MAP:センター南駅(茅ヶ崎)地区
校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利
絵: 鈴木善子(「とうよこ沿線」編集室)
松庵の一本松(二股松)と伝説 中丸の茅ヶ崎富士に至る四五六峠を登りきった右側の小高い所が飯塚邦夫・功家の墓地。そこに樹齢数百年の二股の黒松が高く誓えていました。 目通り2丈6尺(約7.9b)、根の張りが見事なうえに、左の絵のように幹が二股に分かれ、左右が同じ太さという世にも珍しい松でした。地元では「二股松」と多くの人が呼び、茅ヶ崎村のどこからでも見える目印として村人に親しまれていました。
この巨木も寄る年波には勝てず、枯れてしまいました。この老木を木こりが切ろうとして鋸を入れたところ、数条の血が流れ出し、一時切ることを止めました。 ようやくにして倒してみたら、幹が空洞になっていて、たくさんの蛇がそこで冬眠していたのでした。
不動明王と薬師をまつった「自性院(じしょういん)」というお寺がセンター南駅前、現在の港北東急百貨店の所にありました。このお寺がある谷戸を「自性院谷戸」。ここに先祖伝来の家屋敷を竹林や柿の古木で囲んだ十数軒の農家があり、当然、何代もの命を育んできた井戸もありました。 港北ニュータウン開発はまずこの谷戸の農家を他の場所に移し、木を切り、山を切り崩し、井戸を埋め、そして何十台ものブルトーザーで整地し道路を造ったのです。わずか三十年足らずの歳月が流れた今、自性院谷戸は昔日の面影は微塵もありません。 都筑区役所・保健所・図書館・公会堂・消防署などの庁舎と百貨店などの商業施設が建ち、今や都筑区行政と商業の中心街となったのです。
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「茅ヶ崎八景」の名付け親は、慶応年間の茅ヶ崎村・岸 宇作という人。村内の美しい景色の8カ所を決め、その八景は大正時代まで人々に語り継がれてきたという。 下の写真に写る地域は八景の一つ、「境田の暮雪」と言われた所。それが『港北百話』という本に以下のように紹介されています。
白一色になった田畑や山裾をぬって、細い2間幅の道が茅ヶ崎村から荏田村に通じていた。人が歩くにも、腰まで雪ではどうにもならない。 早渕川の土手は、左右両岸とも真竹が密生していたが、先端はみな雪の重みで地についている。時折ポーンという竹折れの音と風の音以外は聞こえない雪の暮れ、他の地区では見られなかった境田の暮雪であった。