本誌編集発行人 岩田忠利

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no.14
昔の写真から沿線の往時を想う(第4号)
タイトル/画像 本文
東急百貨店東横店屋上から渋谷交差点を望む



昭和27年1月撮影。高層ビルは無く、ほとんど2階建ての建物

駅前まで田圃があった
元住吉駅前


昭和31年、東横線線路端の住吉神社、その裏の田んぼで稲の脱穀
 
 文部省唱歌『春の小川』
 

 ♪春の小川は さらさら行くよ〜 岸のすみれや れんげの花に
 この文部省唱歌『春の小川』は、渋谷にあるNHK放送センターから歩いて行ける代々木周辺を流れる河骨川を歌ったものである。ちなみに、この歌は高野辰之と岡野貞一コンビの作品で二人は『ふるさと』『春が来た』『朧月夜』『もみじ』などをつくっている。
 
 「春の小川」の河骨川は、渋谷区宇田川町を流れる宇田川と合流し、それが新宿御園内の玉藻池を源流とする渋谷川と渋谷駅東口の北側で合流し、その名を「宇田川」となる。いずれも今は地下を流れる“暗渠”だが、宇田川が地上を流れていた頃の情景を「流れのない川」と題し、『とうよこ沿線』第4号の扉に萩原朔太郎研究家で現代詩の詩人・伊藤信吉さん(港北区下田町)がみずから写真を撮って散文を寄せている。

 川の上のデパートは日本で東急百貨店東横店のみ


 東急百貨店東横店の東館には、いわゆる“デパ地下”がない。それは、なぜか? それは、上記の渋谷川が地下を流れているためだ。「川の上にデパートが建っている」または「デパートの下に川が流れている」百貨店は、全国広しといえども、ここだけだそうだ。
 公園通りの西武百貨店渋谷店のA館とB館の地上連絡通路はあるが、地下連絡通路はない。これも地下を宇田川が流れているためである。
  「♪春の小川は さらさら行くよ〜」と自然豊かな野山を流れていた川は、伊藤信吉さんが書く「街裏の川。ほろびの川。川の裏側に見えるのは家々の裏側だ」の流れのない川と化した。さらに今のその川は、地上から姿を消し、その上を慌しく行き交う“人の流れ”にとって替わってしまった。

 46年前、初めて元住吉駅ホームに終電で降り立つ

 私が東横線で多摩川を渡って神奈川県側に初めて入ったのは、今から46年前、昭和37年(1962年)の25歳のときだった。目蒲線(現目黒線)駅前のアパートに住んでいて、通勤は行きが目蒲線、帰りは自由が丘駅が歩いても7分くらいと近かったので電車の本数が多い東横線を利用していた。
 長野出身の友だちがやっていた神田の「酒蔵信州」で遅くまで飲んだときだと思うが、中央線で来て代々木で山手線に乗り換え、発車前の東横線に飛び乗った。ホッとしてすぐ寝入ってしまった。
 
 眼が覚めたのは「お客さん、終点ですよ〜!」駅員の声だった。続いて耳の入ってきたのは、コロ・コロ・コロ、グワッ〜グワッ〜“カエルの大合唱”・・・。その凄まじい鳴き声は今でも鼓膜にこびりついている。「えっ、ここは、いったいどこの田舎駅?! 」。人っ子一人いない駅ホームをきょろきょろ見回すと、「元住吉」と駅名表示板に書いてある。自分が終電“元住吉止まり”に乗ってきたことが分かった。あたりは暗闇で風景は定かに覚えていないが、ホームのすぐ近くからカエルの鳴き声が聞こえる。一面に田圃が広がっているようだ。
 自由が丘駅からここまで幾つ駅を乗り越したのだろうか。帰りはどのように帰ったらいいのだろうか? そんな心配をしていると、ちょうど最終電車渋谷行きが来て、無事自由が丘駅に辿り着いたのだった。47年前の元住吉駅周辺は、そんなカエルの合唱が聞こえる田園情緒たっぷりの“田舎駅”だった。

  
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