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校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

MAP:東山田・南山田・北山田・大棚町地区

NO.2 へ

NO.1
山田地区で代々受け継がれる伝統行事
  南山田の虫送り
提供:小泉光秋さん(南山田町)


子供たちが集まると、お囃子連中が獅子舞を演じた後、お宮を右回りに3周回って行列は夕方5時、スタート!

 獅子頭とお嘲子を先頭に山田神社を出発します。

昭和
60年撮影






笛と太鼓に合わせて「テン、テン、ドン、ドン‥…、よ〜い、よい」の掛け声で中原街道を練り歩く。
 昭和
60年撮影



闇夜になると、130本もの松明(たいまつ)を手に手に持って子供たちが練り歩きます

 松明を持った百人を超す子供たちが笛と太鼓に合わせて「テン、テン、ドン、ドン……、よ〜い、よい」の掛け声で練り歩く。その距離は町内5キロ、3時間にも及びます。その光景は壮観で幻想的…、子供たちのよい思い出です。平成元年撮影

  「虫送り」とは

 夏の土用の日に子供たちが手に手に松明を持って村内を回り、害虫をよその村に追いやって村の豊作を願うという伝統行事。
 こうした由来は今風に言えば、極めて地域エゴ的な行事です。しかし都市化が急速だった現代では子供たちの思い出づくりと新旧住民交流の場となる重要な行事に変わっています。
 平成
4年に横浜市無形民俗文化財の指定を受けました。

  
      
三笠宮崇仁親王が隣町、大棚町の虫送りをご見学



昭和307月、ご来臨の三笠宮崇仁殿下が大棚町の虫送り行事をご見学

 その折、南山田の堀之内貝塚の発掘もご覧になりました。写真は左から関金三さん、大学教授、三笠宮殿下、伊東真−さん

 提供:関 岳夫さん(勝
田町)



三笠宮崇仁親王(みかさのみやたかひとしんのう)

大正天皇と貞明皇后の第4皇子、末っ子。
1915年(大正4年)12月生まれ、97歳。存命中の皇族の中では最年長者。昭和天皇の弟(14歳差)、今上天皇の叔父。歴史学者(専攻は古代オリエント史)













   
        その他の伝統行事
 
 
港北ニュータウンという大規模開発地域では、とかく新しいものが優先され、古き良きものが軽視されがちです。しかし都筑区内には先祖から連綿と受け継がれてきた伝統行事や民俗芸能が、21世紀の現代にしっかりバトンタッチされています。



     南山田のお囃子(はやし)

 昭和401月の獅子舞のとき。前列中央の洋服の人が当時の町内会長・織茂富雄さん
        提供:小泉光秋さん(南山田町)

 南山田町は町内を左右に昔の往還道の中原街道が走り、山田神社を町の中心に構え、南山田お囃子部の活動は活発です。今でもその祭礼や上記の虫送り、新春獅子舞や各種イベントに出動し地域にしっかりと根づいています。



北山田のどんど焼き

昭和60114日、北山田町内会主催のどんど焼き      提供:男全冨雄さん(北山田町)

 北山田では戦前までどんど焼きのことを「歳(せい)の神」といって各谷戸の辻で行っていました。旧年の御札やお守り、大掃除の煤竹(すすだけ)、新年の松飾り、書き初めなどを持ち寄って焼きます。各家庭で作った紅白のお餅の団子を枝に刺して、残り火で焼いて食べるとその年は健康で過ごせるという言い伝えがあります。



           北山田の富士信仰登山

 大正元年、北山田青年会の人たちが富士浅間神社に詣でたとき。前列右端が男全信一郎さん、右から4番目・男全正吉さん、5番目・栗原龍作さん、6番目・大嶋伊三郎さん 
  提供:栗原武夫さん(南山田町)

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