題字:新舟律子/ロゴデザイン:配野美矢子/校正:石川佐智子/編集支援:阿部匡宏/編集・文:岩田忠利

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NO.4  南日吉、半世紀前の話 (そのT)
撮影者・話す人 川田 需さん(日吉本町3丁目)  平成元年、79歳で他界。昭和55年、沿線誌『とうよこ沿線』3号に70歳のとき登場し、取材者の私に昔の南日吉の興味深い話をたくさんされました。歯科医のかたわら、休日には趣味の写真撮影に自転車で走り回り、日吉周辺の風景を撮り続けました。

     昭和25年当時の南日吉



    昭和25年(1950)の赤門坂

 竹林と樹木に覆われ、昼なお暗い急坂でした。大雪の日は雪の重みで折れ曲がった竹が道をふさぎ、凍てつく朝夕の急坂は滑り台と化し、子どもやお年寄りは通れませんでした。



左写真の現在、同じ場所


撮影:岩田忠利








昭和25年南日吉一面の田んぼ、右手に鯛ケ崎の丘、後方に新吉田方面を望む

 左手の田んぼの中に日吉台中学校の校舎が見えます。春は麦や草木の緑が萌え、草花が咲き、夏はカエルの大合唱、秋は黄金を敷きつめたような稲穂、冬は稲穂の切り株に綿菓子をかぶせたような雪景色……。この四季折々の風情も時代とともに消え去り、一抹の哀愁を感じずにはいられません


昭和25年、田んぼの中に建った日吉台中学校

日吉台中学校は田んぼの中にポツンと建っていたので「田んなか中学」と地元で呼ばれるほど目立つ存在でした
 撮影:岡田和子さん(日吉本町5丁目)








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 川田 需さんの話
「日吉村の頃」


 
 わたしの子ども頃は、この辺一帯、現在「日吉本町」と名がつく所は「日吉村大字駒林」と呼んでいました。
 当時の日吉村は、いまは川崎市の区分となっている南加瀬、北加瀬、鹿島田、小倉の4部落と、横浜市区分となった今の「日吉町」と呼ぶ矢上、うちの駒林、それに下田、箕輪の4部落
で、全部で8部落なりたっていました。
 
 2年間歩いて通った幸区南加瀬の日吉尋常高等小学校

 子どもの頃の学校はいまの日吉台小学校を「駒林尋常小学校」といって、ここに通いました。でも、ここには高等科が無く、村に高等科がある「日吉尋常高等小学校」へ進学しなければならない。しかも、「日吉」と名前がついていますが
それは今の「川崎市幸区南加瀬」なんですよ。私もそこまで毎日、雨の日も雪の日も2年間、下駄や草履を履いて通いました。もちろん、歩きですよ。

 自給自足の生活と、“にわか魚屋”

 当時はほとんどの家が農家でした。商売をやって家なんかは、職業で呼んでいましたねえ。車屋というのは人力車夫の家、篭(かご)屋、桶屋、傘屋、紺屋とか染物屋なんて。
 どの家でも味噌や醤油などは自分の家で作ったものですよ。で、日吉には味噌や醤油を売っている店はありませんでしたよ。食べ物はほとんど買わずに済みましたねえ……。だって、米や麦、穀類の大豆、小豆、野菜なんかはあるでしょ。季節ごとに果物はカキ、クリ、イチジク、モモ、それにスイカ畑があったりして……。生活は自給自足でやるもんだと思っていましたね。
 

 
子どもの頃のお小遣いなんて、もらっても買うものがなかったからねえ。毎年暮れに搗(つ)く寒餅を加工して食べたり、ダンゴを作ったり……。牛肉なんか親父が川崎の郡役所へ行ったとき、タケウチという牛肉屋で買って来たときくらいでね。
 
 お祭りのときになると、村の人が“にわか魚屋”になって魚売りに来る。あの家のあの人から義理でカツオを買う。また、別の家の人がカツオを売りに来る。それもまた、義理で買う。そんなこんなで、お祭りが終わっても幾日も幾日も、カツオの煮物ばっかり……。

 大震災の前日、75キロものウナギが捕れた

 魚といえば、忘れられないことがありますよ。うちの近くに「四畝堀」という小舟でないと田植えができない沼地があってねえ。そこで村の連中が集まって“かい捕(ど)り”をしたんだよ。すると、ウナギが20貫(約75キロ)も捕れた〜! それを村中に分けたけど、まだドッサリ残った……。
 翌日の昼飯に家族が「さぁ、ウナギでも食べよう!」という時です。ガタ、ガタ、ガタ……。天地がひっくり返るようなあれですよ。例の関東大地震、大正12年(1923)9月1日! 

 不思議なんですよねえ、ふだん一匹も釣れないウナギがあの日に限って……。忘れもしませんね。あの日、午前中は、かなりの雨が降ったと思ったら、お天道様が照ったりして、その後、大地震でした。子供心にも、ウナギもナマズと同じで、地震を予知する能力があるのかと思いましたよ〜。
 「昼飯のウナギ、どうしたか」って? いや〜、食べるどころの話じゃないですよ。あんまり大きな地震で、びっくりしちゃって……。昼飯のあのウナギ、どうしちゃったんですかねえ? 地震の記憶が強烈すぎて、思い出せませんねえ!