校正:石川佐智子/ 編集支援:阿部匡宏/ 編集・文:岩田忠利

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NO.13
明治・大正期の学芸大駅地区

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           106年前の碑小学校4年生


  明治40年(1907)5月29日、碑(いしぶみ)尋常小学校4年の進級記念


  当時の修学年限は4カ年、4年生が最上級生でした。児童は全員着物姿で全員がハカマをはいています。前列の児童がムシロの上に座っているのが印象的。左端の先生は、のち第23代と第25代の二度も校長に就任した“名物校長″宇田川定豊さん(鷹番小学校元校長・宇田川定男さんの父)です。
 碑小学校の歴史は古く、開校は教育令の発令の年、明治12120日。当時の校舎は碑文谷八幡の一部建物を改造したものでした。さらに同校には前身の寺小屋時代もあります。明治初年のころ碑文谷村字原に住む宮野弥五郎という人が近くの子供たちを自宅に集め読み書きソロバン″を教えていました。時の村人はこの先生を「原のお師匠さん」と呼び、尊敬していたといわれています。 

 
提供:鈴木繁光さん(碑文谷6丁目) 

★この写真は106年の歳月が経っています。よほど大事にされ、湿気の無い所に保管していたことがうかがえます。

    “大正ロマン”漂う写真ではありませんか?


大正7年村で一番早く自転車を買った人

当時高価だった自転車を19歳で購入した記念写真です。

 提供:根岸一彦さん(下馬6丁目)


大正9年、重い物を持ちあげて曲芸する「野沢組」チーム


 米俵1俵の17貫(6375kg4斗樽を写真右の人が素手で持ちあげると、それを左の人が2本脚の椅子のような用具の上にあげ、さらに持ちあげるのです。この野沢・下馬地区の力持ちの青年たちは荏原郡内の建前や婚礼に招ばれてはその技と力を披露しました。写真左側の人、オリンピックの重量挙げ選手並みの力持ちは下馬丁目の根岸造園先代社長・根岸良雄さんです。
写真左の自転車購入者の2年後。

  提供:根岸一彦さん(下馬6丁目)


大正9年7月、横綱級力持ちが持ち上げた力石″を神社に奉納

  麹町・浜町・羽根木・北沢・目黒・野沢など各地の力持ちが自分で持ち上げた力石(45貫<168.75k>〜26貫<97.5k>)を前にして。力持ち後列左端が写真上に登場の、屋号「水車」と呼んだ根岸良雄さん。
 提供:根岸一彦さん(下馬6丁目)



    大正1411月、碑文谷6丁目にあったポンプ汲みあげ式の洗い場


 寒風よけに稲わらで囲いをつくり、冷たい水作業の寒さを和らげています。前列の男の子が写真提供者の鈴木繁光さん。この井戸は、碑文谷6−7−14 の島内さん方に現存しています。
 
提供:鈴木繁光さん(碑文谷6丁目)