見出しと写真 キャプション


昭和3年(1928年)、売り出し中の「日吉台田園都市分譲地」
1.日吉駅西口の1928年

左中央の“一本松”の所が大正15年開通間もない日吉駅ホーム。西口駅前には「田園都市日吉分譲地」を売り出した直後で街区は整然と放射状に広がっている。建物らしきものが無い、綱領たる日吉の“開発夜明け前”の情景。
 撮影地はイチゴ畑から。まだ慶応義塾大学予科がまだ日吉に移転していない頃で、一面が山林で一部開墾しイチゴ畑などであった。


昭和4年(1929年)頃、日吉駅ホーム
2.日吉駅西口の1929年

ホームのベンチで電車を待つ乗客。後方の道は現在の慶應キャンパスの銀杏並木の元となった道。左手の建物はこれから始まる慶應義塾大学予科の移転に備える工事事務所


昭和29年(1954年)の
中央通り

3.日吉駅西口の1954年

昭和29年(1954年)西口の中央通りを横断する牛車。後方の「二木書店」はのち、紳士用品店「アメリカ屋」となり、現在はクリーニング店に



昭和30年代、日吉駅の
朝の通勤ラッシュ
4.日吉駅西口の1955年〜64年

昭和30年代、日吉駅の後背地に公団住宅の「日吉団地」や『南日吉団地」、市営住宅などが次々建ち、人口が急増し日吉駅の朝夕の通勤通学ラッシュは日常となった。右の電車は「いも虫」と呼ばれた緑色の電車


昭和48年(1973年)
日吉駅西口駅前

5.日吉駅西口の1973年

高度経済成長期で日吉の街に車が増えたが、駅前に駐車ができる、まだ長閑なムードが漂う。後方は西口と慶應キャンパスがある東口、また電車の上り下りのホームとを結ぶ跨線橋。その前は「日吉団地行き(現サンヴァリエ行き」などのバス発着所。イチョウの木も5〜6本立っていた



昭和56年(1981年)11月
発行の8号『とうよこ沿線』

6.日吉駅西口の1981年

『とうよこ沿線』創刊の翌年、昭和56年(1981年)11月の8号表紙絵を漫画家・井崎一夫が描く。学生の街、日吉らしく『とうよこ沿線』を手に持つ若い女性とウオークマンを耳に当てた青年を前面に木造平屋建ての日吉駅舎で切符を買う人たちのの西口情景。後方は色づくイチョウの木と慶応大学校舎


平成5年(1933年)1月、1の昭和3年の写真と同方向望む
7.日吉駅西口の1993年

1の昭和3年(1933年)の写真と同じ方向を平成5年(1993年)1月、日吉東口駅前の慶応義塾大学図書館棟の屋上から見た西口風景。
 手前の道路は綱島街道。左手のコンクリートの人工地盤の上に杭がある場所は日吉駅舎、右手のコンクリート地盤が日吉東急百貨店の建設現場。65年の歳月が1の荒涼たる更地の分譲地をビルや住宅で埋め尽くした。



平成21年(2009年)の
西口

8.日吉駅西口の2009年

平屋だった駅ビルが高層化しカメラに収まらない現在の西口。東横線が従来の日比谷線の乗り入れに加え、MM21地区を経由して元町・中華街への延伸、さらに一昨年市営地下鉄グリーンライン開通、目黒線の乗り入れなど日吉駅は横浜都心部や郊外とを結ぶ21世紀の交通の要塞になってきた

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本誌編集発行人 岩田忠利

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no.21
8号表紙絵など日吉駅西口82年間の変遷