昭和36年7月、稲田の共同消毒作業

 場所は一本杉付近(現新横浜1丁目)で稲田の消毒を農家の皆さんが共同で行なっています。後方は左右が横浜線です。現在地は環状2号線と高層ビル群で景観が一変しています。
 提供:高橋 稔さん(岸根町)




  昭和37年、収穫を終えた農家の晩秋の庭先

 縁側にメジロの鳥篭が吊るされ、庭に稲の掛け干しの竹、放し飼いのニワトリ、縁側に学校から帰った長男・稔さん、玄関先に実さんの母親の姿……。実りの秋の、のどかな光景です。
 提供:高橋 稔さん(岸根町)
 

   写真右上の家が新幹線高架下に当たり、解体に


写真右上の高橋萬蔵家が翌年、38年解体工事

 母屋が新幹線の高架下に当たり、長年住み慣れた屋号「はずれ」の家を取り壊して引っ越すことになりました。

 提供:高橋 稔さん(岸根町)


  写真左の同じ場所の現在(2013.2.27)

 左手は新幹線の高架。高橋萬蔵さんの家の“蔵の跡”は長男・高橋 稔さんが「クラアート21」という新横浜陶芸教室と陶芸館などにして陶芸愛好家の殿堂になっています。
 撮影:岩田忠利


  


昭和37年7月、日陰山から望む新幹線工事現場

 右手が新幹線工事現場、左の建物は小山工業所(現ソシア21)、その前の道が旧道の上麻生道路で、すぐ左先が現在環状2号線との交差点「岸根」です。後方の丘は新羽町、大倉山方面。
  提供:高橋 稔さん(岸根町)
 


写真左の平成16年の同方向の景観



 
       
          上麻生道路の新設工事


 昭和38年、上麻生道路の新設工事現場

 左手の森の辺りは現在レストラン藍屋、後方が地下鉄「岸根公園駅」

 提供:高橋 稔さん(岸根町)


写真左と同方向を望む現在

 右車線の渋滞は、すぐ先の岸根交差点から連なっています。
 撮影:岩田忠利






 

  現在の岸根公園になる前の米軍基地


昭和38年2月、有刺鉄線の向こう側は米軍基地

提供:橋本公平さん(神奈川区六角橋)


   昭和48年8月、米軍の岸根基地返還式

 この返還式を行なっている場所は、現在岸根公園の野球場です。
 提供:海老沢一夫さん(岸根町)



   昭和39年、新幹線開通当時の八軒谷戸

 中央後方に新幹線高架。右手山裾の茅葺きの家は屋号「枇杷橋(びわばし)」の岩田鉄夫さんの家。
提供:高橋 稔さん(岸根町)



写真左と同じ場所から見た平成16年
撮影:岩田忠利


昭和41年、小机町打越の丘から望む新横浜方面

 手前は鳥山町の城郷小学校、右手の森が三会寺。田んぼの中に新幹線が走り、その後方の丘は右手が岸根町、左手が篠原町です。
 提供:堤 光治さん(小机町)



 写真左の38年後、平成16年の同じ場所の光景

 新横浜の高層ビルが林立し、まさに横浜副都心が忽然と現れたかのようです。
 撮影:岩田忠利


 昭和46年、鳥山町の八幡宮から東方を望む

 中央は周囲の水田より2メートルほど高い地形で「島」と呼ばれた三会寺の境内。三会寺は洪水時、その地形のために近隣住民の避難場所でした。その後方の家並みは上麻生道路沿い。左上の丘は新羽町。
 提供:安藤尊仁さん(鳥山町)




     写真左と同方向の平成13年

 中央の三会寺の森の後方に新横浜の横浜労災病院と横浜総合競技場が見えます。
 撮影:岩田忠利


    昭和57年、遺跡の発掘現場

  この遺跡は岸根高校建設用地付近で発見されました。この場所で古墳時代や律令時代の竪穴住居跡が数多く見つかり、「岸根山王山遺跡」と名づけられました。
 
提供:伊藤義雄さん(岸根町)


写真左の現在地、県立岸根高校のキャンパス

撮影:石川佐智子さん(日吉)

           小机駅がこんなに綺麗になりました!


       昭和51年6月当時の小机駅

 写真の駅舎は大正12年9月の関東大震災で旧駅舎が倒壊し大正14年に新駅舎として建てられたものです。1番線のある単式ホームの脇、南口にあたる場所にありました。
 当時単式ホームから島式ホームへは、ホームの東神奈川方向にある1本の跨線橋で結ばれていました。また、駅の北側から駅構内に行くには、駅から離れた踏切を渡らなければなりませんでした。跨線橋にエスカレータなどは無く階段だけで、駅の南側と単式ホームの間には段差がありませんでした。1998年(平成10年)10月から橋上駅舎の使用が開始されたため、この木造駅舎は撤去され、また、跨線橋も無くなりました。
  撮影:千原康夫さん(神奈川区神大寺


写真左の現在の小机駅。21世紀にふさわしいモダンな駅舎になりました。
 撮影:石川佐智子さん(日吉)





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校正:石川佐智子/編集支援:阿部匡宏/編集・文:岩田忠利

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NO.31  城郷の情景、昔と今U(昭和37年〜51年)