本誌編集発行人 岩田忠利

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no.45 代官山の一等地に取材拠点を提供
タイトル/画像 本文

取材拠点の同潤会アパートで



代官山取材スタッフの夕食

取材拠点を提供された
岡部健夫社長




上記岡部社長の紹介者
ヒルサイドテラスのオーナー
朝倉社長

地元の協力で発行できた
第35号「代官山特集号」



絵:畑田国男
写真はヒルサイドテラス
 
 簡単には集まらない昔の写真

 今まで各ページに昔の写真を掲載してきたが、それらは創刊号から最終号74号までの連載「アルバム拝借」に載せた写真である。
 読者の皆さんから「毎号よくいろんな昔の写真が集まりますね」と言われるが、これが実際には、そうは簡単に集まらないのが現実である。
 その発行号の特集地が代官山だった場合、代官山地区の街の話題、人物、お店紹介、イラストマップ、昔の町並みの復元マップ、その町の店や会社の広告などの誌面の取材がある。これらの取材と同時進行で代官山地区の昔の様子を伝えるページ「アルバム拝借」に載せる昔の写真を一軒一軒回って探すわけである。
 一口に昔の写真といっても、ジャンルは広い。代官山の風景、自然の風情、人々の暮らしぶり、子どもたちの遊び、お祭り、街の出来事などさまざま。また、時代的にも明治、大正、昭和の戦前か戦後か、昭和の高度成長期の30年代か40年代か・・・。
 では、こうした写真を果たして“誰が持っているか”が問題である。何千軒もの家々を闇雲に軒並み回っても効果が薄い。旧家、老舗、戦前から代官山に住んでいる家、地域情報を持っている町内会長や商店街役員などの家を訪ねるのである。東横沿線の街の中でも渋谷と横浜の左右両側の都心と田園調布や代官山などの高級住宅地ほど門も心も堅く閉じ、なかなか相手は会ってくれない。まず、見ず知らずの者は会うことも話すこともできないと思ったほうがいい。

 会議で特集地を決めたら必ず特集号を出すの使命感


 しかし、編集会議で特集地を決めた以上、いかに困難でも、どんな街でも知恵と情熱で困難を乗り越え、地元の人と会い、写真を探し出さなければその地の特集号を世に出せない。それは「アルバム拝借」に限らず、他の誌面も同様の使命感や切迫感をもってスタッフが取材や広告集めに真剣に取り組まなければ情報は集まらない。ましてや、編集発行人の私は、「やってみたが、ダメだった」では済まない。
 
 代官山の街は『とうよこ沿線』に向きません。他の街に

 代官山特集のとき、先発隊の男女二人がまず代官山の商店街を1口1万円の協賛広告の話で回った。
 ところが、どこの店からも断られ、1件の広告も取れなかった。そして、その結果を二人が私に報告した。
 「編集長、代官山のようなオシャレな街は『とうよこ沿線』には向きません。他の街に替えたほうがいいと思います」
 代官山がダメだから他の街に変更する、この意見は私には絶対に受け入れられないのだ。代官山の街は東横沿線の街、この街だけを抜かすわけにはいかないのだ。困難に直面したら、一層の情熱や知恵でその困難に立ち向かわなかったら乗り越えることができない。私の闘志は、代官山の街に一段とムラムラとわいてきたのだった。
 
 代官山の目抜き通り、同潤会アパートが取材拠点

 当面取り組んでいた第34号「奥沢特集」を発行し、配本を終わらせ、いよいよ私をはじめ各担当者が代官山に乗り込んでいった。
 1986年真夏、代官山を代表する会社、養毛剤製造販売会社「セフティー」の岡部社長のもとに広告提供のお願いにあがったときのことだった。社長と話すうちに、こんな嬉しい言葉をかけてくださった。
 「こんな真夏、日吉から代官山まで毎日取材に通うだけでも大変でしょう。私の施設を貸してあげるからそこを拠点に取材に回ったほうがいいですよ」
 場所は代官山の目抜き通りに面する同潤会アパートの一室。同社の保養施設にするため改装したばかり。しかも、無償で気兼ねなく使うように、とのことだ。
 最初は社長の冗談かと思ったが、本当の話。初対面の岡部社長が女性秘書にその部屋のカギを私に渡すように言い、その施設まで案内するよう指示したのだった。行ってみると、そこは改装したてでどこも真新しい。嬉しいことに駐車場付き。岡部社長のお言葉に甘え、取材期間中、借りることになった。
 
 代官山族のちょっとセレブな気分に浸りながらの1ヵ月間

 その翌日、炊飯器・湯沸かし器・コーヒーポット・鍋・包丁・茶器類など台所用品を持ち込み、いよいよ、ここを拠点に取材活動が始まった。昼間の炎天下の取材は避け、スタッフ会議を開いたり、昼食や昼寝をし、気分転換にオシャレな店が並ぶ目抜き通りの八幡通りをウインドウショッピングしたり・・・。他の号では経験したことのないことばかり、若い女性スタッフたちは大喜び。
 そんな代官山族のちょっとセレブな気分に浸りながらの1ヵ月間、充実した代官山取材をすることができたのだった。

 面談の可否は有力者の紹介の有無

 話は逸れたが、相手が会って用件を聞いてくれるかどうかのカギは、その相手と交流のある“有力者の紹介”があるかどうか・・・である。
 上記の岡部社長に会う前に私は、二人の代官山の有力者に会っていたのである。
 まず最初は、代官山商店会の小山邦雄という事務局長(トモエ薬局)に会ったこと。第35号代官山特集発行の趣旨を説明し、協力をお願いした。
 つぎに、小山事務局長の紹介で、代官山といえば旧山手通り沿いの「ヒルサイドテラス」という有名な商業施設のオーナー、朝倉社長に会い、同様な話をした。そのとき、朝倉社長から「私は喜んで協力します。『朝倉の紹介』と言って「セフティー」の岡部社長を訪ねて行きなさい!」と紹介をいただいたのである。
 結局、小山事務局長→ 朝倉社長→ 岡部社長 と紹介から紹介へと訪ねるうちに難問解決の糸口が見つかった。その後は、「あちらが協力しているならウチも・・・」と協力者が次々現れ、情報や広告が面白いように集まってきたのだった。

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