
平成25年、横浜博覧会会場からきたクスノキ
後方真ん中の木が山下小学校校庭に植えられた記念樹、クスノキ。校門に立つ山田 仁校長(右)と元同校校長・栗原茂夫さん(左)。
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平成4年校長赴任の翌年、山下小を去る時
離任式を終え、別れを惜しみ、栗原校長のもとに駆け寄る児童たち。
提供:栗原茂夫さん(港北区高田西)
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横浜博覧会会場からきたクスノキ
山下小学校元校長・栗原茂夫さん
副校長になったばかりのわたしがはじめて出会ったのが横浜市立山下小学校の子どもたちでした。平成元年の4月でした。
この年、横浜市は開港130年、市政100年という節目を迎え3月25日より横浜博覧会が開催されていました。「宇宙と子供たち」がテーマだったこともあり、市内の児童たちは皆ウキウキしていました。開催地から遠い緑区の学校ですが、山下小学校6年生の興奮は格別のようでした。手作りの神輿を先頭に山車を引いて博覧会の会場を練り歩くというイベントに直接参加できたからです。「市内で最も歴史の古い小学校」との理由から選ばれたと聞きました。
博覧会が閉幕したあと会場を飾ったクスノキが希望する学校に譲られました。九州あたりから会場に運ばれたとかで、さほど大きな樹木ではなかったのですが山下小学校の校門のそばに植えられました。6年生の「手作り神輿」を見物したかもしれないクスノキでした。
その後を確認したくて、先日久しぶりに山下小学校を訪れました。20年余の歳月のなかで、クスノキはしっかり幹を太らせ枝葉を繁らせていました。「手作りの神輿」で博覧会会場を沸かせたあのときの6年生たちも、いま目の前に観る貫禄のクスノキに負けないような立派な大人になって今を生きているのだろうな……さまざまな思いが交錯するなか山下小学校を後にしました。
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「編集室」からのお知らせ
ここに登場の栗原茂夫さんは、太平洋戦争の玉砕の島、サイパン生まれ。その少年時代は夜を徹し家族と逃げ惑う日々。そんななか、父は行方不明・弟二人が餓死。その悲惨な体験は、まさにドラマを地でいくものでした。
その模様を、栗原茂夫さんが当サイトの「ドキュメント 少年の戦争体験」で多くの写真とイラストで連載しています。どうぞ、ご覧ください。
また、栗原さんは次代を担う子供たちや地域の皆様に先の戦争を風化させないため、戦争の非情さ・残酷さをスライドショーで語るボランティア活動を各地で展開しています。
栗原さんのスライドショーを「見たい! 聴きたい!」お方、当編集室の岩田忠利までメールまたは電話でお知らせください。
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