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                NO.17 2014.4.4掲載 
          文栗原茂夫(港北区高田西 。著作「ドキュメント 少年の戦争体験」
樹木
 百日草の詩(2)

          
憲法改正草案第9条をめぐって

みんなで考えよう! 自衛隊の国防軍化=憲法改正、是か非か


 第2次阿倍内閣が発足したとき、神奈川新聞社から電話取材を受けた。サイパン島での戦争体験を自費出版したばかりだったからか、県内有権者の一人として「国防軍」について意見を求められたのである。記事は次のように纏められた。
 右傾化を懸念するのは、太平洋戦争時のサイパン島で父と2人の弟を失った港北区の小学校の元教諭の男性(77)だ。  

 父は「国防色」の国民服を着ていたため、軍人と間違えられ米軍に銃撃されたという。「『国防』という言葉で、国民は国に守られていると思うかもしれないが、国を守るために国民が犠牲になるのが戦争の実態」と指摘。男性は「今後あらぬ方向に向かわぬよう、為政者を有権者が監視していく必要がある」と自らに言い聞かせた。


 「期待と懸念が交錯」の見出しのもと、バランスをとったかたちで、
 
一方で、自民の外交方針に賛同の声も。港南区の男性会社員(60)は「日本は外国から弱く見られている」と不満を募らせていた。それだけに、憲法改正による自衛隊の「国防軍」への位置付けまで掲げた強い姿勢に、期待を寄せる。

 
タウンニュース紙「人物風土記」欄の掲載目的で若い女性記者の取材を受けたのは昨年のことだった。<若い世代へ戦争伝える」>の見出しで纏められた談話記事のなかでわたしは次のように述べた。

 
「現在、国内の状況が変わり様々な動きがある中、若い世代を気がかりに思う。判断は人の自由。だが、判断を下せるだけの歴史的な真実を知り、知識を得てほしい」

 日米開戦から71年目の平成24年12月8日。神奈川新聞は、拙著「ドキュメト 少年の戦争体験」の出版を伝える記事を掲載した。
 見出しは
<戦争の真実を知って>。憲法改正に向けた動きに「真実を知って」の願いはますます強くなるばかりである。


平成23年3月、自衛隊の東日本大震災被災地救援



著者紹介記事(神奈川新聞)

国防軍は本当に国民を守るのか?

 自民党の憲法改正草案の第9条の2 Bは <国防軍は……国民の生命若しくは自由を守るための活動を行う>となっているが、この文言を額面通りに受け止めて間違いはないのだろうか。

 
昭和21年4月、世話になった叔父の家(平塚市)から大磯に転居することになった。山間の道を行くと、右手にゆるやかな斜面の早春の畑が拡がっていた。わたしが奇異に思ったのは、ところどころに得体の知れぬ穴がいくつも掘られていることだった。

 後日、耕作中の農夫の方から「穴」の正体を聞くことができた。本土決戦となったとき、上陸してくる敵の戦車に対抗するため「落とし穴」として旧日本軍が工作したものだということだった。



司馬遼太郎(小説家・ノンヒクション作家)。1923〜1996 「竜馬がゆく」、「坂の上の雲」などの著書でおなじみ
 国防軍について考えるとき次のエピソードは誠に示唆に富む内容ではなかろうか。

司馬遼太郎さん(写真左)は当時、戦車連隊の少尉で、本土決戦に備え栃木県佐野に駐屯していた。某日、大本営参謀に司馬少尉が質問した。敵が相模湾に上陸すれば、避難民は関東平野を北上する。南下して迎撃する部隊と混乱が起きないか。参謀は即座に答えた。「ひき殺して行け!」

▼サイパンが戦禍に見舞われ栗原一家が近くの洞窟に避難したときのことである。
 
近隣の多くの民間人に混じって何人かの負傷兵が横たわっていた。そのうち一人の兵が突然怒声を発した。
「敵の目標になる。赤ん坊を泣かすな!!

(「ドキュメント 少年の戦争体験」より)013、8、11 神奈川新聞 「照明灯」

▼2歳の義雄ちゃんは「オブー、オブー」と泣き叫びます。すると兵隊たちが、「そんなに泣かれたら米兵にみつかるじゃないかッ! 殺せ、殺せ!」と口々に怒鳴ります。
 姉は兵隊たちに責められるのに耐えきれず、泣きながら「誰か殺してください!」と頼みました。兵隊の一人が立ち上がりました。義雄ちゃんの声は一瞬にして止まってしまいました。

     
(「少年の戦争体験」所収の「南洋の移民と戦争」から) 

太平洋戦争の死者は日本人だけで実に310万人。サイパン島に限って言えば、軍人・軍属約41,000人、在留邦人約10,000人の尊い命が失われたという。その中には国防色の服装ゆえに銃撃された父、飢えと渇きに苦しんだ末に餓死した2人の弟、軍隊の論理が優先される修羅場のなかで幼い命を抹殺された2歳の義雄ちゃんがいたことはしかと銘記しておきたいことである。



今上天皇と安倍首相の真意の違いは?


 太平洋戦争が終わって60年目の平成17年の夏。慰霊のためにサイパンを訪れた天皇皇后両陛下(写真左)によって、最北端バンザイクリフに建立された中部太平洋の碑に黙祷が捧げられたのだった。

 
同年12月の記者会見で陛下は、夏の「心の重い旅」を想起され,次のように述べられた。

 
「島に在住されていた人々の悲しみはいかばかりであったか計り知れないものがあります」
 「過去の歴史をその時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人にとって、また日本人が世界の人々と交わっていくうえにもきわめて大切なことです」


 バンザイクリフで黙祷される天皇・皇后両陛下

 玉砕の島サイパンの戦況がいよいよ切迫した7月7日の最後の総攻撃にあたって南雲忠一長官は将兵に向かって最後の訓示を垂れた。「聖寿の無窮、皇国の弥栄(いやさか)を祈念すべく……」とあったが、民間人については全く触れることはなかった。

 靖国神社を参拝した安倍首相が「死者を追悼するのは当たり前のこと」といわれたのも、おそらく国に命を捧げた英霊を顕彰する意図からであって、民間の犠牲者に思いをはせることはなかったのだろう。

 国民の生命若しくは自由を守る国防軍……との文言だが、草案第9条の2 Bは今後慎重に吟味されるべき事項と思う。

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