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昭和41年、東口が無い妙蓮寺駅
東口の人たちは駅前の踏切を渡らなければ電車に乗れませんでした。近年の東口開設は東口の人へのビッグプレゼント!
提供:押尾泰典さん(仲手原)
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昭和41年夏、踏切り番の小屋
妙蓮寺駅の下りホーム、お寺の前の踏切には遮断機を上げ下げする踏切り番・大平さんというオジサンがいる小屋(写真中央)がありました。
提供:押尾泰典さん(仲手原)
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昭和35年、綱島街道の現バス停「横浜盲学校入口」からの遠望
神奈川区松見町3丁目の風景。丘の下の農家のほかに新しい住宅が建ち始めました。妙蓮寺駅東口から数百メートル先、こちらも妙蓮寺駅の利用者で商店街のお客様です。
提供:押尾泰典さん(仲手原)
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写真左から34年後、昭和62年(1987)
住宅でびっしり埋め尽くされました。左の稜線上に鶴見区馬場町の水道タンクが見えます。
提供:押尾泰典さん(仲手原)
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昭和30年代の駅前通り
右側は田丸屋食料品店。左手前から八百謙・植寅・坂本駄菓子店・吉野屋文具・飯田屋酒店・だるまや・魚栄・中田歯科・金子履物店・横浜無線の順です。
提供:亀ヶ谷薬局(菊名) |
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写真左と同じ場所の現在(2013.2.25)
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昭和30年代の駅前通り(白楽寄り)
右側手前から森田葬儀店・風月堂・亀ヶ谷薬局・田丸屋食料品店が並び、左側は花梅です。
提供:亀ヶ谷薬局(菊名)
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写真左と同じ場所現在(2013.2.25)
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昭和23年、港北区内最古の精肉店「金子商店」
創業は昭和4年。お肉屋さんでは港北区内で最も古い店です。
写真は昭和23年の店頭。昭和13年にタイル貼りのまな板がある店頭に改装し、ハイカラな店と評判でした。右端が15歳のとき姉リンさんと二人で開業した金子定吉さん。
「将来は肉の時代」と見込んで開業してみたものの、肉を食材にする人が少なく、金子さんは綱島や鶴見あたりまでご用聞きに回ったりして苦労したそうです。
提供:金子定吉さん(仲手原)
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昭和25年、妙蓮寺駅前で開店した亀ヶ谷薬局
2代目の亀ヶ谷信之さんは薬剤師で、昭和25年、妙蓮寺駅前に薬局を開店しました。3代目の亀ヶ谷邦博さんもこの店で育ち、ただ今、㈱カメガヤの社長で横浜市・川崎市を中心にスーパードラッグストアのFit
Care DEPOT(フィットケアデポ)と、化粧品販売に特化したコスメティックメガストア musée de peau (ミュゼ・ド・ポゥ)の店舗ブランドでチェーン店を展開中です。
提供:㈱カメガヤ(新横浜)
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