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昭和29年、マラソン大会
城郷、新治、大綱などの各地区対抗のマラソン大会。選手が上麻生道路の岸根山王下にさしかかり、伴走のトラックに乗った監督らが声援を送っています。
提供:伊藤義雄(岸根町)
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写真左と同じ場所、岸根山王下の現在(2013.3.11)
上麻生道路は拡幅され交通量が激しい幹線道路に。後方は東神奈川方面、右後方が地下鉄「岸根公園駅。
撮影::石川佐智子さん(日吉)
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昭和28年の篠原谷戸
後方丘の下の道は、現在の地下鉄「岸根公園」から新横浜駅前の篠原口へ抜ける古道「坊海道」と呼ばれた道。本サイトのNO.25に「牛がいた道」です。
写真手前の水田一帯は現在「しのはら幼稚園」、丘も平地も住宅で埋め尽くされています。
提供:伊藤義雄さん(岸根町) |
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昭和29年、“川さらい”に集まった岸根の人たち
地域を流れる川、その底に堆積した泥や流木、ゴミなどを取り除く作業を「川さらい」と言い、各家から一人ずつ出て、その清掃作業を定期的に行ないました。
提供:高橋稔さん(岸根町)
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昭和30年代、小机城址・城山隧道上から横浜線
後方は鴨居駅方向。右上の橋は鶴見川に架かる川向橋です。
提供:佐相政雄さん(日吉本町) |
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写真左を隧道の右上から撮影した平成13年
右後方のマンションは鴨居です。
撮影:金森長保さん(神奈川区菅田町)
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昭和33年、小机町の土井谷戸
右手の階段を上ると土井の神輿倉、その先の建物は土井町内会館です。
提供:堤雅行さん(小机町) |
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写真左の平成13年、同じ場所
宅地化が急速ですが道筋は変わらない。
撮影:岩田忠利 |
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昭和33年3月、5万1千坪余の岸根米軍基地
岸根町と篠原町の5万1千坪余の土地に米軍兵舎が建ち住民を驚かせたのは昭和30年4月のことでした。通称「岸根キャンプ」といったこの基地には兵舎や休養施設が建っていましたが、ベトナム戦争の拡大で昭和40年12月から第106陸軍総合病院となりました。
提供:伊藤義雄さん(岸根町) |
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昭和35年横浜線の線路脇に生えていた乞食松
この松の木は鳥山川の河川改修で伐採され現在はありませんが、天保の大飢饉で餓死して無縁仏となった人々を供養するため村人がお地蔵様を建て、松を植えましたた。
ここにお粗末な格好の信仰心篤い僧侶が住みついていたので、鳥山川端に一際目立つこの松を村人は「乞食松」と呼ぶようになりました。
提供:矢沢清子さん(鳥山町)
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