NO.7 | 日吉本町、日吉町の点描 |
校正:石川佐智子/編集支援:阿部匡宏/編集・文:岩田忠利
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矢上の古老、松井武夫さんの昔話 観音松の不思議な話 村人自慢の樹齢700年の松 観音松は、すぐ近くに観音寺というお寺があったので、みんながいつしか「観音松」と呼ぶようになりました。樹齢700年のその松の木は、それは、それは太くて高いものでしたよ。村人のだれもがそびえ立つその雄姿を自慢していましたねえ。でも、ひとたび枯れてしまったら、村人は近寄ることも触ることもしなくなってしまったのです。それはなぜかといえば、「バチでも当たったらいけない」と恐れて……。 切り倒した松の木のウロの中に大きなウナギが…… 昭和24年のこと、ついに立ち枯れてしまった観音松を切り倒すことになりました。頼まれたのは、慶応義塾が日吉に移転する前までは「日吉村」だった北加瀬、今は川崎市幸区北加瀬ですが、そこの若い男3人……。そして、3 ![]() 松は二股に分かれ、そこが大きなウロになっていて、中には水が溜まっていました。よく見ると、水中で何やら“動くもの”が……。木こりの一人が恐々(こわごわ)手を入れてみると、いやはや、大~きなウナギがニョロニョロ! 陸の上に生えてる松の木にウナギが棲んでいたなんて、とても信じられない話ですよね~。でも、これ、本当の話なんですよ。これは、だれかが川で捕ったウナギをこのウロに投げ込んで飼っていたのかも……。それとも、このウナギは観音様の化身だったのかも……。 |
あの若い木こり3人、その後次々病死 さらに無気味なことが起きました。あの北加瀬の木こり、若い男3人がそろいもそろって、数年の間に病気で次々死んでしまったのですよ~。 それにしても不思議なことがこの世には起きるもんですね~。でも、これはたまたま3人が偶然の運命だったのかも……。いや、観音松を切り倒した天罰なのか。はたまた、あのウナギの怨念だったのか……。 あの木こり3人を私は昔からよく知っていますが、まだ健在なら私よりもず~っと若い年代ですよ~。 ここに南関東で最古の「観音松古墳」があった ウナギの話から11年前、昭和13年のことです。慶應大学三田史学会が観音松が生えている所を発掘調査したんです。この場所は矢上川の川岸にあり、昔から矢上川は蛇行が激しい川で有名でしたが、水害防止のために河川改修して水が真っ直ぐ流れるようにしたんです。でも、ここだけは今も90度に急カーブして南下する特別な場所です。大学では、おそらくこうした特徴ある場所だから、先人が住んでいたのだろう、と予測したんでしょうねえ。 案の定、4世紀から5世紀初期の“前方後円墳”、長さ90メートルが発見されたのです。また、そこから鏡、銅や矢じり、碧玉製紡錘車や玉類、直刀やガラス玉など、ゾクゾク出てきました~。発掘現場がわが家の近く、私は何度も見に行きましたよ。 結局、出土品から南関東地域で一番古い古墳であることが分かり、「観音松古墳」と名づけられました。 この古墳跡はいま、矢上の子どもが通う矢上小学校となっています。 |
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