編集支援:阿部匡宏
編集:岩田忠利     NO.158 2014.8.11 掲載 

画像はクリックし拡大してご覧ください。

昔の町並

大正5年上丸子地区家並
                                                 

   沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』の好評連載“復刻版”


   掲載記事:昭和62年6月1日発行本誌No.38 号名「楢」
   
企画・編集 :岩田忠利(編集長)  取材 ・文本田芳治(菊名)  イラスト ・マップ石野英夫(元住吉) 
    復元協力:
青木弥太郎(上丸子天神町)/大山政治(上丸子八幡町)/野村八十(上丸子八幡町)/
            野村忠行(上丸子八幡町)/ 山本五郎(上丸子山王町・日枝神社宮司)



 古来,多摩川は大雨のたびに氾濫を繰り返し、沿岸住民の生活を脅かしてきました。安心して生活できる多摩川の改修は永年、住民の念願でした。

 大正7年ついに改修工事に着手、同10年には今日の立派な新堤防が完成しました。しかし問題は、流路の拡幅工事で立ち退くことになった青木根集落と松原集落の対応策です。その実態は水害に悩む多くの沿岸住民の公益のため、ひいては「お国のため」と称し、先祖伝来の農地や住み慣れた家屋敷を何の補償もなく、代替地も与えられず、坪当たり1円という超安値で強制買収されたのでした。

 新天地への移転を余儀なくされた人たちを待っていたのは、新堤防の外での厳しい生活でした。

 私は取材で上丸子地区を訪ねるたび、理不尽な強制移転の話や移転後の苦労話を皆さんからよくうかがいました。

 しかし、それは形のない単なる昔話に過ぎません。その話を裏付け、次世代の人々に語り継ぐ資料ができないものか……。そこで地元有志の皆さまのご協力を得て、ここに「多摩川改修前、大正5年の上丸子地区の家並み」が実現しました。(岩田忠利)




    大正6年(1917)多摩川改修前の地図

上部の太い線が中原街道。地元・上丸子地区では「松原通り」と呼んでいました。その右先端、多摩川を「丸子の渡し」で東京側と神奈川側を結んでいました



  昭和62年(1987)、左の地図の70年後

大正10年、多摩川改修工事が完成。青木根と松原集落が移転し河川敷が大幅に広がっています。昭和9年に丸子橋が開通し「同年11月に「丸子の渡し」は廃止に。

                                近年の上丸子



  青木根集落があった交通公園あたり一帯

青木根には沖の根天神社があり、現在の町名は「上丸子天神町」



「丸子の渡し」があった川崎側の船着場

地元の榎本幹雄さん(上丸子八幡町)が貸ボート業を営む


  多摩川堤防工事前、大正5年の上丸子地区家並


     神奈川県橘樹郡中原村大字上丸子(
青木根・松原・山谷・上・下の集落)


      ★各家は四角内の数字で表示。各家の職業などの情報はその数字ごとに掲載。




 1.  青木(熊) 下駄屋。孫は移転してとび職。

2.  青木(孫) 家作持ち。孫は丸子通2丁目で青木酒店。

3.  青木枡之助 農業・土建業。息子弥太郎が天神町在住。

4.  高山(島) 砂利採取。本人は従軍、妻は96歳で健在。

6.  高山周五郎 農業・砂利採取。孫は勤め人・駄菓子屋。

8.  高山(豊) 農業・砂利採取。孫は天神町でとび職・植木屋・白百合荘を経営。

9.  青木(長) あめや

10.  中村勝五郎  農業。子孫は天神町で家作持ち貸ビル業。

13.  中村(角) 農業・アサリのむき身屋。現在は天神町で中村稠が貸ビル業。

14.  中村重五郎 大地主。現在は天神町で貸ビル業。

15.  青木(富) 農業。チョンマゲシッチャンといわれ、チョンマゲで一人暮らし。
 
  17.  石井(みなみ) 農業。南の方に住んでいたので通称ミナミ。孫は丸子通二丁目でとび職。

18.  坂井(よつや) 四ッ角にあったので通称ヨツヤ。子孫は天神町で町工場を経営。

19.  石井(鉄) たばこ・塩小売。丸子通2丁目で同じ商売。

20.  遠藤(篭や) 息子戦死。丸子通1丁目に養子湯浅一郎。

 21.  青木(ひがし) 農業。東の方に住んでいたので通称ヒガシ。3代目博が丸子通2丁目で建材屋。

22.  荻野仁三郎 舟大工。息子二郎、孫重光。天神町で勤め人。

24.  海方  砂利採取。息子藤吉、孫幸男、天神町で勤め人。

25.  中村  新しい家に住んでいたので通称ニイヤと呼んだ。

27.  石井  農業。通称権ぱち。息子誠、天神町で勤め人。

28.  青木徳太郎  農業。通称ウメダ。天神町で青木建設。

29.  川口(安) 砂利採取。息子直吉、天神町に在住。

31.  青木(市) 農業。通称カライッチャン。131青木の兄。

34.  白井鹿之助 農業。丸子通2丁目で勤め人、白井元。

35.  青木昇平 たびや。丸子通2丁目で青木米店を経営。

36.  安藤市五郎 たびや・農業。孫幸男丸子通1丁目在住。

39.  浴場  現在はなくなっている。子孫も不明。

40.  浅見徳太郎 やきいも屋。孫重太郎、丸子通2で教師。

41.  榎本  居酒屋たまや。丸子通1丁目、プロ野球巨人軍寮の場所。

43.  白井金太郎  砂利採取。孫信夫、丸子通1丁目で勤め人。

44.  内海(床屋) 息子二郎、丸子通1丁目にいたが死亡。

45.  青木又蔵 いかけや。英雄が丸子通2丁目で青木工業。

 46.  大貫重太郎  提灯・傘屋。上丸子の人と沼部の人と3人で渡舟場の元締。丸子通2丁目に照夫。

 50.  野村文五郎(5代目) ほしかや。野村家の総本家で、ホンダナと呼ばれていた。現在は7代目。
                2
代目は八百八を作った人で有名。
★「とうよこ沿線物語・祐天寺編」と「同・武蔵小杉編」参照。

 51.  重田繁松  農業。通称かね八。居酒屋をやったこともあるが現在丸子通1丁目でパン屋。

52.  白井(作) 砂利採取。43白井の弟。現在孫は勤め人。

 53.  山本要次郎  代々大楽院の世話人。息子国義、孫和夫、新丸子東1丁目で質屋・バッティングセンター。

54.  重田田佐太郎 長男が丸子通1丁目で栄喜堂、次男が八幡町でとび職。

55.  山本譲吉   団子屋。丸子通1丁目で山本稔が勤め人。

57.  白井種吉   農業後、自転車屋。丸子通1丁目に映之助。

59.  野村幾太郎  畳や。孫耕一が八幡町で勤め人。

 60.  野村利造   農業・砂利採取。通称向店「モコダナ」 本店前の店の意味。孫は八幡町で野村製作所。

 61.  矢作米吉   農業・竹細工。現在は丸子通2丁目で幸子が荻巳荘を経営。

 62.  鈴丸    川魚料理屋鈴半。長男は戦死、次男太一は山王町1丁目で東京の区役所に勤務して定年退職。

65.  野村(吉) 現在丸子通1丁目、野村藤雄。

67.  山本与四郎  通称名、山の家「ヤマノウチ」。

68.  山本伊三郎  とび職。息子は八幡町で大工と東急勤務。

69.  山本銀次郎  農業・酒小売業。孫久夫、八幡町で居酒屋。

 73.  小金井かめ  角にあったので「角カメ」。農業・舟頭で最後の舟頭といわれ、八幡町で元治が勤め人。

74.  神宮盛太郎  農業・砂利採取。孫信夫が八幡町で勤め人。

 75.  大山重八   農業・屋根屋。長男仲八は八幡町で建材屋。次男栄八は土建業「大山組」の社長。

76.  白井米吉   農業。次男が新丸子町で不動産屋、3男は向河原で町工場経営。

77.  白井佐十郎  みかんの仲買、76の弟。孫八幡町で勤め人。

 78.  山本留五郎  豆腐屋。長男吉太大郎が丸子通2丁目でGスタンド、次男角次郎丸子通1丁目で豆腐屋。

 80.  村瀬     大工。孫武夫が八幡町で左官屋。

81.  野村要蔵   農業・砂利採取。息子が八幡町で運送業。

83.  柏木徳太郎  米搗き場。息子平八は八幡町で司法書士。

84.  榎本初五郎  農業。孫新太郎が八幡町で勤め人。

86.  小金井市五郎 農業。光三が八幡町在住スーパー経営。

87.  田村鎌吉   農業・多摩川の漁師。息子は八幡町で勤め人。

 90.  野村正吉   農業・舟頭の責任者。現在野村八十が八幡町で野村造園建設経営。町会長

92.  白井子之吉   農業。現在は八幡町でGスタンド経営

 94.  野村      かいどが長いので長大門という。81の兄。息子は丸子通1丁目で土建業。

95.  小金井伝蔵   農業。天理教信者。孫博山王町で勤め人。

96.  山本甚五郎   居酒屋三好屋。養子が八幡町で米屋経営。

 97.  山本友蔵    農業・馬喰。馬力もやっていた。八幡町で長男は花屋、次男はマッサージ師。

98.  山本由蔵    菰(こも)の仲買。孫が八幡町で勤め人。

101.  白井太郎兵衛  日枝神社飛射祭の的を作る家柄。

 103.  山本錬吉    農業後、飲食業。河川工事の代払いをやっていたが、息子文吉が新丸子東1丁目に。

104.  小金井新蔵   農業。数馬様といわれた。孫が運送業。

 105.  山本 操    日枝神社の宮司。丹波様といわれた家柄。現宮司は長男山本五郎。

 106.  山本力蔵    丹波様の分家で宮仕えを務めていた。孫一雄は丸子通1丁目で勤め人。飛射的作りの家柄。

 107.  榎本平三郎   農業。平馬様と呼ばれた家柄。現在は山王町1丁目で平二郎が不動産賃貸業。

108.  榎本権太郎  農業。山王町1丁目で孫房男が紙工業。

 109.  大山直三郎   農業。中原町町会議員を務めた。息子政治が山王町1丁目に在住、飛射祭の役員。

111.  白井菊三郎   農業。孫菊男が山王町1丁目で勤め人。

112  柏木太右衛門  農業。飛射祭の家で孫好文がタバコ屋。

 113.  大山勝五郎   農業。多摩川の入口にあり通称「坂口」。本人は戦死、娘福子が住み、勤め人。

114.  重田九十郎   農業・酒たばこ屋。息子清重が貸ビル業。

115.  山本綱五郎   ニイヤと呼ぶ。孫が山王町1丁目で勤め人。

116.  山本政太郎   農業。孫泰明が山王町1丁目で酒店経営。

117.  隠居屋敷    屋敷の中に柿の木があったが当時既に無住。

122.  横山松五郎   農業。息子岩太郎が山王町1丁目で石屋。

123.  重田繁松    茅葺屋根屋。小新家。孫勝行が重田組経営。

124.   柏木重治   農業・馬力。孫康博が川崎市水道局勤務。

125.  矢作豊次郎    農業・砂利採取。息子光雄が瓦職人。

127.  矢作杉五郎    農業。息子富二雄が山王町で瓦職人の頭。

128.  小金井愛助    多摩川の漁師。息子保雄が山王町で鳶職。

129.  白井重久     水車小屋を持って、農業の人に貸していた。

130.  青木新助     馬喰。息子の妻・娘・孫が丸子通で勤め人。

131.  青木伊三郎    農業・舟頭。丸子通2丁目に定吉が住む。

132.  中村       魚富という魚の行商。息子小一は八幡町に在住。

「とうよこ沿線」TOPに戻る 次ページへ
「目次」に戻る