校正:石川佐智子/ 編集支援:阿部匡宏 /文・編集:岩田忠利

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NO.20 日吉村高等科のある小学校、日吉尋常高等小学校

       平成25年、創立140年を迎えた日吉小学校


  昭和4年(1915)、日吉尋常高等小学校校舎

 校舎の裏に大木がそびえ立ち、校庭右手にはロクボクが。
 
提供:深瀬蓉子さん(南加瀬)
 
 この学校の歴史は古く、前身は明治6年(1873)南加瀬130番地に第154番小学校寿静学舎として発足し、昭和7年(1932)に日吉尋常高等小学校として開校しました。
 日吉村時代、現在の横浜市港北区の日吉地区唯一の小学校である日吉台小学校(当時の校名・駒林尋常小学校)には高等科が無かったため、高等科進学者はこの小学校の高等科に入学し、2年間、徒歩通学しました。



    写真左の日吉小学校の現在(2013.3.16)

 屋上に「平成25年 創立140年 川崎市立日吉小学校」の大きな標示板が掲げられています。
 撮影:石川佐智子さん(日吉)







                先輩在校生の“活動報告”



    昭和4年、男子には“縄ない”の実技を教えました

 縄は農家の必需品。農家の子弟が通うこの小学校では写真のように縄ないの実技も。

 提供:深瀬蓉子さん(南加瀬)


昭和4年、女子には裁縫や礼儀作法の授業
提供:深瀬蓉子さん(南加瀬)



    昭和4年、図画の時間に校門前で写生

 後方の鳥居は小倉の杉山神社。男女共学のクラスのようですが、カスリの着物で下駄履きの男の子は右側に、おさげ髪の女の子は左側にかたまっています。

 提供:深瀬蓉子さん(南加瀬)


    写真左の石の校門、現在(2013.3.16)

 平成2年に日吉小学校の新校舎落成を記念し正面玄関前に設置されました。
 撮影:石川佐智子さん(日吉)



          昭和4年当時の教職員

 前列右端の教員は地元の長弘寺・住職の広瀬豊春さんで、児童の間では「優しい先生」で通っていました。前列左から2番目の若い教員も地元の人で、屋号「長屋門」の深瀬四郎さんです。
 提供:深瀬蓉子さん(南加瀬)


昭和14年、日吉国民学校(現日吉小)時代の運動会

奉安殿が正面玄関の脇に見えます。
提供:深瀬蓉子さん(南加瀬)




戦時中の昭和17年、加瀬山グラウンドで運動会

写真の現在地はJR東日本の社宅になっています。
提供:深瀬蓉子さん(南加瀬)






     昭和13年、日吉小と併設の日吉青年学校

 運動会の開会式風景。手前は兵隊ではなく男子生徒。後方は袴姿の女子生徒です。
川崎市立日吉青年学校は日吉小学校内に併設されていました。入学資格は日吉小学校の高等科を卒業した者で全日制と夜間部制の二部制で、3年課程。生徒数は男子30名、女子17名でした。
 提供:三橋泰子さん(南加瀬)



     昭和13年、男子は軍事教練

 軍隊さながらの厳しい軍事教練が連日続きます。休憩中のひとコマ、右端が教官。

 提供:三橋泰子さん(南加瀬)




  昭和13年、女子生徒の活け花の授業

 裁縫の授業のほかに松原秀治先生(写真、右端の人。現中原区今井南町)指導の活け花の時間もありました。
 提供:三橋泰子さん(南加瀬)

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