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解決の糸口、見つからず。資金繰りの危機に直面する日々が続く |
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毎号の収支は赤字スレスレの低空飛行
前10号から義父は永年勤続の会社を定年退職し家にいた。義母は昼間広告営業で外回りした後、深夜まで経理事務をこなしていた。それを見かねた義父が編集室の帳簿付けなどの経理や銀行などの雑務を手伝ってくれていた。
雑誌売り上げと広告収入で、毎号の収支は赤字スレスレの低空飛行である。沿線400ヵ所ほどの委託販売先の書店・駅売店・喫茶店・病院売店・レストラン・和洋菓子店などに卸値150円(売価200円)で売ってもらっているが、若い会員2人が1組編成の15組ほどが新刊を車に積んで配本し、前号の売り上げを清算するシステム。配本から帰ってきた彼らに売り上げから外食費とガソリン代を支払うと、差し引きトントンか赤字の場合が多い。
印刷代やガソリン代、電話・水道光熱費、プロの漫画家・作家などの原稿料など毎月、毎号の経費はほとんどすべて広告料収入で賄われる。雑誌発行の存続は、広告担当の肩にかかっているといっても過言ではない。
広告担当のTが取るのは、高額の広告のみ
広告営業に強い人材を私が探していた創刊準備のころ、大学時代の親友が20代後半のTという青年を紹介してくれた。彼に雑誌発行の趣旨や今後の構想などを説明すると、「一緒にやらせてください!」と大変意欲的。彼だけはフルコミッションの広告担当ということで発起人の一人となった。大岡山から横浜市内に転居し、そのアパートを借りるときの連帯保証人にも私がなった。
Tが取る広告は、高額のカラー広告のみ。それが第6号あたりから広告を本誌に掲載するが、スポンサーからの広告代金の銀行振り込みが滞りがちになった。Tにその理由をただすと、私や義父に事細かに説明するのである。
堪りかねた義父が彼の担当先の“未収リスト”を模造紙にマジックペンで書き、編集室に貼りだした。ホテル、大手宝石店、家具店、有名レストラン、インテリアショップ、住宅会社、クレジット会社など一件あたり40万円から30万円の本誌としては高額な広告ばかり。同じ会社や店が3号分も滞納しているのだ。
本誌の名をかたった新聞広告で発覚
大型バスでTも前頁の「読者の集い」に同行した。御殿場から帰った翌朝のこと、読売新聞の朝刊を見て私は目を疑った。
<「とうよこ沿線」と提携、カーペット・カーテンの大安売り!>・・・。新横浜の住宅会社の大きな新聞広告なのである。いったい、この広告、私の知らない所で、誰が出したのか!?
頭に血がのぼってカッとなったが、冷静になると“真犯人が”私の頭に浮かんできた。その住宅会社もカーペット・カーテンの仕入先も義父が書いた未収広告リストにある会社や店だ。仕業は、Tであることを私は確信したのだった。
すぐ義母にTの未収リスト先に電話して滞納の理由を訊くよう指示した。
その一軒目、「『とうよこ沿線』さんへの振込みはもうだいぶ前に済んでいます」との返事・・・。
「え〜っ、本当ですか〜?」義母は大きな声で叫んだ。続けて「うちは横浜銀行日吉支店ですが、そちらへですか?」と訊く。すると先方は「いや、違いますよ。富士銀行日吉支店です」。続けて訊く「口座の名義人は誰になっていますか?」。それに答えて「はい、岩田忠利さんですよ」。
電話を切った義母は泣き出した。「Tは、なんと悪い男だったんでしょう!? 岩田の名前で勝手に口座を作って、そちらに振り込ませていたのね〜!」。興奮が収まらない義母。義父と私の3人でお茶を飲みながら今後の対策を相談する。とりあえず私は、私の口座があるという富士銀行日吉支店へ行くこと。義母はほかの未収リスト先すべてに確認の電話をすること。
私の名前で振込口座を開設し広告代を振り込ませる
富士銀行日吉支店の応接室で支店長と担当社員を前に私は言った。
「私はこういう者ですが・・・」と名刺・車の免許証・保険証を提示し、「私の口座があるそうですが、預貯金残高を見せていただけませんか?」とお願いした。
支店長から意外な言葉が返ってきた。「お客様、私どもではそれは、できないのでございます」。
私が「本人がここにいるのに、なぜそれができない?」と声をあらわにすると、支店長が答えた。
「なにしろ“もう一人の岩田忠利さん”がいらっしゃいますので、見せられないのです」。
続けて質問「それは、どうしたら通帳の中身が見られるのですか?」。
支店長いわく「国家権力、つまり所轄の警察署が捜査上、そのようなことになれば提示します」。
その足で私は港北警察署に行くことにし、支店長に別のお願いをしてみた。
「もう一人の岩田忠利の口座を引き下ろしに来た人間がいましたら、その窓口で支払いをストップしていただけませんか?」。それは可能だということで、富士銀行を後にした。
私は港北警察署の捜査課で事情を説明していた。担当官は「『とうよこ沿線』は知っていますよ。捜査には協力します。なにしろ国内にいる“ホシ”ならいつでも捕まえることができますよ」。事も無げに言う。そのうち、館内放送が流れた。「日吉の岩田忠利さん、いらっしゃいましたら電話口に出てください!」。何事だろう? 誰からだろう?
引き下ろし先の銀行窓口で口座停止
義父からの電話だった。「いま目黒通りの富士銀行碑文谷支店に“T”が現れ、口座からの引き下ろしをストップしたと富士銀行日吉支店から電話があった。Tは犯行がバレたことを知って、編集室に来るかもしれない。すぐ帰ってきて〜!」。30分ほど前に支店長に頼んだ口座ストップがもう功を奏したのだった。
案の定、港北警察署から帰って間もなく、Tが編集室にではなく別棟の自宅玄関に現れた。応接間で、事の一部始終を説明させた。それから富士銀行の通帳と印鑑を私に渡すよう強い口調で告げた。モジモジしながらポケットの中から、ようやく通帳を出した。見ると預金残高は2万円足らず。しかし、通帳にはあの未収リストに挙げたほとんどすべてが入金されているのだった、まだ3回分の入金されていない広告先が1件だけあった。その入金予定を質すと、ここは広告代の代わりに現物のカーペットとカーテンを貰ったのだという。
信じられない犯行の手口と次々判明する悪事
そこで、先の新横浜の住宅会社とTが仕組んだ「とうよこ沿線」と提携、カーペット・カーテンの大安売り!>の仕業が裏付けされた。さらにTに通帳に使った印鑑の返却を迫った。彼は「それは持っていない」とウソぶく。数時間前に富士銀行碑文谷支店に現れた理由が弁明できず、渋々私の前に印鑑を出した。その認印は私が長年愛用していた印鑑だった。いつの間にか、私の机の引き出しから盗み出し、富士銀行日吉支店の口座をつくっていたのである。
義父が各広告主あてに書いた請求書を、Tは「ボクが直接持って行きますから・・・」と受け取り、それを破り捨て、振り込み銀行を富士銀行日吉支店に書き替え、先方に届けていたことも判明した。
Tの返済不能。損害だけが残る
「長年お世話になりながら、大変ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」。Tは義父と私に口頭で詫び、「いま返済できない金額は長期にわたり必ず返しますから勘弁してください」と頭を下げた。そして、その場で返済の証文を書き、後にした。
返金は銀行窓口で引き下ろしを指し止められ通帳に残った2万円余り。その後、Tからの便りは未だに何もない。“使い込まれた金額”の穴埋めだけが大きな問題として後に残った。
月日が経つにつれ、Tの“悪事”はそれだけではなく、次々発覚した。当編集室の名を使って各商店街や広告主を回ってカーペット・カーテンを売り歩いたり、私の車のサイドポケットからスタンドのカードを盗み出し友人や知人の車を借りてきては注入していたり・・・。
私たちにはいずれも想像もできない“手口”。Tを信頼し甘やかしてきた私が、底抜けのバカ者だったと反省はするが、それを裏切る人間を許すことはできない。
この事実を知っている義父も義母もすでにこの世に居ない。Tを紹介した親友にいつかは話そうと思っていたが、一昨年他界。今は真相を知るのは私だけになった。警察沙汰にしなかった温情に甘え、平然と暮らす悪人がいることは社会悪である。あえて、ここに本誌発行の陰に隠れた“実話”を書き残す。
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