
昭和35年9月、高架工事の中を進む“イモ虫電車”
緑の車体の電車は「イモ虫電車と言われ長い間親しまれてきました。いま都立大駅を発車して自由が丘駅に向かいます。
提供:粕谷商会(中根1丁目)
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昭和44年4月、八雲1丁目の呑川に落ちた車
運転手は近くに住む近藤常助さん(元自由が丘商店街振興組合理事長)でした。
当時呑川にガードレールがないため、大人や子ども、犬や猫までよく川に落ちました。いったん落ちたら大変、高い護岸壁はなかなか這い上がれません。
提供:前川正男さん(八雲1丁目) |
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昭和35年9月、高架工事が進む都立大学駅
右手は落成直後の丸八商会ビル。同ビル左手の平屋の建物が駅の改札口です。
提供:粕谷商会(中根1丁目)
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写真左と同方向、電車が高架を走る現在
提2013.5.4撮影:岩田忠利
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昭和43年、呑川橋から東横線を望む
東横線は以前、上の写真のように平地を走り、低い鉄橋で呑川を跨いでいました。大雨のときは呑川の流木がここでつかえて大きな堰となり、前面の家々は床上まで浸水しました。この氾濫と上の写真のような落下事故が頻発、結局呑川は地下に押し込められました。
提供:吉田信夫さん(八雲1丁目)
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写真左と同じ場所の現在
桜の木が生長し東横線の電車が見えなくなりました。
2013.5.4撮影:岩田忠利
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呑川橋の風景、昭和43年から59年間の変遷 |

昭和43年、呑川橋からの風景
川の両岸は氾濫に備えて高いコンクリート護岸壁です。
提供:吉田信夫さん(八雲1丁目) |
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昭和46年、地下に埋没する緑道工事
提供:吉田信夫さん(八雲1丁目) |
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写真左の現在
見事に育った緑道の桜並木。
2013.5.4撮影:岩田忠利
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昭和44年6月、目黒通り。歩道橋上から都立大学方面を望む
提供:前川正男さん(八雲1丁目)
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写真左と同じ場所からの目黒通り、現在
ビルの高層化が顕著ですね。
2013.5.4撮影:岩田忠利
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昭和48年、南口駅前の平町商店街通り
提供:五十嵐志津子さん(世田谷区尾山台)
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写真左と同方向の平町商店街通り、現在
2013.5.4撮影:岩田忠利
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都立大地区が「発祥の地」、4カ所
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昭和56年、八雲1丁目にあった東京都立大学校舎
校舎右側が柿の木坂通り。平成17年(2005)に東京都立大学条例の廃止によって公立大学法人首都大学東京が設置され、東京都立大学はその所管下になりました。所在地は多摩ニュータウンの八王子市南大沢。いまは駅名で名前だけが残っています。
撮影:「とうよこ沿線」編集室
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昭和57年、生粋の土地っ子、八雲学園
昭和13年生まれ、人間でいえば今年は75歳、後期高齢者になります。
提供:八雲学園(八雲2丁目)
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“世界のキヤノン”は呑川の端、中根2丁目で誕生!
昭和12年、精機光学工業鰍フ名でここで会社設立、昭和22年に「キヤノンカメラ」に商号を変更しました。名称の由来は、観音さまの「KWANON」が「CANON」になりました。で、キャノンではなく、大文字の「ヤ」で「キヤノン」です。
2013.5.4撮影:岩田忠利
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“全国信金の王者”、城南信金は碑衾支店が発祥地
平成13年まで預金高・支店数とも全国最大を独走していましたが、京都中央信用金庫が二つの信用金庫の事業を譲り受け、トップの座につきましたが、両者とも激しい首位争い展開中です。
平成3年撮影:岩田忠利 |
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八雲通り共栄会の皆様、本会主催ウォークラリーではお世話になりました!
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「とうよこ沿線」ウオークラリーは、東横沿線沿いに東京・川崎・横浜間32キロを大晦日の渋谷を出発しミナト横浜まで徹夜で歩き、ゴールで初日の出を見るイベントです。参加者は抽選で300名限定、それにスタッフ50名付き添い。道中、4ヵ所のチェックポイントでスタンプ帳にスタンプを押し休憩と茶菓子・飲み物の接待。スタート地点での到着順に1チーム25名編成、長い道中をお互いに助け合い、励ましあいながらゴールをめざします。
ゴールの山下公園・ザホテルヨコハマ(翌年は桜木町・伊勢山皇太神宮内のホテル)まで完歩したときの喜びは、一生の掛け替えのない思い出になったと大好評でした。
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八雲通りの「たい焼 富士屋」
都合3年3回、店主の平沼太平さんが汗だくになりながら参加者に鯛焼きを焼き続けご協力くださいました。
撮影:「とうよこ沿線」編集室
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平成2年大晦日、到着の一行の接待、八雲通共栄会の皆様
撮影:「とうよこ沿線」編集室 |
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