校正:石川佐智子/ 編集支援:阿部匡宏 /編集:岩田忠利

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NO.2
昭和10年代、戦時下の元住吉


昭和10年頃の家並み……元住吉駅周辺

復元・原図作成:徳植昇さん(木月)/イラストマップ:石野英夫さん(井田中ノ町)
   
         駅前を「都市」と呼んでいた頃
      徳植 昇さん(木月)           
 昭和初年、多摩川に鉄道橋が完成して渋谷と横浜が東京横浜電気鉄道によって結ばれました。
 それから、静かな田園と丘陵に囲まれた寒村が活気を呼び起こしてきました。
 以前、当地は橘樹郡住吉村字木月といった村落でした。やがて中原町となり、さらに川崎市に合併し「住吉」の名も消えてしまったのでした。そこで地元の人々の強い要望で「元住吉」という駅名が残されたようです。
 駅前周辺の都市開発が進められ、地元の人々は駅前を「都市」と呼んで親しんだのでした。
しかし当初は「都市」とは名ばかりで、それらしいものは、整備された道路と上下水道、街灯の裸電球ばかり……。

 駅舎は土で盛られた粗末なホームに数人が僅かに風雨をしのぐ程度の小屋造りの無人駅。一日の乗客も数える程度、客が居なければ通過してしまうという有様でした。
 やがて駅舎も改築され、従来の踏切から直接ホームへ上る方式から、跨線橋上に改札口が設けられる方式へと変ったのです。
 
 昭和10年前後は、そんな変革の中に人々が少しずつ駅前へと移動し始めた時代です。都市の分譲は区画整理されているとはいえ、1坪(3・3平方米)当たり5円と、当時としてはかなり高値であったようで、将来への夢を託して地元の人々が少しずつ買い戻すほかは、よそから来ても商売はままならない状態……。
 
 当時の記憶をたどると、およそ上の図のようになります。ささやかな駅前周辺です。それは商店街というよりは、のどかな田舎町。開発途上の区画整理地に点々と建ち並ぶ野原の中の店や住宅、田んぼを隔てて富士山を望むことができました。


   昭和13年、田んぼに落ちたみこし(手前)

 住吉神社の祭りに神輿が勢いあまって田んぼに落ちてしまいました。現在地は尻手黒川道路の天王森交差点そば、ガソリンスタンドを斜めに入った場所。当時は左側が田んぼでした。
 提供:下山浅吉さん(木月住吉町)


 昭和15年、東口の駅名看板を掛け替え中
 

 当時は左手に階段があり、出改札口は2階、右手の窓の所は売店でした。車も通らないのんびりしたこの時代、東口からイチジク狩りの北加瀬のイチジク園行きの小さなバスが発着していました。

 提供:徳植利夫さん(木月住吉町)


     昭和14年、長瀬家の初節句

 ケヤキの大木を背にした茅葺きの家、五月の風をいっぱいに吸い込んだ鯉のぼりが揚がっています。井田神社の隣の長瀬康次郎さん宅では待望の長男・政義さんが生まれ、初節句です。
 提供:津田カヨさん(井田中ノ町)


昭和16年、東口を流れる渋川の田中橋際の電車

 元住吉駅に入る2両編成の電車。乗客の姿が見えないガラ空きのようです。その向こうに法政二高の校舎が見えます。
 提供: 矢重沢裕之さん(木月住吉町)




     昭和17年1月の井田耕地と藁ぼっち
             
提供:徳植利夫さん(木月住吉町)

 稲のワラを積んだ藁ぼっち(地方により「にゅう」とも呼ぶ≠ェ田んぼに点在する光景は冬の風物詩でした。子供たちはこの藁ぼっちで隠れんぼをしたり、南側の陽だまりで凧上げの糸を操ったりして遊んだものです。




   写真左の井田耕地、昭和35年4月の風景

 写真左から18年後でも一面の田んぼが広がっていました。左手が下小田中、右手が井田杉山町の民家です。
 提供:石野英夫さん(井田中ノ町)















昭和17年、鞍掛の松(樹齢700年)


 高さ30メートル、太さ3人抱えの大きな松が井田山の現しいのき学園の西隣に立っていました。
提供: 田辺芳夫さん(世田谷区喜多見)


おじいちゃんは一服、お嫁さんは授乳でひと休み

 跡取り息子は戦地へ赴き、農作業はおじいちゃんと息子の嫁さんです。
 この畑は現在。東住吉小学校の校庭となっています。

 提供:下山浅吉さん(木月住吉町)



 
             戦時下の元住吉の人々



   昭和17年4月、各地域の国防婦人会代表が集合

 各地の国防婦人会が会旗を持って住吉神社に集まり、武運長久を祈りました。宮司は吉田亀吉さん。
 
提供: 森昇さん(高津区久末)



 昭和18年、男性は戦地へ赴き、残った婦女子と老人

 元住吉駅前の人たちが住吉神社で戦地の家族の無事を祈願しました。
 提供:吉田盈一さん(木月。住吉神社宮司


      幕「出征軍人の店」が掛ったお店

 主人が出征し、店と家を守るのが女性だけの店には「出征軍人の店」という横断幕が掛けられました。写真は西口駅前の時計・宝石の店ヤマグチ。
  提供:山口玲子さん(木月)


    昭和18年5月、出征家族慰安演芸大会

 出演した青年団と班分団(徴兵検査済みの召集前の人たちの集団)。場所は住吉小学校講堂です。

 提供:下山浅吉さん(木月住吉町)


   昭和18年7月26日、井田地区の木材供出情景

 場所は現在の長寿荘の下。
 戦争がはげしくなってきた昭和18年、軍の造船用木材が不足し、全国各地の私有地の樹木までが強制的に供出させられました。井田地区でも町内会に県木伐採班という組織が編成され、責任者・先山・本挽・人夫・馬車・牛車の各係がその任に当たりました。
 提供: 田辺延義さん(井田中ノ町)


  昭和19年、木月住吉町・下山浅吉さんの出征

 浅吉さんは20歳でしたが、無事帰還しました。

 提供:下山浅吉さん(木月住吉町)








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