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昭和48年5月、西口駅前
イチョウの木、下りホームと東口へ渡る跨線橋、下田町や日吉団地方面行きのバス発着所。左手に交番の一部が見えますが、その真ん前に駐車する自家用車、立ち話のエプロン姿の女性がいる長閑な駅前風景。
撮影:佐相政雄さん(日吉本町)
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昭和56年当時の日吉駅
沿線雑誌『とうよこ沿線』第8号表紙絵。漫画家・井崎一夫作。当時の駅舎は木造の平屋でした。
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昭和25年、日吉のシンボルツリー、一本松
撮影:佐相政雄さん
日吉駅前といえば正面の大きな松の木、「一本松」が有名で、住所に「字一本松」と字名が入っていました。その松の木は石川薬局(現成田花店)と遠山洋服店(写真中央。現ミスタードーナツ)の前あたりにありました。
写真手前の掲示板は、現在のタクシー乗り場の所です。
(文 尾嶋万里子)
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写真左の現在地
「一本松」は右手の花店「成田花店」とミスタードーナツ(遠山洋服店)との間、その前にありました。
2013.11.13 撮影:岩田忠利
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昭和35年のバス通り(現浜銀通り)
車や通行人も少なく、駅前から見通せました。
撮影:佐相政雄さん(日吉本町)
この写真の昭和35年(1960)当時、私はまだ独身の22歳。家族は目黒の碑文谷に暮らしていましたが、昭和27年暮れ、日吉の現サンロード入り口付近に引き越してきました。ここで全くの素人の母親がお汁粉の店「山茶花」と当時日吉に多かった麻雀店「レインボー」を始めました。
その母の店は、引っ越した当時は隣が洋書でおなじみの丸善でした。その先は数年前まで続いていた鶏と鰻の富士屋、主人亡き後、今も奥様の経営でがんばっているオバタ金物店があります。
横浜銀行日吉支店が日吉初の銀行として開業したころは、日吉駅前に定期的にバス内で営業していました。左入り口の亀屋万年堂と2階の喫茶店「コリーヌ」、その隣の店が学帽などの帽子店、その先が山村書店。左側の入り口の石川薬局は、石川ハナさんが日吉台小学校の教師と横浜市会議員とを兼務しながら切り盛りしていました。その先は不動産屋、宮坂肉店、福島果物店・八木医院などが並んでいました。(文・尾嶋万里子)
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写真左の現浜銀通り(バス通り)
2013.1月 撮影:岩田忠利
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昭和24年、横浜銀行進出前の通り
上の写真はまだバスも通らず、浜銀もない。駅前に数軒の家があるだけ。通勤通学者はみな駅まで歩いていました。右手に「クスリ本町」のネオンが・・・。
撮影:佐相政雄さん(日吉本町)
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写真左と同じ場所、現浜銀通り(バス通り)
2013.1月 撮影:岩田忠利
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昭和37年の中央通り
両側にイチョウの街路樹があり、四季の移ろいを告げたもの
です。駅前に郵便ポストがあり、中央通り左入り口に只見陶器店・アライ靴店、右入り口に荒木果物店・小泉靴店・鶴屋支那ソバ屋・恵比寿や(現ファミリーマート)などが並んでいました。 (文・尾嶋万里子)
撮影:佐相政雄さん(日吉本町)
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写真左の現在の中央通り
2013.1月 撮影:岩田忠利
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昭和29年、中央通りを人糞を入れた樽を積んだ
牛車が横切る
中央の二木書店の所は現在クリーニング店。昭和三十年代初めの頃までこうした荷物を運ぶ牛車や馬車が見られました。軽めの荷物は天秤棒、、重いものは大八車や牛車、馬車でした。
撮影:佐相政雄さん(日吉本町)
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写真左の場所、現中央通り
2013.1月 撮影:岩田忠利
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昭和9年、日吉へ来たイチゴ狩り一行
この写真の手前は右の写真のとおり現在サンロード入り口のアーチがあり、左の森は商店街の駐車場になっています。
提供:加藤秀雄さん(日吉2丁目 |
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写真左と同じ場所の現サンロード
森だった左手が現在商店街の駐車場です。
2013.1月 撮影:岩田忠利
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