校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

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NO.23 自宅で行なう結婚式と伝統的な仏事

自宅で行なう結婚式
男全冨雄さん・吉村正子さんの結婚式…

◇挙式:昭和29年4月 ◇会場:北山田・男全冨雄家

提供:関 岳夫さん(勝田町)


 青葉区元石川の吉村宇左衛門さんの次女、吉村正子さんが都筑区北山田の男全冨雄さんのもとへ嫁ぐ前日の午前中、嫁入り道具が新郎宅に送り届けられる。寝具類、台所用品、裁縫道具、衣類、座敷道具などで数量は奇数に限られる。



花嫁が仲人と母親のかえ添えで男全家の門をくぐり、嫁ぎ先のお屋敷に第一歩を踏み入れる。


男全家の家族と親族が花嫁を出迎えるなか、ご近所の代表が 「♪高砂や〜 この浦船に帆をあげて〜」と謡(うたい)を朗々と謡う。





 こちらは特別参加の写真。
 男全家挙式の8年後、昭和37年、中川町の金子貴美子さんが荏田町の志村家に嫁ぐとき、家を出る前に家族や親族と記念写真。それから花嫁は写真右のマツダ・クーペに乗って新郎宅の門をくぐりました。

 提供:金子政子さん(中川町)


親族の女の子のお酌で新郎新婦が三三九度の盃を交わす結婚式


厳粛な結婚式が終わり、和やかな“祝言(しゅうげん)”、 いわゆる結婚披露宴が始まる

    

伝統的な仏事・・・葬儀、念仏講、お盆行事


 昭和331122日、東山田町の前田スズさん(享年75歳)の野辺送り。この葬儀が山田地区最後の“土葬”といわれています。
 提供:前田理容室(東山田町)



        昭和53年、念仏講「のちめ城山講中」

 講中全員で大きな数珠につかまって念仏を唱える「七日念仏」。東山田町・原木寿家で

 提供:前田理容室(東山田町) 

  珍しくなった念仏講

 昔は隣組や谷戸単位で念仏講があり、どの家でも加入していました。
 念仏には「月並念仏」と「御斎(おとき)念仏」があります。
 月並念仏は講中が持ち回りで当番の宿となり、その家に講中が毎月15日の夜集まって念仏を唱えます。今でも港北区高田町の東原地区では月並念仏を行っています。
 御斎念仏は各家で法事があったときなどに随時行なう念仏です。写真の東山田町の念仏は初七日(しょなのか)や新盆のときだけのようです。
 
 ここの念仏の唱え方は大きな数珠に参加者全員がつかまり、音頭取りが仏壇の前で鉦を叩いて調子を取って念仏を唱えます。

 
 先祖から代々受け継がれてきた念仏講は、今では都市化による新住民の増加や核家族化、または念仏経験者不足で、どこの地域でも衰退の一途をたどっているのが現状です。

     お盆行事

 お盆の13日の夜、家族全員がお風呂に入って身を清め、浴衣などに着替え、庭に出ます。家の入り口の道端にキュウリで馬を形作ったものや里芋の葉の中にナスを刻んで水を入れたものを供え、麦わらの束を燃やすのです。これが精霊の“迎え火”です。
 また、送り火は
15日の夜、ナスで牛を形作り、麦わらの束を燃やして精霊を送ります。

 迎え火の後、先祖の精霊は写真のように四方を若竹本で囲んだ精霊棚、いわゆる盆棚に祭られます。棚には先祖の位牌が並べられ、その壁面には曼荼羅や巡礼の掛け軸が掛けられ、棚の前に野菜、果物、お菓子のほかに食膳が供えられます。

 お盆の間は親族が集まって墓参し、亡くなった人の思い出話で過ごすのです。

 お盆は仏教の影響で今では一般に凶礼のごとく考えられていますが、元来はお正月と同じ古礼であり、年始回りにあたる盆礼で「おめでとう」と言う地域も、地方にはあります。



                精霊棚、いわゆる盆棚

四方に若竹を立て、それをチガヤで編んだ縄で結わえて棚をつくり、位牌を並べ、祖霊を迎える習俗です。
 提供:志村徳司さん(荏田南)

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