連載「えんせんっ子」誌面
|

2ページものの1ページ |
|
|
|

編集室ではオチャラケている子供会員だが、取材のときばかりは真剣 |
|
|
第1回東横沿線を歩く会から
|

ジャンケンで負けると歌を一曲歌わないと通過できないチェックポイント |
|
|
|
中学生男女が編集した誌面
左の誌面は第17号“杏”の子どもたちのページ「えんせんっ子」の2ページのうちの1ページ。
世田谷区立奥沢中学校2年の男の子2名と横浜市立神奈川中学校の女の子2名の会員が、田園都市線高津駅にある“電車とバスの博物館”へ取材に行き、まとめたもの。文は男子が書き、イラストは女子が描いた。編集指導は、たしか学生部部長で大学生の“Iくん”か同副部長の“Mちゃん”だったはず。レイアウトも、文も、イラストも、なかなか良い出来栄えなので、紹介することにした。
大人会員に混じって編集会議出席、編集後記も書く
この中学生の子どもたちも上記の80歳を超した大先輩らと席を並べて編集会議に出て、前号の反省と次号の企画や役割分担について話し合うのだ。そして、その号の発行に関わった会員は、巻末にある編集後記、“編集ノート”に6行のコメントを書く権利を私は子どもも大人も平等に与えた。
小学生や中学生でも会議では堂々と自分の意見を発言し、“編集ノート”にも読者を納得させる的を得た文やニヤッとするような愉快なことを書くのだ。読者の皆様にはこの姿が「編集室の子どもたちは、みな生き生きとしている」と映っていたようである。
登校拒否児や自閉症の子をもつ親から相談事
そうした読者評を子どもたちには話さなかったが、私の元には登校拒否児や自閉症の子をもつ親から相談事がよく舞い込んだ。
登校拒否児をもつ父親から電話があった。私に一度自宅に来て、「どんな点が編集室の子どもたちとわが子とが違うのか、診て欲しい」との頼みだった。
南日吉団地(現コンフォーレ南日吉)のお宅にうかがった。「○○く〜ん、お前の好きな『とうよこ沿線』の人が見えたよ〜。ご挨拶にきなさい!」。奥の部屋にいる息子を母親が呼んだ。
優しい性格らしく、恥ずかしそうに部屋の隅に現れ、「こんにちは!」と小さな声で挨拶。私はこういう教育問題に疎い。それに助言する資格もない。私はただ、その子が好きだという『とうよこ沿線』のどんなページが好きなのかの話題に移し、二人で話をした。毎号読むページは「えんせんっ子」と「われらコロンブス」という東横沿線の読者が知らないような場所の見聞記。だんだん打ち解けて、声も大きくなり、明るく笑う、知らないことに目向けようとする普通の子である。なのに、この子がなぜ登校拒否児なのか・・・?
“会社人間”の父親と“家庭人間”の母親
後日、父親が編集室に先日の訪問に対するお礼に見えた。そのときの話の中で父親は、会社の仕事だけに打ち込むだけの“会社人間”。母親はわが家のことだけを考える“家庭人間”であることが分かった。
そこで、私は父親に提案してみた。「お父さん、私たちの『とうよこ沿線』の会員になりませんか? 会社という小さな社会だけでなく、いろんな会社や団体、役所や学校、お店や商店街が入っている地域社会という広くて大きな社会に目を向けてみませんか?」。
子どもの登校拒否は両親のちっぽけな社会にしか目を向けない視野の狭さではないかと思ったからである。「でも、私は取材や編集など何もできませんよ」とその父親は渋ったが、配本やイベント企画やイベント参加など誰でも活動できる分野があることを知らせた。すると、父親は本会に入会することとなった。
第1回東横沿線を歩く会
その後、私は登校拒否児や自閉症の子がわが編集室の明るく元気な子どもたちと気兼ねなく交われる企画がないかと模索した。
そこで頭に浮かんだのが、『とうよこ沿線』で取り上げた自然豊かな場所や名所などがあるコースにチェックポイントを設け、それを探しながら家族連れや友だち連れでゴールをめざすオリエンテーリング。
さっそく「第1回東横沿線を歩く会」を菊名駅東口を出発点にし、鶴見区馬場町の藤本農園(第6号表紙絵)をゴールにして実施した。
半年ぶりに登校した男の子
その日、会員となった登校拒否児の父親と母親に登校拒否児の男の子と妹、家族4人でお母さん手づくりの弁当持参で参加した。その男の子は『とうよこ沿線』の誌面に登場するスタッフや子ども会員の顔が見られる喜びで、先日会ったときの表情とは比べものにならないほど上機嫌だった。この家族は第4チェックポイントで中学生会員たちが待ち伏せ、ジャンケンに負けたほうが歌を一曲歌わないと関門を通過できない趣向になっている。登校拒否児の男の子が家族を代表してジャンケン・・・。奥沢中学生の会員・千葉敏行君に勝って大喜びだ。その喜ぶシーンを編集室のカメラ担当がカメラに収めた。その写真を第12号“桂”のイベント報告記事内に載せるよう私は担当に指示し掲載した。
新刊「第12号“桂”」の配本が終わった。例の父親から電話がきた。
「生まれて初めて自分の姿が雑誌に載ったと息子は大喜びです。それをクラスメイトに見せるのだ、と言って学校に半年ぶりに行きました。ありがとうございました」。
父親の電話の声が途中で涙声に変わり、途切れ途切れ。親心を察し、思わず私の涙腺も緩んでしまった。
|