撮影・現像・焼付けまでを趣味としたのは、終戦で復員してから
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昭和23年、脚にはゲートル、赤い自転車の郵便やさん
港北区新吉田町の旧新田郵便局前で。
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昭和25年、新居の井戸掘り
結婚して新居を構えましたが、生活用水が無い。急いで南山田の大嶋井戸屋さんに“上総(かずさ)掘り”で井戸を掘ってもらいました。
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昭和25年、「関ラジオ店」開店2年目
関ラジオ店はラジオ全盛の昭和24年に開業しました。当時は扱う電気製品といえばラジオ、電球、ランプ、コードくらいしかなく、仕事は主に真空管付きのラジオ修理。勝田町に店が少なく、タバコ、家庭用品、くだもの、駄菓子、文具などの日用品が間に合う現代でのコンビニでした。
店頭に立つのは、結婚したばかりで店を切り盛りしていた夫人・関 淑子さん。
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昭和27年、早淵川の氾濫。勝田耕地が一面の海に
大きく蛇行して流れる早淵川は、戦中・戦後の食糧増産で山林の樹木を切り倒し農地にしたため保水力を失い、大雨のたびに氾濫、大きな被害をもたらしました。
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昭和26年、勝田橋あたり
中央2台の自転車が走るのは早淵川の堤防上の道。その後方、左右の道が中原街道、左が勝田橋です。正面の左手が関ラジオ店、その後方直線の道は現在の勝田団地方面へのバス通りです。
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写真左の現在
丘の上に勝田団地が見えます。写真左の勝田団地行きのバス通りは両側に建物が並び、中原街道は建物の向こう側で見えません。
2013.8.27 撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和27年、魚捕り
農薬を使わない自然農法の田んぼの小川には、ドジョウ・フナなどの小魚がいっぱいいました。子どもたちには魚捕りが格好の遊びでした。
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昭和28年、自転車オートバイ
自転車にトヨタ製のトヨモーター(80cc)を付けた自転車を「自転車オートバイ」と呼び、流行りました。山坂の多い今の都筑区内の得意先回りにたいへん役立ちました。
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昭和28年7月、港北区自転車競走大会
菊名の港北区役所(後方の建物。現菊名地区センター)前のスタート風景です。
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昭和29年3月、近郷近在で初のテレビ
“円形画面”のテレビ組み立てに成功した関 岳夫さん。
NHKのテレビ放送開始は前年、昭和28年2月1日。当時はテレビの国産品はありませんでした。
テレビ時代の到来を予感した関さんは、東京・秋葉原へ出かけ、当時のお金で10万円を奮発して部品を買い集め、今日では珍しい円形テレビを組み立てました。もちろん近郷近在で初のテレビ!
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昭和35年、配達に大活躍したダイハツ・ミゼット
開店から11年、電気製品の商品アイテムが急増、しかも洗濯機・テレビ・冷蔵庫など大型商品が多く、このミゼットは小回りがきき、大いに重宝しました。
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昭和29年7月、写真上のテレビの前に群がる子供たち
丸いブラウン管の前に群がって人気番組のプロレスを観戦する勝田町や大棚町の子どもたち。もう、この子たちもお孫さんのいる年代です。
当時のテレビ放映は民放がなくNHKだけ、しかも放映時間は1日約4時間。歌番組などの娯楽番組は少なく、爆発的な人気番組はプロレス中継。アメリカのシャープ兄弟を大相撲から転向した力道山が天下の宝刀“空手チョップ’で一撃するシーンに大人も子供も溜飲を下げたものでした。
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昭和30年、綱島の喫茶店でジュースを飲む関岳夫さんの友だち、鈴木 実さん
壁面のメニューの価額にご注目! 氷あずき・氷じるこ・コーヒーは30円、牛乳とトーストパンが20円、ラムネ15円と書いてありますよ〜。これが、今から58年前の定価です。
提供:鈴木宏三郎さん(勝田町)
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昭和31年夏、勝田橋下で“かい掘り”
近所の大人が出動して“かい掘り”のウナギ捕り。後方の道は旧中原街道、大棚地区です。
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