会員(スタッフ)が書きためた“記楽帳”(22号〜84号) |
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1号から21号までが』編集室の3度の引越しで紛失してしまったようで私の手元にないのが残念 |
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瀬田駅手前ですれ違う渋谷行きと二子玉川行きの玉電。
63年5月31日(火) 辻村功
この写真は懐かしいですね。玉電が道路の端(中央ではない)を走っていたのはこの瀬田と新町のあたりで、面白い風景でした。(記楽帳81号から) |
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手書き文字にイラスト、雑多な情報は編集室の生きた歴史
会議や催しもののお知らせ、編集や取材の経過や問題点、お互いの連絡事項、沿線の街で見たこと聞いたこと、その日の出来事、意見や提案、エッセイ、写真、イラストなど会員が自由に、気楽に書きたいことを書く。この編集室備え付けの“大学ノート”、これをだれが名づけたか、「記楽帳」と呼ぶ。
この「記楽帳」には小学生から大学生までの学生会員、20代〜30代の独身男女、50代〜70代のシニアまでがそのときの心境を思いのままに綴っている。
現代で言えばホームページの掲示板であろうが、Webでは書体が一定で画一的だが、この記楽帳は会員それぞれの手書き文字、個性があって読みごたえがある。それに、いろんな連中がイラストを添えているのも、楽しい。
この何百人かの記録は、これ自体が編集室の当時の状況を映した“生きた歴史”であり、彼らの“青春の足跡”でもある。彼らがおじいちゃん、おばあちゃんになるまで大事に保管するだけの価値があると私は思っている。
例:記楽帳第81号(昭和63年)・・・その中からの抜粋情報
4月6日(水) いしはら たつや
今日は天気がよいので気分も良いです。午後5時30分、編集室から外を眺める。
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81号編集発行人・表紙絵:石原辰也 |
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4月9日 おとめ
東横線の定期は安い! 横浜ー反町駅間が1680円。これは80円区間だから往復160円なのに、10日通えば元が取れてしまう。一日計算56円ですよ! こんな通勤定期しかもってない私はどこへ行くにも交通費がかかる。学生時代は横浜ー志木、どこへだって定期で移動したのにね〜。
4月15日 おちゃらけ高ハシ君(25才 妻ひとり)
4月29日(金) ママ
一年中で一番良い季節の4月、新緑と咲き乱れる花、ハナ、私の鼻も真っ赤なハナが咲いちゃって、一番忙しい最中に入院の羽目に。皆さんに大変ご迷惑をかけました。ゴメンナサイ。
23日早朝の4時半、最後の広告レイアウトが出来上がってホッとした一瞬、ガバガバときてしまった。私のはスーとかタラタラなんていうおとなしい代物ではない。水道の蛇口ってのものだから、顔中の穴が全部出口になってしまう。二つの鼻の穴と、口、両眼(涙腺)から流れ出るので“雄大”。
慶友病院の院長も「鼻血くらい自分で何とかできる」と思ったようだけど、鼻に詰めた綿など何の役にも立たないのを知って呆れ顔。ベッドに寝かされていても、噴き出る血が枕のほうに流れ出るから私のロングヘアーもベトベト・・・。付き添いの看護婦さんは、拭いても拭いても噴き出る血に匙を投げた。つぎつぎと他の看護婦が見に来ては「キャ〜」とか「すご〜い」と逃げていっちゃう。
私の鼻血はいつも夜中とか明け方なので困ったもんだ。このときも徹夜の最中だった岩田は眠ってないのに、車に私を乗せてあっちこっちの病院を駆け回るので、毎度迷惑をかけてしまう。が、やっと井田病院の耳鼻科に着いて止血手当てをしていただいたのが朝10時、なんと5時間半出っ放し。入院の2日間は死んだように眠っていた。
3日目はやっと正気を取り戻し、同室の人たちとお話をした。嬉しかったのは、耳鼻科の主任先生と隣のベッドの主婦が『とうよこ沿線』を知っていたこと・・・。
4日目の昼、退院。入院中夢にまで見た「八栗庵の天ぷらソバ」を一人ですぐ食べに行っちゃった。
夜、祐天寺のヤツ(一色隆徳くん)から電話。「あれっ、ママじゃないの。もう退院したの? 無理しちゃダメだよ。もっと休養しなよ」。
その優しさに感激した私が「残念だけど、まだ生きてるよ」。そしたらヤツときたら「殺したって死ぬようなママじゃないからサ」と言ったよ。
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証人・・・岩田
このイラストは本人作だが、まさに壮絶の一語。寝ていると両眼の目尻から耳たぶに鮮血が流れ落ちるのだから・・・。
タオルを当ててもすぐに血でぐっしょり。タオルを何枚も用意しては車に乗せ、深夜や朝方の耳鼻科の当直医がいる病院はほとんど無く、いろんな病院を何度走り回ったことか・・・。 |
5月15日(日) ゆうこ
きょうは、かすみさんとふたりで、会報の原稿を少し書きました。近日中に発行したいですね。
6月14日(火) ゆうこ
かすみさん、ついに10日に、女の子を無事出産したそうです。おめでとうございます!!
7月12日 岩田
今夜8時35分、実家の父親が他界しました。享年88歳。働き者で忍耐強く、グチや弱音を吐くのを聞いたことがないという人間でした。
去年まで息子大助に小遣いをあげていましたが、今年1月30日母親が死にそのショックが死期を早めたようです。
ということで明日13日から告別式の15日まで前橋へ帰省します。皆さん、留守中よろしく頼みます。
7月12日 岩田
添付の便りは、第1回デスクキャップ(NO.9)の佐藤保子さんからです。創刊時のベテラン会員・山室さん、山下二三雄さん、菅間・久保島君らは懐かしいことでしょう。3年半ぶりにメキシコから帰国したそうです。電話してあげてください。
(佐藤保子さんの便り)
ご無沙汰しております。皆様お元気でいらっしゃいますか。7月3日に3年半ぶりでメキシコから帰国しました。社会復帰を始めようと、大倉山駅前の本屋さんに行きましたら『とうよこ沿線』が目に入り、懐かしさの余り、立ち読みしました。変わらぬ値段定価200円にびっくり、帰国後第一冊目の蔵書になりました。(中略)。お元気でご活躍のことを心から祈ります。
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