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 枕元の電話

 別棟の編集室への電話を親機につなげ、自室の枕元の電話に掛かるようにしていた。深夜や早朝の電話でも布団の中から手を伸ばせば話せるようにしていた。一年中、24時間、会員やスポンサーなどからの緊急の電話に、いつでも対応できる態勢にしていた。
  意外な用件の電話は、ほとんどが「読者」と称する者からだった。それも、どこへ電話しても通じない深夜や朝方が多かった。
 
 こちらは交通事故(?)

 深夜2時ころ、女性の悲鳴のような声で「轢かれたんです、轢かれたんです! 助けてください!」。気が動転しているらしく、それを繰り返すばかり。「救急車を呼んだら、どうですか?」。床についたばかりのこちらがそう勧めると、電話が通じて少し安心したのか、その女性は「それが、できないんです」。私には合点がいかず、「どこで、どうしたんですか?」と尋ねると、「犬と散歩中、犬が車に轢かれたんです。その車がそのまま走って行ってしまったんです」。 
 つまり、人間が車に轢かれたのではなく、愛犬の交通事故だった。東京から綱島に引っ越して来た直後で、診てくれる犬猫病院を知らないという。場所は綱島のスーパーいなげやの先、県道の交差点だ。
 たまたま、兵役で軍馬を戦地で診ていたという獣医がその現場近くで犬猫病院を開業しているのを思い出し、恐る恐る、電話を入れると、「生き物相手の稼業では、よくあることだよ。連れてきてみな・・・」だった。
 翌日、その女性からお礼の電話がきた。犬は骨折と擦り傷で助かり、これから通院するところだという。

 覚えていた電話番号ロクニヨサンナイ(62-4371)


 それにしても『とうよこ沿線』編集室の電話番号をよく覚えていたものだ。訊けば、引っ越してきてまず買ったのが、地元の情報が載っている本誌。その中に電話番号の紹介記事「日吉局044の ロクニヨサンナイ(62-4371)がおもしろく、記憶に残っていたというのだ。
 当時の日吉の電話局番は、横浜市内すべての局番が045なのに日吉だけが、川崎と同じ044だった。この電話番号については、あとで触れることにして先へ急ごう。

 カギを紛失した青年

 この深夜の電話も。綱島の先、高田町に住む若い独身男性からだった。「こんな夜中にスミマセン! アパートのカギを大至急、開けてくれる“カギ屋さん”を教えてくれませんか?」。こんな時間にいったいどうしたのだろう? 
 東京都心のキャバレーで飲み、支払いの段になって財布をアパートに置き忘れたことに気づいたのだそうだ。こんなとき、悪いことは重なるものだ。終電時間も過ぎ、都心からタクシーできた。飲み代を請求する“付け馬”がタクシーの中で待っている。タクシーの運転手にも代金を支払わなければならない。
 それが、アパートの部屋を開けようとしたら、そのカギをどこかで紛失してしまったのだ。財布もマスター・キーも部屋の中にある。カギが無く、開けられず困っているのだ。その青年は近くの公衆電話ボックスから電話をかけ、「ともかく、外で二人が待っているので、急いでカギ屋を紹介して欲しい!」と切羽詰った心境で私に訴えるのだった。

 たまたま本会発起人の一人が綱島西口駅前で金物店の主人であった。深夜に起こして跡継ぎ息子に現地に飛んでもらって、ようやく一件落着したのだった。

 もろもろの相談事や問い合わせが

 世間は広い。いろんな人がいろんなことで相談してくるものだ。登校拒否児の父親あり、隣の家との境界線トラブル、信頼できる治療院や散歩コース紹介、夏休みに多い子どもの宿題「地域のテーマ」の相談、会社や団体からの「会食したいが、どこか良い所は?」など結婚式・葬儀会場・パーティー・発表会の会場探し、不用品処分や買い物の相談からピンからキリまで。そう、こんな者もいる。「慶應のイチョウ並木は、何分くらい紅葉しましたか?」。

 こうした皆さんは、こちらをどんなサービス機関だと思っているのだろうか。東急の機関誌だと勘違いしている読者もかなりいたが、地域雑誌に公益性や公共性があることは私も承知している。しかし、現実は目先の雑誌発行に汲々としているロクニヨサンナイ私的経営の編集室だ。これら無料サービスの“よろず相談”の限界を感じたものだった。


 
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本誌編集発行人 岩田忠利
no.4 24時間対応、枕元の電話

読者の問い合わせ電話も十人十色・・・