
明治44年、小机町・堤 繁蔵家の家族と近所の皆さん
中央で懐に手を入れる人はこの写真提供者・雅行氏夫人・かをるさんの高曾祖父・繁蔵さん、右端が学生時代の祖父・増太郎さん。
提供:堤 雅行さん(小机町) |
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写真左の堤家の門と母屋 昭和32年撮影
この茅葺きの母屋は昭和36年に瓦葺きに増改築しましたが、間口8間、奥行き5間の構造は明治期当時のままです。
提供:堤 雅行さん(小机町)
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大正期のお米屋さん、江戸屋精米所
明治時代、すでに「鳥山の江戸屋精米所」と知られ、米・肥料・炭を商っていたそうです。店主は右端、金子伴次郎さん(写真提供者・金子寿二さんの曽祖父)。現在も鳥山町の上麻生道路で江戸屋食糧汲フ店名で営業しています。
撮影年代が不明ですが、自転車が写っている年代からみて、大正期の写真と思います。
提供:金子寿二さん(鳥山町)
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「城郷(しろさと)」とは
「城郷(しろさと)」とは、小机城があった里が名前の由来。
明治25年から昭和2年まで橘樹郡の村名「城郷村」となっていました。この村は小机・鳥山・岸根・下菅田・羽沢・ 三枚橋・片倉・六角橋・神大寺の9大字からなっていましたが、昭和2年に横浜市に編入し村名は消えました。
現在行政区が港北区であるのは小机町・鳥山町・岸根町の3町。ほか6町は神奈川区です。
なかでも小机町・鳥山町・岸根町の3町は、上麻生線の街道筋に位置し、横浜線沿いの隣接地域、学区も昔から城郷尋常高等小学校で、今でも人的交流が盛んです。この三つの町を地区別では「城郷地区」呼んでいます。 |
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献上米の抜穂式
大正3年秋、岸根の屋号「寺の前」と呼ばれる市川良亮さん(市川渉さんの曽祖父)宅の稲田が選ばれ、稲刈りをする前の式典「抜穂式」の光景です。
田んぼのなかに祭壇、その前に神官、後方に白装束の男の子5〜6人と大人が整列。この儀式を見守る役人や村の人たちが写っています。
献上米の指定は国、県、橘樹郡が篤農家の中から厳選するもので、大変名誉なことです。当サイトNO.16で昭和5年に都筑郡新田村の加藤昌之助家(加藤清明さん祖父)の写真もご覧ください。
提供:金子寿二さん(鳥山町)
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大正12年9月、関東大震災の現場、綱島・旧大綱橋際
大きく口を開けた地割れが地震の凄さを物語っています。正面の「やまじょう」という印半纏(しるしばんてん)の人は池谷材木店の池谷長次郎さんで、正面に大屋根が見える店「桐谷」の主人です。
提供:堤 雅行さん(小机町)
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大正13年10月、城郷高等尋常小学校の運動会
提供:堤 雅行さん(小机町)
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大正13年10月、同運動会で高等科女子のダンス
提供:堤 雅行さん(小机町)
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大正期、城郷高等尋常小学校の校舎
提供:堤 雅行さん(小机町)
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校内にあった養兎舎と鶏舎
提供:岩田秋正さん(岸根町)
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