本誌編集発行人 岩田忠利

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no.25
ズバ抜けたF子ちゃんの絵の才能
タイトル/画像 本文
今や日本の有名イラストレーター・F子ちゃん

F子ちゃんが担当した27号の表紙絵

頭に浮かぶイメージをその場で素早く描く。第17号「町のお医者さんガイド」から
 
 Nくんが連れてきた電話交換手の女の子

 10号編集中の冬、まだ高校生風の男の子“N”くんが入会した。編集室に入ってくるなり、カバンを床に放り投げ、注いでくれたお茶をガブガブ飲むマナーの悪い子だったが、性格のいい子だったので憎めなかった。 
 このNくんが数日後、私にこんなことを言った。「編集長、ボクの女友だちに絵がすご〜く上手い子がいるんです。この女の子に『とうよこ沿線』のどこかのページに絵を描かせてくれませんか?」。そう言って間もなく、そのガールフレンドと一緒に編集室に現れた。彼女は、Nとは違い、落ち着いた理性的に見える20歳前後の子で名前を「F子」と名乗った。今の職業は高校を出て横浜の電電公社で電話交換手をやっているのだという。

 文字原稿を見て6〜7分で見事な挿絵を描く才能

 そこで私は目の前にあった会員が書き上げたばかりの原稿とケント紙を取り上げ、「F子ちゃん、この原稿の挿絵を何か描いてみてくれないか?」と彼女の前に差し出した。彼女はその文字原稿に目を通すと、ケント紙の上にエンピツを走らせ、下絵をスラスラと描き、その線の上を黒インクのペンで描いていった。その作品は動きのある人の姿が生き生きとし、思わず笑みがこぼれるコミカルなのだ。眼を見張るばかりの臨場感のある絵だ。それでいて、仕上げがじつに速い! 6〜7分で仕上げてしまった。この彼女の才能に私は並々ならぬ奥深さを感じたのだった。それ以来、私は彼女に毎号次々とイラストを描く場をつくっていった。
 当時編集室のイラスト部門は、プロの漫画家の井崎一夫さんと畑田国男さんら7人のイラストを描く会員がいた。「編集長、素晴らしい絵を描く新人さんが入りましたね〜」F子ちゃんのイラストが載った新刊を見た畑田さんから電話があった。やはり、プロは作品を見れば才能を見抜く鑑識眼があるものだ。

 日ごろの観察力と情報収集の蓄積

 熱海へ梅の花見のスタッフ一泊旅行をしたときのこと。夕食に皿に乗ったエビが出た。みんなはエビが好物らしく、すぐに平らげた。私の近くに座ったF子ちゃんだけはエビを指先でつまんで上下左右からじーっと眺めているのだ。この仕草を見て、なるほど、と思った。F子ちゃんが絵を描くとき、動物でも花でも建物でもどんな物でも写真や本を見なくてもスラスラ描けるのは、日ごろからこうした“観察力”の蓄積があればこそ。収集した情報がF子ちゃんの頭の中にはいっぱい詰まっているに違いない。

 才能が認められ羽ばたくF子ちゃん

 読売新聞横浜支局は紙上で「ミナトヨコハマ・グラフィティー」という連載中で、総集編に全紙をイラストで飾る特集を企画していた。支局長から電話がきた。「編集長の所には、絵の上手い人が大勢いますね〜。うちの特集に手伝ってくれる二人ほど回してください}だった。
 F子ちゃんと男性会員を推薦した。彼女はそこでも大いに才能を発揮し、その才能は『とうよこ沿線』よりさらに広い世界で認められるようになった。その後、彼女は本会の会員仲間のフランス人女性とのコンビでフランスの教科書の挿絵を手がけるなどいろんな分野から声がかかっていった。日本で最初の“一等1億円の宝くじ”が売り出されたときも、その宝くじにF子ちゃんの絵が載っていた。その後、彼女に会っていないが、F子ちゃんは、トントン拍子で“全国区のイラストレーター”の坂を上っていったようである。
 
 今や横浜を代表する日本の有名イラスレーター

 10年ほど前、横浜駅西口駅前を車で通ったとき、横浜高島屋の壁面の最上階から2階まで下がった“垂れ幕”を見た。それには<横浜が生んだイラストレーター“I・F子”の世界>と一字2メートルもある大きな文字で書かれていた。
 「F子ちゃん、ついにここまで成長したのか〜!」その急成長ぶりに驚いた。彼女の作品展が横浜高島屋で開催中であることを知った。あのF子ちゃんが、すでに横浜を代表するイラストレーターに成長していたことを確認し、自分のことのように嬉しかったものだ。
 いまや彼女は、女性雑誌、教科書、絵本、エッセイ、作品集などで活躍中の、日本を代表するイラストレーターの一人である。新吉田町からやってきたあの男の子Nくんが、F子ちゃんとの出会いのきっかけをつくってくれた。あの頃、行儀が悪いと叱ったNくんに今はたいへん感謝している。

 
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