本誌編集発行人 岩田忠利

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no.35
多面的取材の第1回「わが街シリーズ」
タイトル/画像 本文
20人が生まれて初めての広告募集活動
初の「わが街シリーズ」第18号“梨”表紙絵


元住吉西口、ブレーメン通り商店街を漫画家・井崎一夫が描く 

 
初挑戦「わが街シリーズ」

 第18号“梨”では、一定の街を歴史・文化・人物・店・街の話題・街のイラストマップなど多面的に取り上げる「わが街シリーズ」という新連載に挑戦することにした。その理由は二つあった。
 
 一つは、沿線中の街を散発で取り上げるよりは一定の場所に留まり、いろんな情報を取材するほうが交通費も少なく、狭い特定の街の中だけの情報収集は効率的であると考えた。
 もう一点は、例の詐欺横領事件の教訓で大きな金額の広告でなく、一店1万円ずつの協賛広告を集める少額累積方式にしたほうが、会員活動の場が増え、少額で商店も協賛し易い、の推測だった。

 誌上を飾る晴れ舞台から裏方の資金集め

 参加希望の20人ほどの会員で3班に編成し、日吉・元住吉・祐天寺の3地区を取り上げることになった。
 
 まずは、一度も降り立ったことのない駅前商店街を歩いての協賛店探しのお店回り。それは、勇気のいる行動だ。見ず知らずの店への飛込みを繰り返すセールスまがいの行動は、なにしろ生まれて初めての連中ばかり。得意は編集室で文を書いたり、イラストを描いたりのデスクワークだ。なのに彼らは日曜日ごとに街に繰り出し、『とうよこ沿線』のバックナンバーを両手にどっさり持って、何軒も何軒も回ったのである。1カ月回っても2カ月回っても一軒も広告を取れない者も何名もいた。彼らは「たった1万円の広告をいただくことがこれほどタイヘンか」と、身をもって体験したようだ。
  それぞれにいろんな意味の社会勉強をしたようだ。ある店はけんもほろろに断り、ある店は励ましの言葉を、と応対もさまざま。
 この経験で会員は取材しその文や絵が自分の名前で誌上を飾るという晴れ舞台だけでなく、その陰に雑誌作りの資金集めの苦労があることを身をもって味わったのである。

 エジニアのTくんは「広い社会を見てみたい」

 慶應大学理工学部OBで大手自動車会社のエンジニアのTくんは、来る日も来る日も5〜6名の社員で車のドアーの設計の仕事。何年もその顔ぶれは同じで話題も新鮮味がない。このまま、この小さな社会に埋もれていては自分が小さな人間になってしまう。もっと広い社会を見てみたい、と編集室に入ってきた二十代の独身の男だった。その彼が私に広告取りをこう志願した。
 「編集長、ボクにも広告をやらせてください! 街に出て、いろんな人に会って、いろんな人と話がしたいのです。小さな殻に閉じこもっている自分から抜け出したいのです」
 
 Tくんの意外な特技、美容コンサルタント

 Tくんの担当は元住吉地区。資料の入ったファイルを携え、笑顔で編集室を出た。「うまくいけばいいが・・・」と祈るような気持ちで後姿を見送った。そして2時間ほどすると、Tくんから電話。「広告を2軒いただきました。帰って広告の原稿を書きます!」。生まれて初めてゲットした喜びに声が弾んでいる。
 このとき、Tくんに意外な“特技”があることを知った。いただいた広告は2軒とも美容院。おしゃれのTくんは、美容に関することならプロ並みの情報を持っている。流行のヘアースタイル、頭髪油から頭髪の薬、ヒットしている美容院の店舗設計など、こと美容のことなら何時間でも話せる情報を持ち合わせている。
 それ以来、彼は自由が丘・田園調布などどこの街でも美容院専門の広告担当で百発百中のように美容院の広告をいただいてくる。それどころか、美容院の店長にいろいろとアドバイスするので、店長から相談事の電話が掛かってきたりしていた。実際にTくんは、京王線・永福町の商店街にある美容院のコンサルタントであったのだ。

 素人集団が144件の協賛広告

 大半が無愛想な断りという広告募集のニガイ体験は、私と義母だけがやれば、と私は最初から覚悟していた。それが、今回の成果は“144軒の協賛店”・・・。会員諸君の奮闘とそれに応えてくださった協賛店のご好意は、本当に嬉しかった。初めての店でモゴモゴと口ごもるド素人集団がこれだけの数の協賛店を集めたことは、まさに感動ものだった。

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