NO.6
北山田、昭和38年からの風景

            
日吉・元石川線道路建設で変貌した風景



昭和38年、北山田の水田地帯

提供:男全富雄さん(北山田町


       写真左の現在

 現在地は日吉・元石川線の北山田交差点付近一帯です。
  2013.7.15 撮影:石川佐智子さん(日吉)





昭和38年、北山田の重代(じゅうだい)谷戸の集落

提供:男全富雄さん(北山田町


         写真左の現在

 現在地は日吉・元石川線の上り線(北山田5丁目)と下り線(北山田4丁目)の両側にバス停「重代」の名前が残っているだけです。
 2013.7.15 撮影:石川佐智子さん(日吉)







昭和49年4月、港北ニュータウン開発前の桜が満開の山田富士と
北山田公民館

 提供:男全富雄さん(北山田町


  写真左の現在

 北山田公民館は北山田1-3-11 ビッグヨーサンの西隣。撮影は日吉・元石川線「北山田」交差点付近のマンション5階から撮影。
 山田富士は周囲の樹木が生長しプリンのような形の山頂が見えません。

 2013.7.15 撮影:石川佐智子さん(日吉)
      
                           
        人間が造った山田富士からの眺め

  
      
丘の上に、にょっきり小さな富士山


 ニュータウン北端、北山田の見通しのよい道路を車で軽快にとばしてゆくと、道端の小高い丘上に、さながら大きなプリンのようなものが……。「これってなぁに?」とばかりに通りすがりに見上げる人々。

 実はこれ、ここ北山田地区は富士山信仰が盛んで(本編NO.1の「北山田の富士信仰登山」参照)、信者の皆さんが江戸時代にモッコに土を入れて担ぎ上げて造ってしまった“手づくりの山”。何十年かかったのだろうか。先人のエネルギーは凄い!しかも、この山田富士は「新編武蔵風土記稿」(文政11年<1828年>)にすでに登場している古い歴史をもっているのだ。

 

本物の富士山と同じように登山道があり、その途中には権現社や石仏、風穴まで造られている。
 山頂に登れば変わりゆくニュータウンが見渡せ、遠く富士の高嶺を望むことができる。山のふもとには横浜市営グリーンラインの地下鉄「北山田」の駅もできた。春は桜、中腹の桜が灯に照らされる様は、さながらたなびく雲海のよう。花見にもどうぞ! 
 文・一色隆徳(「とうよこ沿線」編集室


 



昭和59年、港北ニュータウン造成中の北山田地区を山田富士の頂上から望む

右手後方は東山田・南山田方面です。

提供:前田征江さん(東山田町。前田理容室)



平成13年9月、上の写真と同方向を望む。左上の建物は横浜国際プール

撮影:岩田忠利
   
           
造成前、北山田の風景(空撮)



昭和49年、港北ニュータウン開発前の山田富士とその周辺

丘陵地の下に左右に広がる田んぼは、現在日吉・元石川線の道路になっています。
提供:男全富雄さん(北山田町

校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

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