校正:石川佐智子/編集支援:阿部匡宏/編集・文:岩田忠利

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NO.35  菊名の眺望(昭和29年〜昭和44年)


               昭和31年8月、本乗寺裏の高台からの眺め

 手前にお墓参りの女性、田んぼの中に東横線の電車、左手に高木学園の白い新築校舎、左右に戦後建ちはじめた市営住宅、左手丘の上に大倉精神文化研究所(現大倉山記念館)が見えます。
 定点撮影は高層ビルが林立して眺望を遮り、無理でした。
 提供:本田芳治さん(篠原北)


  昭和36年11月、大豆戸町の高台(現ヒルトップ菊名)から

 稲の取入れが終わった田んぼが大倉山まで広がり、丘の頂に大倉精神文化研究所(現大倉山記念館)が見えます。
 手前の集落の先、左に新横浜、右に東京を走る東海道新幹線の高架線工事が始まるという新聞記事を読みましたが、まだその兆候すら見られません。

 提供:本田芳治さん(篠原北)


     写真左と同じ方向の平成16年

 写真左から3年後、昭和39年開通の新幹線が写真中央の菊名ハイツの裏を走っていますが、建物が大倉山までびっしり埋まって見えません。
 撮影:宿崎貞夫さん(町田市成瀬)








 昭和31年8月、篠原北2丁目の高台からの横浜線沿線

 左手が表谷戸踏切付近。左が菊名駅、右が新横浜駅方向。一面が田畑と林の田園風景の中に宅地が点在しています。右後方は篠原町。

提供:本田芳治さん(篠原北)


 写真左から38年後の平成6年の同じ場所の風景

 丘の稜線まで建物、横浜線の線路も建物に埋まって見えません

 提供:本田芳治さん(篠原北)


 昭和36年11月、篠原2丁目の丘の上から横浜線菊名駅を望む

 右手後方の丘陵地が昭和初期開発の錦が丘、左後方が東横線。横浜線ホーム沿いに朝日生命ビル、住宅地の中にウエストモール街の前身である西口マーケットがすでにできていました。

 提供:本田芳治さん(篠原北)


  写真左と同じ場所から見た平成6年4月

 中央左右に屋根付きの横浜線ホームが見えます。
 提供:本田芳治さん(篠原北)







   昭和29年2月、篠原北1丁目と2丁目

 東急は昭和28年に表谷地区を「菊名第2分譲地」として売り出しました。写真はその分譲地から北西方面を望んだもの。中央を走る横浜線の電車が「表谷戸踏切」にさしかかり、菊名駅に向かっています。

 提供:本田芳治さん(篠原北)



    写真左と同方向の昭和62年1月

 中央にカトリック教会が写っていますが、横浜線は民家の陰に隠れて見えなくなっています。
 提供:本田芳治さん(篠原北)










            昭和35年1月、菊名駅西口

 中央の菊名駅は盆地の中。中央後方の森は蓮正寺の森。その先の稜線は鶴見区上の宮の森や住宅です。
 横浜線沿いに木造の小さな店が並んだ菊名西口マーケット。左手の横浜線ホームの下には東横線と横浜線の連絡引込み線が見えます。ここにはSLに引かれた貨物列車や回送列車が通っていました。
 提供:本田芳治さん(篠原北)


写真左を同じ場所から見た平成6年

中央の森は蓮正寺境内です。
提供:本田芳治さん(篠原北)














         昭和29年2月、二つの菊名駅

 
右手後方に国鉄(現JR)菊名駅ホーム、お風呂屋の煙突の向こうに東横線菊名駅ホームが見えます。その後方左上の森が蓮正寺です。
 提供:本田芳治さん(篠原北)


  昭和44年4月、駅構内の売店と連絡階段

 この写真は菊名駅構内の情景です。今はコンコースでつながっていますが、当時は改札口を入り、横浜線と東横線の上りホームへ行くにはこの階段を登って行きました。春4月になると毎日桜のトンネルが乗客の目を楽しませてくれたものです。

 提供:本田芳治さん(篠原北)








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