30代を迎えたばかりのころ見かけぬ風景に出合った。
横浜の繁華な通りに黒山の人だかりができていていたのである。物見高いわたしは好奇心の塊となって輪のなかにもぐりこんだ。
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ねじり鉢巻きの中年の男がユーモアたっぷりに流れるような口上を述べている。手にした竹の棒が講釈師の扇子のように地面をたたく。口上はますます調子づき、いよいよ盛り上がった。
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男の足元に並んでいるのは山なすバナナの房だった。わたしは、あざやかな黄に輝くバナナを初めて見た。目を疑った。
<バナナのたたき売り>という商法があることや、業者と通謀し客のふりをして見物人たちの購買心をそそる者がいる。「サクラ」というのだということを友人から聞いた。
わたしは「サクラ」のことよりバナナが黄色いことにこだわった。
「きょう、とてもおいしいミカンとバナナをうんとたべたよ。大きくてあおいんだよ。それであまいんだ。」(7月5日 作家・中島敦の絵葉書 長男桓宛て)
とあるように、熱帯のミカンもバナナもみな青かったはずなのだが……。
敦にとって青いバナナが珍しかったように、わたしには黄色いバナナは意想外のことだった。
理学博士で気象学の権威者である倉島厚に<紅葉と黄葉>と題した次のような文章がある。
「葉のなかにはもともと、葉緑素の他にカロチンという色素が含まれています。葉緑素が多い時はカロチンがあまり目立たず、木の葉は緑に見えますが、木の葉が老化すると葉緑素が分解されて緑の色が薄くなり、カロチンの黄色が浮き出てきます。」
(「風の色・四季の色」倉島厚著)
「これだ!」
倉島説で謎は解けたと信じ、日本の<黄色いバナナ>を納得したのだった。低温で保存すれば年間を通して黄色いバナナは可能だと思ったから……。
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「バナナは青いものしか輸入できない」と聞いたことがあった。念のために「バナナ」を入力、検索した結果倉島説で解釈するのは誤りであることを知った。
バナナWikipediaで確認できたことは下記の通りであった。
<日本では、チチュウカイミバエなどの害虫の侵入を防ぐため、植物防疫法の定めにより熟した状態では輸入できない。このため、輸入するバナナはまだ青い緑熟のうちに収穫して、低温輸送船などで日本に運ばれる。植物防疫法、食品衛生法等の諸手続きを経て輸入通関後、バナナ加工業者の所有する加工室内でエチレンガスと温度、湿度調整によりバナナの熟成を促す。(追熟という)>
「バナナは青いものしか輸入できない」という話は本当だったのだ。それなら黄色いバナナしか知らない敦にとって青いバナナが珍しかったのはうなずける話だ。生家のバナナに名札を掲げた山本兵長らは、黄熟するのを待っていたのかもしれない。だとすると食することなく逝った兵たちが気の毒である。
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青いバナナと黄色いバナナ |
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戦前は日本統治下におかれた台湾からバナナが移入された。が、一般人には入手できないほど高価な希少品だった。戦中途絶えていた移入・輸入が戦後になって再開されたもののGHQから輸入制限が課せられたために希少品に変わりなくきわめて高価なものだった。1963年に輸入が自由化されたためにフィリピン産などのバナナが庶民にも手が届く安価な食品として広く出回るようになった。
生家の緑熟のバナナをほとんど食したことのなかったわたしだが、いまはスーパーに山積みされた黄熟バナナに手が伸びる今日この頃である。
交易が容易な平和が続くいまの時代をつくづくありがたいと思う。
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芭蕉(芭蕉)野分けして盥(たらい)に雨を聞夜哉(きくよかな) 松尾芭蕉
この句に初めて出合ったとき「芭蕉とは、なんだろう?」と思った。
百科事典で調べたことがある。
<中国原産といわれるバショウ科の大形多年草。関東以南の暖地に観葉植物として広く栽培されている。高さ4メートルに達し、根茎は大型塊状。葉は大きく広楕円形で、基部の鞘(さや)は互いに抱き合い茎のようになる。夏葉心から花穂(かすい)を出し、大きな包葉の内部に15個内外の花をつけ、先のほうに雄花、基部に雌花を開く。花冠は黄白色で、先が唇形(しんけい)。果実はバナナ状となるが、食べられない>
東南アジア原産で果実が食用となるバナナと非常によく似た草木だ。
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芭蕉
生育場所:港北区高田西の草ぼうぼうの空き地
撮影:佐野紀子さん(日吉)
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知識を得たわたしは是非本物の芭蕉を見てみたいと思った。
ある初夏のこと、わたしは初めて本物の芭蕉に出合った。新緑に映える長楕円形の大きな葉が重なり合って実に見事であった。生家の庭のバナナの風景が突然よみがえり、なつかしさのあまり足を止め、しばし見とれてしまったのだった。植物園のようなところだったか住宅街の庭の片隅だったかは、どうしても思い出すことができない。
新緑の季節になると芭蕉の葉は、固く巻いたまま伸び、やがてほぐれる。「芭蕉の巻葉」「玉巻く芭蕉」「玉解く芭蕉」などの美称があって、立派な観葉植物なのである。
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俳句では「芭蕉(ばしょう)」は秋の季語だ。
青き帆を立つる芭蕉に力湧く 沢木 欣一
芭蕉の葉象のごとくにゆらぎけり 安田 蚊杖
鑑賞に値する芭蕉の葉であるにちがいない。
うちつけて芭蕉の雨のきこえけり 日野 草城
独居(ひとりい)や芭蕉をたたく雨の音 二葉亭四迷
芭蕉の葉をたたく雨の音に詩興をそそられるところが日本人の感性なのかなと思う。サイパンのスコールとちがって日本の雨は四季それぞれに風情があるのも確かである。
2・3メートルに伸びた葉は秋になるとハタハタと音を立てるようになる。
暖地では常緑を保つ芭蕉も関東あたりでは冬になると地上部が枯れてしまう。寒さで葉が傷(いた)みやすくなり、やがて葉脈に沿って裂け破れる
芭蕉の葉傲然(ごうぜん)として破れけり 和賀 世人
芭蕉破(や)れ雲八方にみだれけり 長倉 閑山
花一つ確(しか)と残して破れ芭蕉 松本たかし
秋が終わろうとするころ風雨に破れ裂けた葉の姿は痛ましいが、「破芭蕉」も秋の季語である。
冬が来ると地上部がすっかり枯れてしまって鑑賞に堪えなくなる。しかし地下の根茎は生き続けるので陽気がよくなるとほれぼれするような観葉植物として再生するのである。
わが家からわずか10分くらいのところに芭蕉の群生がある。駅に向かう道路に面したお宅の庭の片隅にあって、わたしは20年以上にわたって四季の推移とともにある芭蕉の姿を見続けて来た。
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こちらは、水芭蕉
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やはり芭蕉の実には関心が強かった。結実することはめったになかったし、あっても大きくならず、食用にはならないというのが結論だった。
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学生時代にみんなと歌った「夏の思い出」は今でも好きである。
♪夏がくれば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空
霧のなかに うかびくる やさしい影
野の小径(こみち) 水芭蕉の花が 咲いている 夢みて咲いている
水の辺り(ほとり) 石楠花色(しゃくなげ)色に たそがれる はるかな尾瀬 遠い空
江間章子作詞・中田喜直作曲によるラジオ歌謡として、昭和24年NHKラジオによって初めて放送されたものである。
NHKは「夢と希望のある歌を…」と願って作詞を依頼したという。戦後の苦難の時代を、せめて夢と希望をもって生きたかったわたしたちの琴線に触れた歌だった。
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至仏山を背にした尾瀬ヶ原に一面咲き競う水芭蕉
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ロシア民謡などが主流だった昭和30年代の「うたごえ運動」でも「夏の思い出」は人気が高かった。水芭蕉を一目見たいと尾瀬を訪れる者も多かったという。
「夏の思い出」とあるので7・8月に訪れる者がいて、「せっかく夏に来たのに水芭蕉を見ることができなかった」と落胆して帰る観光客もあったと聞く。
「尾瀬において水芭蕉が最も見事な5・6月をわたしは夏とよぶ。それは歳時記の影響だと思う。」
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江間章子は「夏」と表現した根拠をこう述べている。歳時記で調べたら確かに夏の季語であった。何句か拾い出してみた。
水芭蕉白き一弁ひろく垂れ 高野素十
水芭蕉逞(たくま)しく出て白きかな 伊藤凍魚
花と影ひとつに霧の水芭蕉 水原秋桜子
「水芭蕉の花が 咲いている」の花は「白き一弁」だが、植物学上の花ではない。
水芭蕉千体仏となり光る 国領泰子
とあるように「白き一弁」は仏焔苞(ぶつえんほう)なのである。
仏焔苞に包まれ円柱状の花序に多数の緑色の小さな花を密生させている…これが本来の花である。が、俳句として詠まれた例をわたしは知らない。それほど地味な存在なのだろう。
水辺の水芭蕉を詠んだ句は多い。
水芭蕉水さかのぼるごとくなり 小林康治
水芭蕉切れ味のある山の水 山上樹実雄
澄む方に小さき瀬音水芭蕉 山根都子
沼の辺(へ)のみちやわらかく水芭蕉 伊藤凍魚
中部以北の沼沢地や湿原に群生するのが水芭蕉の植生である。
花が終わると花茎のそばから楕円形で淡緑色の葉が伸びる。芭蕉に似たやわらかな葉は大きく、長さは90センチにも達するという。
水辺に自生し、芭蕉を思わせるような大きな葉が広がることから「水芭蕉」とよばれるようになった。が、バショウ科の芭蕉(バナナ)とちがって水芭蕉はサトイモ科である。
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