NO.3 “床屋のトクさん”が遺した風景写真

校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

画像をクリックすると、拡大されます。拡大後は左上の戻るボタンをクリックしてください

     
昭和30年代の東山田の風景
撮影:前田徳次郎さん(東山田町)



昭和39年、中原街道の向坂から東山田町の道中坂下、高田町、日吉、綱島を望む



          上の写真と同方向を見た37年後、平成13年9月の景色

東山田町の町内に日吉・元石川線、第三京浜高速道路、大熊・東山田線と3本の幹線が走り、景観は大きく変わりました。  撮影:岩田忠利


昭和39年5月、東山田と南山田の遠望



平成13年(2001)9月、上の写真と同方向を望む

撮影:岩田忠利



昭和39年5月、向坂



写真上の現在の向坂

道は2倍以上広がり、直線になり、なだらかな勾配に変わりました。
2013.7.14 撮影:石川佐智子さん(日吉)
 坂の下に“押っぺし”

 左の「向坂(むこうざか)は、東京を往復する近隣の農家の人たちには忘れられない坂です。往きは荷台に採りたて野菜を積み、帰りは肥え桶を並べた荷車を引いてこの坂を通過するのですが、それがたいへん難儀でした

 東京の入り口、現大田区までの道中には向坂、道中坂、その先に千年の坂、丸子の渡しを渡るとすぐ桜坂、またその先に洗足池の前後、石川台と長原に大きな二つの坂‥…・。起伏のある中原街道にはこうしたいくつもの難所が待ち構えています。まして雨や雪の日、霜解けの泥んこ道を抜けるのは並大抵
ことではありません。

 坂の手前に「おっぺし」という大人や子供が、よくたむろして
いました。農家の主人たちは彼らに荷車の後押しをしてもらい、ようやく坂の上に出る。そこで、幾ばくかのサービス料を支払うのです。トラック輸送時代の現代、こんな“珍商売”は想像もできません。



昭和39年5月、道中坂

坂の先は川崎市高津区久末方面。


写真左の現在
後方のトンネルの上は第三京浜高速道路です。
2013.7.14 
撮影:石川佐智子さん(日吉)






昭和39年5月、殿谷戸

道中坂下の東急バス折り返し所の向かい側のガソリンスタンド。



       写真左の現在

 写真左のガソリンスタンドは道路が拡幅されたため、すでにありません。
 2013.7.12 
撮影:石川佐智子さん(日吉)



昭和39年5月、早淵川の北川橋から上流を望む



    写真左の現在

 早淵川の川幅も拡張され、流れも直線的。大熊・東山田線の幹線道路が川を跨ぎ、新しい橋の新北川橋が架かっています。
 2013.7.12 撮影:石川佐智子さん(日吉)

NO.4 へ

TOPに戻る