題字 書家・新舟律子
その3

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16.室町初期の植樹、雑司ケ谷鬼子母神のイチョウ
「子授けイチョウ」と言われるとおり、枝から「乳」という気根を垂らしています
名 称 東京都指定天然記念物
雑司ケ谷鬼子母神の
イチョウ
樹 種 イチョウ
樹齢&
大きさ
雄樹 樹齢600年以上 幹周り8m、樹高30m余
所在地 豊島区雑司ヶ谷3-15-20 法明寺鬼子母神境内
行き方 JR山手線「目白駅」から徒歩20分。またはJR山手線「池袋駅」東口から徒歩15分。
樹高30m余の分、根も地中にしっかり張っています
生い立ち&
見どころ
 イチョウ(銀杏・公孫樹)は耐寒耐暑性があり、成長が早く、寿命が長く、巨木が多い。実がなるまでには年月がかかり、イチョウを「公孫樹」と書くのは、孫の代までかかるという意味です。

 雑司ケ谷鬼子母神は織田・豊臣時代の“桃山時代”の初期、天正6年(1578年)の建立と言われ、「子授け」「子育て」の神として江戸時代から広く信仰されてきました。

 境内はケヤキ・カシなどの大木や古木が多く、本殿が樹木で覆われている感じです。参道左側に昔懐かしい麩菓子・飴玉などを並べた小さな駄菓子屋があり、「創業1781年(天明元年)」と書いてあります。店番のおばあちゃんに聞けば、「都内最古の駄菓子屋」。どうりで参詣客が店の前で記念写真を撮る姿が・・・。
 喧騒の都心にいることを忘れ、時代劇の世界にタイムスリップしたようです。
  
 「子授けイチョウ」と言われる鬼子母神のイチョウは参道左手にあり、太さ8bの直立した幹から枝葉を左右に伸ばし、雄株であるこの木にも「乳」と呼ぶ気根があり、それを枝から垂らしています。東京都内では国指定の天然記念物である麻布善福寺のイチョウに次ぐ巨木ですが、樹勢は枯れ枝や空洞が無く、すこぶる良いとみました。

 このイチョウは室町時代の初期、応永年間(1394〜1428)に僧の日宥が植えたと伝えられていますから、樹齢は少なくとも581年〜615年の間になります。
取材・撮影 岩田忠利 撮影年月  2009年8月12日 


17. 12本が4本に減った、鬼子母神大門ケヤキ並木

った幹が民家のブロック塀を押しつぶしそう
名 称 東京都指定天然記念物
鬼子母神大門ケヤキ並木
樹 種 ケヤキ
樹齢&
大きさ
ケヤキ4本 樹齢約400年以上 幹周り5m〜6m
所在地 豊島区雑司ヶ谷3丁目16・19番
行き方 JR山手線「目白駅」から徒歩20分。またはJR山手線「池袋駅」東口から徒歩15分。

こちらはアパートに迫る
生い立ち&
見どころ
 昭和12年当時は18本あったケヤキが今は4本を残すのみとなりました。
 「地誌御調書上」という書き物によると、このケヤキは桃山時代の天正年間(1573〜91)に雑司ヶ谷村の住人・長島内匠が、鬼子母神へ奉納したものと記されています。大門とは、鬼子母神の鳥居先に並ぶ町屋のこと。

 目白駅前から広い学習院キャンパス横の歩道を抜け、パス停二つ目の横丁をはいり、真夏の炎天下の道をテクテク歩いていると、何十年も聞いていない「チン、チン、チン・・・」という踏切りの音。右手になんとも懐かしい都電荒川線の一両電車が停まっています。ここが「鬼子母神前駅」でした。電車が通り過ぎるのを待ち、視線を前方に移するとケヤキの森が・・・。

 石畳の両側に並ぶ住宅や店に覆いかぶさるようにケヤキの大木が4本、その先にはるかに若いケヤキが数本並んでいます。江戸時代には、このケヤキの伐採をめぐり、いくたびも訴訟が起きたそうです。

 現状を見ると、それもうなずけるような気がします。今でも公道にあるケヤキが成長し、私有地の民家のブロック塀や建物を今にも押しつぶすように迫っています。部外者としては、いつまでもケヤキ君には生き続けて成長して欲しいところですが、片や民有地皆さんの生活権に関わる問題。両者の調整をお役所が良きに計らってもらいたいと願うばかりです。 
取材・撮影 岩田忠利 撮影年月 2009年8月12日


18. 国、練馬区、氏子が保護に努めた樹齢920年欅2本

右が石段上の大欅、左が石段下の大欅
名 称 国指定天然記念物
練馬白山神社の
大ケヤキ2本
樹 種 ケヤキ
樹齢&
大きさ
樹齢は2008年DNA鑑定で920年と判定。
樹高はどちらも25m目通り幹周り10m/7m 
所在地 練馬区練馬4-2 練馬白山神社境内
行き方 西武池袋線「豊島園」下車、徒歩13分。地下鉄都営大江戸線「豊島園」下車、徒歩10分

根元に1b以上もある大きなコブが・・・

本殿に向かう石段下のケヤキ
生い立ち&
見どころ
 練馬白山神社は、平安時代の創建。練馬宿の氏神でイザナミノミコトをまつっています。
 左の写真は本殿に向かう15段の石段下にある大欅。その背後に石段上の大欅があります。

 この欅は、平安時代後期の永保3年(1083)、通称「八幡太郎」といわれる源義家が後三年の役で奥州征伐に下る際、奉納した苗の一部と言い伝えられています。
 石段上の欅が「全国屈指の大欅」として昭和15年に国の天然記念物に指定され、続いて平成8年に石段下の欅が「全国有数の大欅」として追加指定されました。

 訪れた際、炎天下で境内を掃除していた氏子総代の安本さんに巨木保護の話をうかがいました。
 戦後の急速な宅地開発や大気汚染などの自然環境の悪化により2本とも幹に大きな空洞ができ、年々その腐食が進み、それとともに樹勢は衰え、ついに平成元年、倒木の危機に・・・。

 関係者に大学教授で樹木医の方がいたため、診断と治療を開始、平成3年に練馬区・樹木医・氏子・土木や鉄骨などの業者のプロジェクトチームをつくり、大掛かりな樹勢回復事業を行いました。その後も、定期的に診断と治療を繰り返し、ここ数年前からようやく元気を取り戻してきたそうです
取材・撮影 岩田忠利 撮影年月 2009年8月12日


19. 横浜市天然記念物、一本立ちのタブノキ

横浜市指定名木古木は955本。その中で市指定天然記念物は4本。この木はその中の1本です
名 称 横浜市指定天然記念物
嶋ア金子稲荷社のタブノキ
樹 種 タブノキ
樹齢&
大きさ
樹齢300年以上(推定)。樹高25m 目通り幹周り6.25m
所在地 横浜市旭区西川島町59-7 たぶの木陰公園に隣接
行き方 相鉄線「鶴ヶ峰」下車、徒歩15分。市立鶴ヶ峰小学校付近
高さ25b、四方に枝を伸ばし一本立ちする姿は美しい
生い立ち&
見どころ
 
相鉄線「鶴ヶ峰駅」から駅前のバス通りの坂道を登りきって左手はるか先、住宅街の中に大きな緑の塊が見え隠れしています。めざす横浜市天然記念物のタブノキは、きっとあの木に違いない・・・。近づくにつれ、その姿がクローズアップ、通行人に訊くまでもなく、現地に着きました。
 
 周囲に人っ子一人いない。静寂そのもの・・・。根元に立つと、まさに象と蟻、私の身長の何十倍もある巨木です。これが300年も生き続ける同じ生き物かと思うと、一種異様な気分になります。精霊が宿る神の木ではないか・・・と、さえ。

 横浜市が名木古木指定する樹木は955本(平成12年3月現在)あるそうですが、その中で市指定天然記念物はたったの4本のみ。このタブノキはその4本中の1本です。その指定選考基準は一体どこにあるのか、よく分かりません。

私の推測では以下の点ではないかと思うのですが・・・。

1.枝の広がりが東西24.3m、南北に24mと均衡がとれた樹形で あること
2.タブノキは海岸線や沿岸部のタブノキ林に生えているのに、この木は単独木。 しかも海岸から離れた地で育ったこと  

取材・撮影 岩田忠利 撮影年月 2009年8月14日


20. 都筑区池辺町の鎮守の森、杉山神社の大ケヤキ

縄文時代から集落があった池辺町。その鎮守の森の象徴は大ケヤキ
名 称 横浜市指定名木古木
池辺杉山神社の大ケヤキ
樹種 ケヤキ
樹齢&
大きさ
樹齢530年  幹周り約5m 樹高約20m
所在地 横浜市都筑区池辺町2718 杉山神社境内
行き方 横浜市営地下鉄「都筑ふれあいの丘」下車、徒歩27分または横浜線「鴨居駅」下車、徒歩33分

今は近隣の工場や車の排気ガスなどで大分傷んでいるようです
生い立ち&
見どころ
 都筑区池辺町は鶴見川支流の大熊川流域にあり、宗忠寺というお寺の前に古池があったことにちなんだ地名。
 町内には縄文時代からの土器が多数出土した池辺遺跡と捨馬台遺跡が発掘され、この地に縄文時代から集落があったことがうかがえます。戦国時代には秀吉がこの池辺郷を小田原攻めに際して掌握しようとしたことが文献に記されています。

 こうした歴史のある町、池辺の鎮守の森が杉山神社。境内は広く、立派な社屋や住民集会場の町内会館が建ち、その周囲に大ケヤキのほかにアカガシ、エノキ、シラカシの横浜市指定名木古木の4樹種など緑も多い。
 
 なかでも池辺町のシンボルツリーは、大ケヤキ。530年の歴史を秘めた年輪は、地域のすべてを知っているのですから・・・。 
取材・撮影 岩田忠利 撮影年月 2009年8月15日


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