショーウインドウを壊したり大暴れしたことがあったそうです。そんなことから、この頃、試合終了の直前から競技場の周りには機動隊のように警察官がガードすることがあります。
アメリカとカナダのアイスホッケー・プロチームの予選リーグ戦で勝ち残ったバンクーバー・チームは準決勝に進出し、最初の相手はアメリカ・ダラスのチームと4ゲーム先取で勝敗を決めました。私たちはバンクーバー・チームがダラス・チームとの4試合目が終了した時点で、街の騒ぎに触発され、決勝戦を見ることになりました。 それは、それは、すごい!! 生まれて初めて観るカナダ対アメリカのチームのアイスホッケー戦・・・それは実に見応えがありました。ドームに入るなり、ものすごい熱気。私達の席はゴール・キーパーまで最短距離でリングサイドの前から2列目。1列目はテレビ局のカメラ席。S席一人125ドル(約13,000円)で高いなと思いましたが、後でカナダ人から聞いた話では街のダフ屋で3倍~5倍に吊り上っているそうです。そんな熱狂的なファンは惜しげなく高い席でも買うのですね。
試合が始まり、ものすごい声援が耳をつんざく。思わずハンドバックからティッシュを出し、急場しのぎの耳栓。それでも耳が痛いほどです。得点が入ると観客全員に配られたバンクーバーのチームの白いタオルを頭上でまわして全員総立ち。私も気がついたら大きな声を出し、興奮のルツボの中に。 選手はものすごく速く滑り、時には空中を飛ぶパックを追う。その眼はライオンやトラが獲物を追うその眼と同じ。すごい集中力のある鋭い眼つき。おまけにほとんどの選手は勝利するというジンクスらしい髭をはやしてヘルメットをかぶっているから動物に見えてしまい、ハンサムな君は探せませんでした。 アメリカ・チームのゴールキーパーは試合前、そして試合中断の間も、ゴール前を全身で壁を作る、バレリーナーのように両脚を大きく開いて氷上にピターとつけた屈伸運動をしていました。右手にスティック、左手に網状の野球の大きなミットのようなものを持ち、体にパックが当たっても良いようにものすごい武装。 試合は4-1でバンクーバー・チームの勝ち。カナディアンは気が狂ったように勝ち名乗りを上げ、大声を張り上げながらドームを出て行きました。繁華街のロブソン通りに繰り出して勝利の美酒で大騒ぎをすることでしょう。私たちも興奮が冷めず、家に帰りビールとポップコーンで乾杯しました。 散歩中、偶然そこにワラビが そこはダウンタウンからちょっと郊外に出た所です。地元の皆さんがジョッギングをしたり散歩をしたりする所。 私もブラブラ歩いていました。と、見覚えのある植物、いや食べ物! ワラビでした。誰も採らないので、太くて立派な美味しそうなのがたくさん採れました。家に持ち帰り、早速米のとぎ汁で茹で、削り節をかけ、久しぶりに日本の味覚を味わえました。日本人の知り合いにもお裾分けをして、また近いうちに採りに行こうと思っておりました。しかし、3、4日後、私はこちらのワラビはアクが強すぎ、お腹を壊してしまいました。もうしばらく、怖くて食べる気がしません。 当地の秋にはマツタケが採れそうです。どなたか、マツタケ狩りにお越しになりませんか? |
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