MAP:荏田地区

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校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

NO.15
開発前後の荏田と人々の暮らし

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港北ニュータウン造成前の柚木谷戸(荏田南)上空から



   昭和49年4月、造成前の港北区荏田町柚木(ゆのき)谷戸(現都筑区荏田南)上空から

 写真の下方左右に走る道沿いの左側が「柚木谷戸」。ここに現荏田南2丁目の志村正雄(現徳司)さんの家が見えます。道沿いの右手の集落は「きじ谷戸」。右上に246号線が市ヶ尾を蛇行して走り、藤が丘、青葉台方面へと続きます。

 提供:志村徳司さん(荏田南)



昭和50年、写真中央の家は、志村徳司さんの家

道は柚木谷戸の道です。



 写真左の高圧線の鉄塔がここに!

 志村さんの家の近くにあった高圧線の鉄塔の現在地は、幹線道路「新横浜・元石川線」の荏田南歩道橋付近の中央分離帯の中。
 大規模な造成で志村さんの昔の家の位置は幹線道路東側の端になりますが、現在はその西側に移転しました。
 2013.8.18 
撮影:岩田忠利






昭和62年、造成後の荏田南、荏田東地区を上空から見る



                       区役所に隣接、3本の幹線道路が走る街に

 右下に都筑区役所。3本の幹線道路、左に新横浜〜元石川線、右に新羽〜荏田線、下方に中山〜北山田線が縦横に走っています。2本の幹線道路の中間を緑地公園「ささぶねのみち」が縦に連なり、快適な交通至便な街に生まれ変わりました。
  提供:志村徳司さん(荏田南)



 昭和58年6月、幹線道路「新横浜〜元石川線」開通式

 横浜市・住宅都市整備公団・地元の3者が交差点「福祉センター北」近くで挙行。
  提供:志村徳司さん(荏田南)





 昭和50年1月、縄文時代後期の集落跡の遺跡発掘

 この遺跡の名前は「華蔵台遺跡」。現在地は荏田南5丁目14番地から18番地付近です。
  提供:志村徳司さん(荏田南)



昭和52年、造成中の荏田南2丁目〜5丁目の風景
提供:志村徳司さん(荏田南)









写真左と同方向を望む平成13年9月

左の建物は荏田南小学校。
撮影:岩田忠利




昭和40年、現荏田東2丁目の池田の畑

提供:井上克美さん(荏田東)





    写真左と同方向を望む平成13年9月

 建物は新横浜〜元石川線沿いに建つサンライフ荏田。
  撮影:岩田忠利


  
人々の暮らし



昭和4年6月、荏田東の田んぼで松澤秀定家の田植え

提供:松澤秀定さん(荏田東)






    昭和14年、荏田東の松澤秀定家前の畑

 右端の人はこの年荏田町が横浜市編入後初の横浜市会議員になった松澤秀定さんの父・松澤丹司さん。

 提供:松澤秀定さん(荏田東)


   昭和15年、出征中の戦地へ送った慰問写真

 井上克美さんの父・一夫さんのもとに送った家族写真。荏田東の自宅前で牛の手綱を持つ祖父・元次郎さん、その左に祖母・サクさん。

提供:井上克美さん(荏田東)









 戦後の昭和21年、陸軍払い下げの将校専用馬

 井上家では、払い下げのこの馬を乗馬用に使っていました。馬上の人は予科練生だった克美さんの伯父・井上 昇さん。
  提供:井上克美さん(荏田東)


          昭和26年、選挙カー

 車は棒ハンドルのダイハツ三輪トラック。候補者は横浜市議会議員候補、荏田地区の松澤由貞さん。運転手はトラックの所有者、牛久保町の田丸芳郎さん
 提供:関 岳夫さん(勝田町)


昭和40年冬、出荷用大根を庭先の洗い場で洗う家族

提供:井上克美さん(荏田東)






     昭和40年暮れ、囲炉裏で餅米をふかす

 これからお正月用の餅をつくのです。火の番は克美さんの父・井上一夫さん。
 提供:井上克美さん(荏田東)





昭和40年暮れ、餡を詰めて大福づくり

 つきたての餅に餡を詰めるのは、祖母・サクさん。
 提供:井上克美さん(荏田東)


昭和51年1月、渋沢地区の辻々で燃やす松飾り・門松

 いわゆる「どんど焼き」ですが、渋沢地区(荏田東)では隣組ごとに辻に持ち寄って燃やすこの行事を「団子焼き」または「歳(せい)の神」と呼んでいました。
 提供:井上克美さん(荏田東)


    昭和46年、築後350年経った松澤秀定家

 この年、昭和46年に解体され、横浜・三渓園に移築、現在展示公開されています。
  提供:松澤秀定さん(荏田東)