NO.18 2014.4.8 掲載  
樹木
 
いま危ない! 崇拝されてきた名木古木

文・編集:岩田 忠利(著作「名木古木」)                       

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1. 現存する巨木…日本一の巨木(鹿児島県蒲生町の大楠)


 当サイトで「名木古木」の連載を始めたころ、私は日本一の巨木、鹿児島県のこの「蒲生(かもう)大楠」の写真がどうしても手に入れたかったのです。鹿児島には知人友人も一人もいない。一枚の写真のためにわざわざ鹿児島まで行く暇も費用もありません。

 「蒲生の大楠」との不思議なご縁

 
ところが、不思議なことがあるものです。私の写真集「わが町の昔と今」第3巻「神奈川区編」を入院中の父親にふるさと神奈川区の写真をベッドの上で見させたいという人に郵送したことを、ふと思い出しました。さっそく柱 敦史さんという方に「お知り合いの方で蒲生の大楠の写真をお持ちの方がいらっしゃたらお借りしたい」とメールを出しました。
 と、15分も経たずに返信が…。なんという有り難いご縁なのでしょうか。
 「私はその写真ならたくさん持っています。スキャンして今日中に送ります」とのこと。じつは、この木は彼の自宅から車で15分ほどの隣町、蒲生八幡神社の御神木。毎年の初詣、安産祈願、子どもたちが大楠のようにすくすく成長するようにと七五三、七草など年中行事ごとに家族でお参りする、いわば、柱家の“守護神”だったのです。お参りするたび、この大楠の下で家族の記念写真を撮っていたのでした。




 2009年1月撮影・提供:柱 敦史(鹿児島県姶良郡姶良町)

 樹齢1500年(推定) 樹高30m、根周り33m、幹の太さ24.2メートルも・・・。根の上には根を傷めないようウッドブリッジが設置されています



2009年1月撮影・提供:柱 敦史(鹿児島県姶良郡姶良町)

 幹の左下をご覧ください。扉付きでカギがかかっています。扉を開けて中に入ると、八畳間ほどの広さの空洞。見上げると十数メートルの所から外の光がさし込み、トトロの世界を彷彿する神秘な空間だそうです。

 蒲生の大楠が日本の全樹種を含め、「日本一の巨木」であることが分かったのは平成元年6月。環境庁が初めて実施した「全国巨樹巨木林調査」の結果によるものです。













2. 現存する都心の大木
「本郷弓町の大クス」(文京区本郷1丁目)

 
 現存する巨木や大木は、ほとんど神社やお寺、公園や植物園内にあり、そこで管理されているものです。この「本郷弓町の大クス」はビルの谷間の民有地、しかも道路端に立っています。それだけに、出合いの喜びは格別なものがあります。

 室町時代から世の変遷を見守る自然木

 堂々と根を張った根元、まっすぐ伸ばした幹、緑濃く枝葉を広げた姿は威勢がいい。樹齢600年とは、想像できないほど元気です。根元の周りは踏み固めないように竹の柵があり、きれいに掃除され、この木に対する住民の皆さんの優しさが感じられます。

 このあたりは江戸時代、旗本・甲斐庄喜衛門の屋敷があった所だそうです。余談ですが、この甲斐氏は南北朝時代の武将、あの楠正成の子孫でした。周囲に与力同心の屋敷があり、御弓町と呼ばれていましたが、明治時代の町名変更で本郷弓町になり、そして今は弓町の名は消え、本郷一丁目になっています。この町内には近代的なビル群の中に明治や大正時代にタイムスリップしたような古い木造の老舗旅館が今もがんばって営業しています。
 
 樹齢600年からからみると、このクスノキは当の甲斐氏の屋敷だったずっと以前、西暦1400年代の室町時代初頭の頃から自生していた“自然木”であったことになります。京都の室町に幕府が置かれ、幕府の財政軍事基盤が弱いため、政変が絶えず戦国時代と呼ばれ、下克上が頻発、さまざまな一揆が各地で起こった悲惨な時代でした。
 このクスノキはそんな戦国の室町時代から日本の激動の時代をつぶさに見届けてきたかと思うと、感慨ひとしおです。



 推定樹齢600年。樹高20m 目通し幹周り8.5m
 幹にしめ縄が巻かれ、根の周りを踏み固めないよう竹の柵。民有地なのに、清掃も行き届き、よく管理されています 
 2010年8月13日撮影:岩田忠利 





3. 供出させられた戦時中の大木。片や一本の杉で土地1千坪購入



昭和18年7月、川崎市中原区井田地区の材木供出

 戦争がはげしくなってきた昭和18年、軍の造船用木材が不足し、全国各地の私有地の樹木までが無料(タダ)同然で強制的に供出させられました。中原区井田地区でも町内会に県木伐採班という組織が編成され、責任者・先山・本挽・人夫・馬車・牛車の各係がその任に当たりました。
 提供: 田辺延義(井田中ノ町)












  昭和16年5月、「原の大杉」斧入れ式

 
写真左の2年、この年12月に太平洋戦争に突入しましたが、まだ戦争前。八雲4丁目の小杉久弥家では天向かって真っすぐ伸び、根元から最初の枝まで50尺(20.5b)もある写真の杉の木を5000円で売却。当時八雲の土地が坪5円だったのでその代金で1000坪の土地を買ったそうです。この杉を買った白子銘木店・白子清治さんの話です
  提供:白子清治(柿の木坂1丁目)





4. 消える名木・古木
「鶴岡八幡宮の大イチョウ」(鎌倉市雪ノ下)


 樹齢1000年の“隠れ銀杏”

 今から約800年前のこと、建保7年(1219年)1月27日、源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁(くぎょう)は、この銀杏の木の陰に潜んで待ち伏せ、3代将軍源実朝を殺害したという伝説があります。そのため、この木は隠れ銀杏≠ニいわれています。 
 しかし、こんな説もあります。樹齢1000年余りのこの木が、約800年前の当時、人が隠れることのできる太さにはまだ生長していなかっただろうという説です。真偽のほどは、この大イチョウのみぞ知る、ではないでしょうか。


 樹木にとって受難の現代

 
名木・古木の環境に近年、異変が起きています。それは地球温暖化、大気汚染、周囲の宅地開発などの環境変化。これに耐えきれず消失する名木・古木が年々増えています。

 十年一日のごとく何百年、何千年の歳月を重ね生き続けてきた古木。その間、子々孫々の人々に親しまれていた名木・・・。
 これらの名木を訪ねてみたら、数年前に枯れて切り倒された後だったという例は数知れません。
 目黒・大鳥神社の楠。鶴見のお寺や神社では4ヵ所。京都・渡月橋の桂川の桜並木。梅の名所、青梅市の梅林の梅は病気で今年中にすべて伐採されるそうですね。そ、そう、岩手県陸前高田市の、あの奇跡の一本松もついに枯れました。まだ現存していても立ち枯れ寸前の古木や大木は、相当あることでしょう。

 こうした自然遺産である名木古木が倒れる前に、「いかにして存続させるか」をいま、みんなで真剣に考える時だと思います











平成21年7月26日撮影:山田紀子(都筑区北山田)


この写真撮影から7カ月半後、平成22年3月10日早朝、強風で突然根元から折れました。
 
1000年も生き続け、樹高30メートル、幹の太さ7メートルもの巨木が、まさか風で突如倒れるとは?!



写真上の倒れたイチョウの古株から出た新芽
平成22年4月14日撮影:北澤美代子(港北区綱島西)

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