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NO.21 雲井麟静と詩人・作詞家の佐藤惣之助

校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

雲井麟静さんの地域の文化活動
提供:雲井耀一さん(折本町)
  


昭和8年、盆踊りに佐藤惣之助作詞・雲井麟静作曲の
「折本音頭」を踊る折本の人たち


    雲井麟静さんの文化活動

 雲井麟静さんは、真宗大谷派の寺院、真照寺第17世住職で、現住職・雲井耀一さんの祖父。生前、折本町を中心に幅広い文化活動を展開してきた人でした。
 絵画や文章をたしなむ文人であり、音楽や演劇に造詣が深く、多くの文化人との交流も盛んでした。
 
 その多芸多才ぶりを発揮して前編で紹介の小学校のハーモニカ楽団を創設してその指導に尽力され、青年の非行化防止の一環に当時の都田村に劇団「都田・櫻月会」を設立し折本町の神社で定期公演、また折本町の歌「折本音頭早苗節」を残すなど地域文化の向上に努めました。 


昭和5年、劇団「都田・櫻月会」の
幕の前で都田村の青年たち









   演目「父帰る」の一場面

 脚本から演出、舞台の大道具から小道具まですべて雲井麟静作です

 提供:加藤恒雄さん(折本町)





 昭和24年頃、演目「べニスの商人」

 左から人目は俳優・織本順吉。角田公明さんの実弟の彼は青年時代のこの演劇体験から文学座の俳優となり、芸名も折本にちなんで「織本」にしました。


作詞家・佐藤惣之助との交流



       昭和11年、中央椅子に座る雲井麟静住職夫妻を囲んで

 住職夫人の後ろの人が詩人で作詞家の佐藤惣之助。その左後方の女性は佐藤惣之助夫人、「現代詩の父」といわれた詩人・萩原朔太郎の実妹。その左前の女性と男性が先代住職の雲井孝夫妻です。



昭和8年折本町の神宮山で文学談義に興ずる
惣之助一行

 
後方は折本耕地
 
惣之助が初めて折本を訪れたのは大正9年。真照寺の雲井麟静住職と会って話すうちに意気投合、以来この地が気に入り、フラッと真照寺に来ては1週間や10日も滞在しました。彼が主宰する「詩の家」というグループの定例会を年1回、タケノコご飯をご馳走になれる5月に開いていました。


詩人・作詞家・
     佐藤惣之助

明治23年(1890)〜昭和17年(1942)

 川崎市川崎区砂子の出身。生家の跡は現川崎信用金庫本店の所在地で、ここに生誕の地碑があります。
 義兄の萩原朔太郎が死去後4日に脳溢血で急逝、享年51歳。
 著書は詩集の「佐藤惣之助全集」ほか多数。
 
歌謡曲の代表作は「赤城の子守唄」「お夏清十郎」「むらさき小唄」「阪神タイガースの応援歌<六甲おろし>」「男の純情」「人生の並木道」「青い背広で」「人生劇場」「湖畔の宿」など多数。

 

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