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昭和32年、大〜きな日吉団地が建つ
前方、松の木の向こうの白い建物は、日吉団地57号棟。右手の道にはまだバスが開通していない。
撮影:田邊雅文さん(下田町 |
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写真左と同方向を平成7年に望む
撮影は日吉第2ハイムB棟屋上から。バス通り沿いは下田商店街となり、手前右の白い四角のビルが城南信用金庫、左隣はコープかながわ下田店.
撮影:岩田忠利
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昭和33年、下田に美少女がいるバス路線が開通
「日吉のチベット」などと揶揄されてきた下田町に大きな日吉団地が出現、急増した入居者の足として日吉駅から日吉団地までの路線バスが走るようになりました。写真は一面の田んぼや森が広がる田園風景の中を走るバスですが、じつは、このバスの車掌が「妖精を思わせる美少女」と乗客の“話題”になりました。
私の知人でプロ野球実況のアナウンサー・島 碩弥(ひろみ)さんは独身の頃、日吉団地に住み、彼女見たさに毎朝このバスで出勤したそうです
撮影:田邊雅文さん(下田町)
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写真左のバスの車掌だった浜 美枝
彼女は川崎市立中原中学校を卒業後、就職したのが東急バス武蔵小杉営業所。最初の配属が日吉駅〜日吉団地間の車掌乗務でした。
のち、その抜群のスタイルと美貌は映画会社「東宝」の眼に留まり、東宝側が東急バス会社と話をつけ、車掌から2年後には映画「若い素肌」で映画デビューしています。映画「007は二度死ぬ」でのショーンコネリーとの共演で活躍するなど、多面的活動は皆さま、ご存じのとおり。
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昭和33年、日吉団地のバス折り返し所
昭和32年11月、下田町の丘陵地を開発して日吉団地が完成、第1次入居が始まった頃は、バスも小学校もありませんでした。バスが開通し、主婦は駅前周辺での買い物や医者通いが便利になったと喜んでいます
撮影:佐相政雄さん(日吉本町1丁目)
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現バス折り返し所。写真左の場所ではない(?)
右手の建物は、所在地が日吉本町6丁目にある“下田交番”。向かい側が下田町4丁目で、バス停「サンヴァリエ日吉」です。
撮影:岩田忠利
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昭和23年、米兵の「カマボコ兵舎」
現在のショッピングセンター・アビタの土地は、戦時中、軍需工場だった岡本工作機械製作所(本社・群馬県安中市)で陸軍が駐屯し写真の建物を兵舎として使っていました。敗戦後、同社の建物は米軍に接収され米兵兵舎となり、その形がカマボコに似ていることから「カマボコ兵舎」と呼ばれていました
撮影:佐相政雄さん(日吉本町1丁目)
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昭和25年、日大高校前の木橋
撮影:佐相政雄さん(日吉本町1丁目)
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昭和23年、新川で魚捕り
場所は現日吉・元石川線の綱島街道の交差点付近。子供たちの頭上は、綱島街道の地下に埋没してある水道管です。
撮影:佐相政雄さん(日吉本町1丁目)
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引き上げた網を覗き込む子ら
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昭和38年の宮前十字路
開通前の新幹線軌道上から撮影。後方、中央が箕輪町の日大高校。右上方向が現在アピタ。
撮影:川田 需さん(日吉本町3丁目)
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昭和39年10月1日、東海道新幹線開通!
手前の線路は箕輪町内の東横線の線路。右上の建物は松下通信工業梶Bその上を東京駅に向かう新幹線
撮影:川田需さん(日吉本町3丁目)
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