東横線開通前の
現在の綱島駅前周辺
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大正14年2月、中央手前の雪の中の杭は線路敷設予定地の測量杭。後方の森は現綱島公園。池谷家所蔵 |
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大正時代、鶴見川での小学生夏季学校の水泳教室。池谷家所蔵 |
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幻の綱島桃「日月桃」の
地ビール
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元名主の旧家、15代ご当主
昭和55年7月、本会「東横沿線を語る会」の発起人の一人、福岡 實さん(綱島商店街連合会会長)を創刊号を差し上げに訪ねた。そのとき、私にぜひ紹介したい人がいるという。横浜の私学の名門、浅野学園の同窓生、池谷光朗(いけのや みつろう)さんだった。
綱島駅東口、綱島街道端の東京園南側にこんもりした森が見える。そこが池谷さんの家屋敷で池谷家15代当主である。母屋は安政4年(1857)建築というから、すでに築152年も経っている。
明治時代までは曾祖父・池谷義廣さん(明治5年断髪令発令とともに近郷近在で最初にチョンマゲを切った人)は名主の上位、“大惣代”で、何かの有事のときは近隣33カ村の名主が大惣代の池谷家に泊り込んで会合をした、そんな大きな家に奥様と二人で住んでいる。ちなみに、母屋の玄関をはいると、今時珍しい“土間”なのである。若い頃田舎の実家に帰ったようで、なんとなく心が落ち着くのだ。池谷さんは兄が戦死し、大学を出てから家を継いだ。
大正時代の綱島を写した写真の宝庫
私が初めて訪ねた用件は、昔の写真を見せていただき連載「アルバム拝借」を編集するためだった。大概の家が古い写真があるといっても1〜2枚だが、池谷さんが奥から抱えて持ってきたアルバムを拝見すると、大正時代の珍しい写真がどっさり・・・。
東横線開通前の大正時代の綱島の風景、子どもたちが一息で泳いげた鶴見川、綱島に電灯が初めて点いた祝賀会会場、毎年お正月に家々に回ってきた三河万歳を物珍しそうに眺める子どもたち、一面に桃の花咲く桃畑、大正初期の綱島分校の卒業生・・・などなどで、これだけでも<綱島の大正史>といった本にでも編集できそうだ。第3号『とうよこ沿線』の「アルバム拝借」以来、綱島を特集するたび池谷さんの写真をお借りしては「アルバム拝借」の誌面を飾らせていただいた。
これらの写真は、池谷さんの父、陸朗さんが若い頃、横浜の貿易会社に勤務していてそこの社長から貰った1台のカメラのレンズを通したものだった。もちろん、綱島で最初にカメラを持った人。陸朗さんは物珍しさから綱島村の風景、村の出来事、行事、人物などを手当たりしだいに撮っておいたものだろう。それが今では綱島の昔を次世代に伝える貴重な郷土資料となっている。
祖父が“綱島桃”の創始者
綱島には「桃」と名のつく固有名詞が目につく。池谷さんが経営する「綱島ピーチゴルフセンター」。綱島最古の商店会「桃栄会」。綱島公園の山裾にある「桃の里」。綱島街道沿いの東急ストア隣の高台の神明社は別名を「桃雲台」。
これら“桃”の由来は、綱島が桃の生産高で岡山県と並ぶ日本の二大生産地であったことにある。
この“綱島桃”の創始者は、池谷道太郎さん。池谷さんの祖父である。地元の尋常小学校を卒業後、横浜・根岸の塾で英語を学んだりし、根岸の外国人の影響で乳牛を飼ったりもしたが、津田塾大学の創立者・津田梅子の父、津田 仙の「学農舎」の紹介でアメリカから苗木を、また中国・天津からもいろんな桃の苗木を輸入、試行錯誤を繰り返し、ようやく綱島の土壌と風土に最適の桃を開発した。これを名づけて「日月桃」とした。東京や横浜の地の利と味の良さで、全国にその名は広まり、綱島の農民を大いに潤した。
明治42年に組合員33軒の農家で発足した綱島果樹園芸組合は、全盛期の大正13年には組合員91軒、桃畑面積約22町歩(22f)にも及んだ。
しかし昭和13年、4日3晩降り続いた豪雨で鶴見川が氾濫し桃畑は土砂で埋まり、折からの軍国主義で穀物作り奨励策と相まって“綱島桃”は衰退していったのだった。
34年間自宅を開放、小学校の社会科授業に協力
私が池谷光朗さんを敬服していることの一つに、綱島地区各小学校の社会科の勉強の一環として毎年2月に先生に引率された各校児童に目で見る郷土・綱島を学ばせるため自宅を開放し、みずから講師役で尽力されていることである。
農機具の数々、昔の農家の民具、洪水の際の小舟、火災の際の格納庫、綱島桃が隆盛の頃のポスター、昔の写真の数々・・・が母屋の中の物置から土間、縁側、軒下までずらっと並べ、池谷さんが一点一点、昔の人がどんなとき、どのように使っていたか・・・子どもたちに分かりやすく丁寧に説明。各学校それぞれのクラスが日時を替え,見学するのだ。
昭和50年に綱島小学校で初めて開いたのを皮切りに現在までじつに“34年間地域の民俗博物館”としての役割を果たされてこられたことは、まさに掛け替えのないことである。
綱島桃の地ビール
皆さんは綱島産の桃「日月桃」のエキスで造った地ビールが綱島イトーヨーカドーと横浜そごうで限定品として売られているのをご存じ?
上記「桃の里」と言われた綱島であるが、今でも桃栽培しているのは、たった一軒、池谷さんの桃畑だけ。その幻の綱島桃“日月桃”を熟成させた地ビールが横浜ビール株式会社によって醸造された。
ラベルは綱島桃の全盛期「綱島果樹園芸組合」製を使用、少々蜂蜜入りで口当たりが良くフルーティーな風味で評判の上々。値段は330ml、550円と高めだが、なにしろ希少価値の綱島桃、珍しい地産地消の贈答用に売れているそうだ。
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