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上妻病院院長の話を4ページにまとめた記事「一億みな分裂症か」 |
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広告と取り組む義母の情熱
義母の鈴木善子は、「とうよこ沿線」発行の資金源となる広告担当。広告営業と広告レイアウトはまったくの素人の主婦だったが、その熱意だけは人の何倍もあった。
麦藁帽子をかぶって自転車にまたがり、地元日吉はもとより、元住吉・武蔵小杉・綱島まで走って商店街の店を軒並みのように回って広告の営業活動に努める毎日だった。
渋谷の109にいたお客
義母が独りで電車で渋谷に行ったときのことである。“109”の宝石売り場の店長を相手に熱心に広告を売り込んだ。が、結果は実らなかった。
彼女が店を後にし道玄坂の通りに出たときだ。後ろから追いかけてきた一人の女性がいた。彼女は義母に名刺を渡した。名刺には「上妻病院副院長 上妻由紀子」と書いてある。そして、こう告げたのだった。
「私はいま店内で宝石を見ながらあなたの話を立ち聞きし、息子さんが始めた雑誌発行の趣旨とあなたの情熱に感動しました。明日、息子さんと一緒にウチの病院にいらっしゃい! 主人(病院長)と会ってください。広告を出しますから・・・」。
どこで誰が見たり聞いたりしているかいるか分からない。また、情熱は人の心を動かし、行動を起こさせるものだ。編集室に帰った義母の話を聞き、そう実感した。
病院長の座談記事が反響を呼ぶ
翌日、義母と二人で町田市小山田の樹木が生い茂る広大な敷地の病院を訪ねた。上妻善生院長と話すうちに、その話が日本人の精神状態を現代的に分析した素晴らしい内容だった。
そこで、私は直感した。これなら、記事で行ける・・・。即座に院長にお願いした。
「先生、お話を録音テープにとらせてください」。
編集室に帰ってテープ起こしをし、「編集長インタビュー『一億みな分裂症か』」と題した4ページものの原稿にまとめた。
後日、その原稿を院長に見てもらうと、ことのほか院長は喜んだので、これがそっくり4ページのパプリシティー広告となったのだった。
発行後、その記事の反響は108ページにも紙数が膨れ上がった第2号の記事の中で最も大きいものとなった。
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