校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

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NO.22 大正10年(1921)からの大熊町の人々
 大正時代の大熊町



      大正10年、杉山神社の社殿新築の落成を祝って投げ餅

 左の櫓の上に宮司・氏子総代・大工の棟梁・鳶の頭があがり、樽の中の餅をこれから投げるところ。下ではそれを拾おうと待ち構える人々です。
 提供:小山建次さん(港北区新羽町)


大正15年7月、農繁期に農家の子どもを預かって遊ばせる長福寺託児所

提供:平野重一さん(大熊町)

昭和初期から戦時中の大熊町



        昭和10年、“村の床屋さん”

 写真右の人が店のオーナー、中山源蔵さん。当時源蔵さんは店を女の子に任せて桜木町の美容学校に通学する美容師の卵でした。
 この店は昭和60年まで大熊地蔵尊の隣にありましたが、火災で焼けてしまいました。
 
提供:小山建次さん(港北区新羽町)



     昭和13年、大熊町で最初のオート三輪

 平野正二さんはこのオート三輪を買って農作に使っていました。写真の男の子は長男・泰二さん
 提供:平野泰二さん(大熊町)






昭和18年頃、農家の人たちが干ばつの水田に給水

 鶴見川上流の江川用水から500メートルもポンプで水を引く。  当時塩ビ管の水道管などは無く、大工さんが木製の樋を500メートルも作りました。写真の現在地は都筑区川向町、現港北インターチェンジ手前の左方向です。
 提供:小山建次さん(港北区新羽町)



  昭和194月、毎月1日と15日は杉山神社のお宮掃除

東の鳥居前で。
 提供:斎藤敏夫さん(大熊町)




昭和19年秋、やぐらを組んだ監視所を前に防火演習開始!

 後方は丸山。場所は大熊の通称「新堀」の田んぼです。
 提供:斎藤敏夫さん(大熊町)





   屋根の上まで水の入ったバケツを次々パス!

 地上の人がから梯子の人にパス、それを屋根に上がった人にパスする。これは、かなり危険でハードな動作。昔から「なでしこジャパン」は強かった。

 提供:斎藤敏夫さん(大熊町)

  
昭和の高度経済成長期から平成時代へ


農家の主婦たちの「大熊生活改善グループ」活動の事例を見る



        昭和389月、杉山神社境内に横浜市青少年の家が落成

 この建物が昭和58年、大熊町に払い下げられ大熊公民館となりました。
 これが大熊町住民結束の“導火線”
となり、ここが農家の主婦の集まり、大熊生活改善グループの活動拠点となるのです。
 提供:斎藤敏夫さん(大熊町)


    昭和41年頃、青少年の家に農繁期託児所

 託児所に子供を預けた母親同士が知り合い、グループ発足のきっかけになりました。

 同グループ発足25年記念誌「まちの畑でスクラム組んで」から(以下同じ)






昭和58年、みかんジュースづくりを実習


    平成4年、会発足25年記念にハワイの農家にホームスティ、農業実習

 日系人の農家にホームスティし人情の機微に触れたこと、地道に一生懸命働く若者、老いても元気はつらつとした生活態度など数々のことを学びました。



    平成3年、産業道路の端で共同経営の直販店

 昭和59年から自家栽培の野菜、手づくり惣菜・味噌・菓子・ジュースなど会員各自が値付けして持ち寄るので品数も豊富。価額も良心的で安いと大好評です。だいたい午前中で売り切れ、閉店になります。



   平成4年4月、大熊町のお年寄りを招いて昼食会

 直販店の利益を地元に還元し定期的に昼食会を開いています。料理は店屋物ではなく、会員の手づくり料理です。




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