
昭和11年,中原高等女学校の校舎一部
中原高等女学校は現在の大西学園の前身で、川崎市内を中心に多くの堅実な子女を社会に送り出しました。
戦前、神奈川県下の女学校では生徒数が第2位を誇り、とくにブラスバンドは全国でも陸軍戸山学校軍楽隊に次ぐ有名な学校でした。
以下の写真提供:石野(旧姓島田)ユキさん(井田中ノ町)
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掲載場所の略図
イラスト:石野英夫さん(井田中ノ町) |
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昭和11年5月、中津渓谷へ旅行のときの先生がた
女の先生方の服装にご注目を! 斜めにかぶった帽子、ロングスカート、当時の流行の先端をいったもの。
前列左から2番目が元大西学園長の大西もとへさん。後列左から3番目の人がお元気な頃の大西浩太校長(創立者)。
大西校長のエピソードをひとつ。昔の武蔵小杉駅近くにはよく“追いはぎ”が出没。校長もよく追いはぎに出遭いました。ところが、太っ腹で情にもろいこの人は、賊を家に連れてきて風呂に入れ、食事を与え、小遣いをあげました。そして諄諄と説教して帰してやったということです。
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昭和11年、校舎の前の田んぼで苗取り
大西校長の教育方針の一つは土に親しむ情操教育にあり、「お米がどのようにできるのか」その体験実習が教科の一つでした。苗取り、田植え、草取り、稲刈り、脱穀、そして収穫したお米での餅つきなどを全生徒に体験させました。
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稲刈りの実習
右端の道路に立っているのは先生。生徒が稲を刈っている現在地は交通渋滞の難所、府中街道と綱島街道が交わる市ノ坪交差点のガソリンスタンドあたり。後方の田んぼは現在不二サッシ本社工場です。
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写真左と同じ場所の現在(2013.3.17)
市ノ坪交差点きわ。道路は府中街道、その先を左右に綱島街道が走っています。
撮影:岩田忠利
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学校の農園で全校生徒による田植えの実習
後方中央に身支度用の大きなテントが見えます。現在地は東横線武蔵小杉駅から2、3分、現在の法政通り商店街の脇道を入った所です。左後方の茅葺き屋根の家は市ノ坪87番地、鈴木清一さんの家。
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昭和15年秋、刈り取って乾燥した稲を脱穀する実習
提供:後藤節子さん(藤沢市辻堂)
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