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日吉に飛んできたムクドリの群れ



旧家の屋敷森で羽根を休めるムクドリ
白鷺の餌場だった新横浜の湿地帯


昭和36年、開発前の新横浜駅前。一面の田畑が広がり、農作物が作れない湿地帯も多かった。本誌60号「アルバム拝借」から



菊名駅東口に近い鶴見区上の宮で小一時間で獲れた獲物



獲物を前に滝川定雄さん

 26年前、日吉の自宅に飛んできた野鳥

 早朝、眼が覚めたときに聞こえる“屋外の音の異変”にどなたか気づいているだろうか? 私だけだろうか?
 私事で恐縮だが、私は『とうよこ沿線』21号(昭和59年3月発行)の「編集後記」に以下のような文を書いた。
  <シジュウガラが2羽。庭のモミジとハゼの梢の間を何やら忙しそうに飛び交っている。枝にしっかりついたミノ虫の殻を何度も口ばしで突っついている。なかのミノ虫を取り出したかと思うと、グイッと一口で飲み込んだ。と、池の端に下りて水を飲み、慶應の森のほうへ。今度はホウジロがやってくる。そこへ突如「キーッ、キーッ」。素っ頓狂な鳴き声は2羽のムクドリ。図体4,5倍の“怪鳥”にびっくりしてその場を立ち去った。木の根元には今年四度目の残雪がそのまま。こちらはアンカを足元に原稿書きというのに、窓の外に訪れる小鳥たちはみな元気だ。>
 ほんの数分の間でも次々野鳥が飛んできた。ほかにスズメはもちろん、メジロ、ウグイス、モズ、オナガドリ、山鳩、コジュケイなどが“お客さん”だった。また、毎日入れ替わり立ち代り訪れる野鳥たちは顔見知りで“友だち”みたいなものだった。

 日吉の“白鷺の森”は新横浜の副都心化で消える

 昭和50年前後の箕輪町の森は“白鷺の森”として有名だった。横浜からの帰路の夕方、東横線渋谷行きが日吉駅のホームに滑り込む直前、左側の車窓から見える諏訪神社周辺の森は、ねぐらに帰ってきた白鷺の群れが何百羽とあたり一面の枝に留まり、雪が降ったかのように白くなったものだ。昼間は、新横浜の駅周辺一帯の湿地帯・鶴見川・多摩川などを餌場とし、夕方になると一斉に箕輪の森に帰ってきたのだった。
 とくに新横浜地区は昭和39年の東京オリンピックに合わせて新横浜駅が開業したとはいえ、長らく建物が建たず、稲刈り後は何の農作物にも適さない湿地帯。そこにはフナやドジョウ、メダカなどがいる格好の白鷺の餌場だった。それが新横浜の副都心化工事が進むにつれ、白鷺が餌場を失い、その姿が東横沿線から消えていった。

 自宅の周りで小一時間でこんなに獲れた野鳥

 菊名駅東口から蓮正寺の横の鎌倉坂を登りきると、そこはもう鶴見区上の宮1丁目。上の宮には緑深い里山が連なっている。
 左の写真は滝川園芸の会長・滝川定雄さんが昭和29年1月の雪の日の翌朝、上の宮1丁目の自宅周辺を小一時間ぐるっと一回りしただけで射止めたスズメ・山鳩・コジュケイ・山シギなどの獲物。野うさぎは昭和40年代まで自宅周辺にたくさんいたと滝川定雄さんは話す。

 激減した野鳥。カラス、スズメ、鳩さえも。その原因は?

 それら野鳥たちが、ここ数年、とんとその姿が見られなくなった。昨年あたりまで木の枝や電線の上でけたたましく鳴いていた数羽のカラスさえ、最近いなくなった。早起きしたときのスズメの鳴き声は、さながら『スズメの学校』のようだったが、それも耳にしなくなった。糞を撒き散らすハトは、ひところ“ハト公害”と言われ、マンション住民を困らせたが、その姿も見られない。
 とくにカラスは都会のゴミ集積場荒らしの常習犯だった。あれほど利発で、生命力旺盛そうなカラスの数がとみに激変しているようだ。美声のウグイスの鳴き声なんて何年も聞いていない。
 “彼ら”は、いったい、どこに消えたのだろうか? 消えた原因は何だろう? 動物の勘で地球の異変に気づいたのだろうか?
 いま目を覚まして聞こえる音は、車・バイク・電車の走り去る音、人の話し声に足音、たまに飼い犬の鳴き声・・・みな“人工音”ばかりだ。
 
 人間と害虫だけがのさばる、沿線の自然環境


 野鳥たちがこんな寂しい状態だが、他の生き物はどうなのだろう? トンボはほとんど見かけなくなった。チョウチョも戦前の横浜市内では70種以上も見られたそうだが、今は果たして何種類が生き残っているのだろうか。
 都会でいま逞しく生きるものは、ゴキブリ、ダニ、蟻、油虫、蚊、蛾、、根っ切り虫などの害虫だ。
 数年先さえ先が見えない環境問題。生物学的にいえば、野鳥も虫も動物も、生きとし生けるもの、みな人間の仲間であるはず。しかし人間だけが物資文明の中で欲望という電車に乗って突っ走り、人間と害虫だけがのさばる世界になるような気がする。

 東横沿線にも野鳥が飛び交う里山やドジョウやフナやメダカがたくさんいる自然環境が欲しい。動物と人間が共存する世界をなんとか再現できないものだろうか。

 
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no.44
自然環境の変化「沿線から消えた野鳥」
本誌編集発行人 岩田忠利

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